そのいのち

2024-11-24 20:00:27 | 舞台
身体にハンディキャップがあろと、自閉症であったり知的障がいがあろうと、どの命も平等に尊い、をテーマにした作品でしたね。

ハンディキャップがあるから弱者で、健常者だから強者ではない。

私に言わせれば、健常者も心に病を持った障がい者、弱者だと思うよ。世の中、圧倒的にそういう人だらけやん。

自分の地位を守るために、邪魔者を陥れたり、それって心の病じゃないの?無実な市民を殺害する戦争だって…。

って思う。

こんな書き方したら申し訳ないですが、福田雄一さん作品の常連である佐藤二朗さん、ドラマではいつも寒いギャグを言ってる役が多く、今回もそういう役柄でもあったが、おバカキャラのイメージしかない二郎さんが、

ハンディキャップと真正面に向き合った脚本を書くなんて信じがたいものがあったが、ドラマのイメージとその人の人格は同じではないことを痛感する脚本だった。

二郎さんの脚本は、ハンディキャップがある女優さんを起用しても、綺麗事ではない性の問題も扱っており、どの命も平等に尊いが、同様に命を育む行為もまた尊いと思わせてくれる脚本だった。

ひと昔、日本において、らい病を患わった方は島へ隔離され、結婚しても子供が出来ないよう避妊させられた現実があったことが頭をよぎった。

今は、ハンディキャップがある方も子供を産み育てている映像もYouTubeでよく見かける。子供たちがハンディキャップがある両親を支えている姿は尊い。

出産する上で、ひょっとしたら、遺伝するかもしれない恐怖もあったとは思うが、それ以上に、ハンディキャップがあろうとなかろうが、女性として生まれた以上どんなに痛くても、命を育み出産する行為と覚悟は、尊いことだと思った。


結末を知った上で、最初のシーンを思い返すと、

りえちゃん演じる、間の悪い?空気が読めない?愛想がない?どこにでもいるような平凡な介護士が、二朗さん演じる、ハンディキャップがある妻を持つ夫の寒いギャグに対して無愛想だったのか?

最初から既に伏線が敷かれていたことが分かる。

福田雄一さん作品の常連でもある二朗さんの、ドラマのまんまのキャラクターが、ラストに向かうにつれて、狂気と滑稽は紙一重的な役割を担っており、統合失調症的なキャラクター造形が素晴らしかった。

りえちゃん演じる介護士が介護士にしか見えないくらい、実際にベッドから車椅子に移乗したり、寝てる時は褥瘡にならないようにクッションを当てたり、映画「月」の経験が活かされる役に思えた。

介護士の役だけど、どっちかいうと地味な女性。過去に観た役柄の中で一番地味だったかも。実は、それも伏線だったことが後々分かる。

ただ愛想がないんじゃない、ちゃんと愛想を振りまけない理由があった。

演出的には、平凡な日常生活のひとコマ的な、ゆっくり時間が経過する演出になっており、お芝居ではあるがリアルな日常を追求した作品に思えた。

ハンディキャップがある女優さんを起用することで更に物語にリアルさが出てた。


ラストの展開は、非日常的ではあるが、もはやそれも非日常と言えるのか?昨今のニュースを見たら、物騒な世の中になっている。

「そのいのち」で描かれている社会は、登場人物も含め、リアルなそのものと言えると思った。

リアルと言えば、本物のウサギには驚いた。ウサギとリンゴがこの作品の重要アイテム?になるので、まるで「王妃マルゴ」を観てる感覚になった。

伏線の敷き方が素晴らしかった。

今日は、兵庫公演千秋楽といこともあり、二郎さんと一部のキャストの挨拶があった。

そして、客席には、二郎さんが脚本を書く上でインスパイアされた同タイトル曲を書かれた中村佳穂さんもいらした。

ハンディキャップがあろがなかろうが、命は平等に尊い。同様に、舞台に立つことも出来るんだよ、舞台に立っていいんだよと思わせてくれる作品でもあった。



松竹大歌舞伎

2024-11-18 20:16:58 | 古典芸能


隼人氏、めっちゃ芸達者やん!?

こんなにコメディーセンスがあるとは思ってなかった!

親子共演だけでなく、演目も出演者も、めちゃ贅沢!

チケット代は安いから、全国を回るには人件費を削減した演目かと思いきや、囃子方さんが多くてびっくりした!

大ホールでも引けを取らない演目と舞台美術だった。

ということで、

フェニーチェ堺に行ってきました。

3月の南座以来の久々の隼人氏、そして、中村錦之助さんとの親子共演。

親子共演ならではの2演目でした。

最初は、隼人氏のトーク。喋り慣れているからストーリー説明が流暢。周りの女性客がキャーキャーうるさくて(大声ではないが、カッコイイ!カッコイイ!とずっと言っていた)、

ま、確かに歌舞伎界において1位2位を争うイケメンではある、

隼人氏の言葉が全くはいってこなかった。

ひと昔は、イケメンだけの役者かと思っていたが、

團子君が代役した「不死鳥よ 波濤を越えて」で隼人氏を拝見して、ただのイケメン俳優でないことを知って、そこから何作か観させてもらって、

どハマりの役もあればそうじゃない役もあっての、めちゃくちゃ素晴らしかった「女殺油地獄」の与兵衛だったからね。ブロマイド買っちゃったよ!(笑)

ええ表情を捉えてた!

からの今回の演目でしたが、

今回の2演目は、どちらもコメディー要素がある役、コメディーセンスが必要な役だったので、

ぶっちゃけ、隼人氏の悲劇は似合うとは思っていたが、

いやいやいやいやいやいや、

コメディーセンスも抜群だった!

特に「身替座禅」はただのコメディーじゃなくて、長唄で舞う場面もあれば、常磐津(詳しくは分からないが、三味線に合わせて語り部が語る)に合わせて台詞を発しているように表現したり、

なかなかの技術が必要。

自分で喋って演技するだけじゃないから、音楽に合わせる、語り部と合わせるという作業があるから、

なかなか高度な技術が必要な演目だと思ってる。

過去に違う演者さんで何回か観させて貰ってますが、振りや見せ方がパターン化された演目だと思っていたので、全然期待してなかったのですが、

しかもコメディーだから、元々は狂言だから、笑わせてナンボの世界だからね。

やはり、親子共演の妙と言うべきか、

いや、全く親子とは思わせない、役の捉え方、表現の仕方が、大袈裟かもしれませんが、まるで、姫川亜弓と姫川歌子の母娘共演の如く、お二人とも、個として役に向き合っていたし、

表現もオリジナリティーがあって、めちゃくちゃ面白かった!

マジで、隼人氏の芸達者ぶりに感動した!

錦之助さんの玉の井も、「双蝶々曲輪日記」の相撲力士の長五郎と真逆のキャラクターを愛嬌たっぷりにキュートに鬼嫁を演じられていて、

この2人、親子だったけ?と思えたぐらい、親子であることを完全に忘れてしまうくらい2人とも役になりきられていて、本当に素晴らしかった!本当に面白かった!

「双蝶々曲輪日記」の引窓は、初鑑賞だったので、隼人氏演じる役は立派なお侍かと思っていたら、そうじゃない所があって、見せ方が本当に上手かった!

人情味溢れる役柄だったので、芸達者じゃないと演じられないと思った。

錦之助さんの長五郎がまたエエんですわ!

役は24,5歳(人相書きによる)ではありますが、隼人氏と親子であることを微塵も感じさせない役作りに感動!

隼人氏演じる与兵衛とは血は繋がらないが、吉弥さん演じるお幸にとっては、2人とも我が子。与兵衛は前妻の子。長五郎は、血が繋がった我が子。小さい時に養子にだされた。

与兵衛は、長五郎と兄弟であることは知らない。

長五郎は、人殺しをし、捕まる前提で最後ひと目でも母に会いたくでお幸を訪ねてくる。

与兵衛は、その罪人を捕まえる役目。

さて、長五郎の運命はいかに??

人情味溢れた演目で、吉弥さん演じるお幸が泣かせるんよ。

お幸は、与兵衛から長五郎が罪人であることを知る。

お幸は、我が子の長五郎を逃がしてやりたい気持ちと、与兵衛には罪人を捕らえさせて出世してもらいたい気持ちで葛藤するが、やはり我が子を救いたい気持ちが優るんよね。

それが泣かせる!

与兵衛も、長五郎がお幸の実の子であることを悟るんよ。捕まえるべきか逃がすべきか葛藤するんよ。

長五郎は、与兵衛に捕まる覚悟は出来ているが、母お幸の気持ちに覚悟が揺らぐんよ。

笑三郎さん演じる、与兵衛の妻、お早は、お幸の気持ちを慮る役柄。

継母と言えど、与兵衛にとっては母親。そりゃ、与兵衛には出世して欲しいが、長五郎を捕まえてお幸が喜ぶはずがない、ましてや、血が繋がらなくても与兵衛と長五郎は兄弟。長五郎を捕まえることは与兵衛もまた苦しむ。お早は、お早で最善策を見つけようと葛藤している。

四者四様の心の葛藤が絶妙すぎて、めちゃくちゃ良かった。

犯罪は良くない。そんなことは当たり前やねん。

演劇とは、非現実の世界。舞台上では、リアルな殺人は起こらない。全てお芝居。

わざわざお芝居で、犯罪を良くないと説教しても当たり前すぎて全然面白くない。

犯罪者は捕まるべきや!は現実の世界の主張。

この演目では、究極の選択肢においても人情の大切さを謳ってる。

あ、決して犯罪を正当化するわけじゃないよ。あくまで演劇の在り方や見せ方という点ね。

それだけ人情を持って人と接してますか?と問いかけてる演目なんよ。

本当に素晴らしい作品だった。

「身替座禅」は、まさかの囃子方さんの多さにびっくりしましたが、

「双長調曲輪日記」も「身替座禅」も少人数の演者で濃厚な世界観を味わえる素晴らしい演目だった。巡業公演にはピッタリな演目だった。



オープニングには、隼人氏のスッピントークと、まさかの撮影タイムもあり、はい、撮影させて頂きました!

カメラの性能が悪いからピンボケしまくり。

証拠写メ↓


そりゃ、イケメンが客席通路を近くまで歩いてきたらキャーキャー言うわいさ!

(笑)

花組 大劇場千秋楽

2024-11-10 23:56:43 | TAKARAZUKA
めっちゃ、泣かせにくるやん!?

千秋楽だけあって、熱い熱いお芝居とショーでした!

前回は、立ち見で拝見し、今日は2階席で観させて頂きましたが、全く熱量が異なっていた。

卒業される御三方への拍手が凄まじく、舞台も客席も熱く温かい空間でした。

お芝居ではウルウルさせられ、ショーでは、ガッツリ泣かせて頂き、サヨナラショーでも泣かせ頂き、さよなら挨拶ではほっこりさせて貰い、カチャのお花渡しがまさかのさゆみ氏でびっくりさせられ、

本当に本当に素晴らしい千秋楽でした!

ということで、いつぶりの大劇場千秋楽生観劇になるのか、

大分前に生徒席を頼んでいたことを完全に失念しており、それ以前に、返事もないし、千秋楽は無理だと思っていたから、完全に記憶から抹消しておりました。なので、10日は別の予定を入れてました。

そしたら、1週間前にチケット手配できましたの返事が来てびっくり!

え"っ、頼んだっけ??状態になり、過去のLINEのやりとりを辿ったらちゃんと頼んでた。

まさか、千秋楽が取れるなんて思ってなかった。

生徒席だからキャンセルすることが出来ないので、予定をキャンセルして観させて頂きました。


これはマジで、予定をキャンセルして正解でした!!

前回観た時は、ショーをもう一回観たいと思っていたので、それを千秋楽で観させて頂き、

本当に本当に感動しました!

やはり、威風堂々の群舞で鼻をすするくらい泣かされた。

前回は気付かなかったけで、カチャが大階段から降りてきたあと、あおいさんと絡みがあり、それを観た瞬間に涙腺が緩み、例の名メロディーでの群舞で涙腺崩壊。

めちゃくちゃ感動した!

そのあとの、ひとみさのデュエダンでも眼ウルウル状態。

稲葉先生の選曲が素晴らしすぎる!

曲だけでも泣けてくる。

千秋楽だから、カチャだけでなく、アカさんも泉まいら君にも熱い熱い拍手が送られ、しかも、ショーストッパー並みの拍手。

めちゃくちゃ感動しました。

カチャのさよならショーが始まる前に、あおいさんがカチャのメッセージを読み、その内容の中にアサコさんとゆうひさんのこも触れられ、胸熱になりました。

からのさよならショー。

いやいやいやいやいやいや、

最後の公演が花組で良かった!と思えたくらい、

宙組時代、月組時代、そして専科時代の曲を紡いでいったわけですが、

新人公演で初主演を演じた「カサブランカ」から、あおいさんとのまさかのデュエットでまたまた涙腺崩壊。

ゆうひさんへのリスペクトを感じマジウルウル状態になった。

その前には、泉まいら君が宝塚100周年で初舞台を踏んだ月組の花詩集100をカチャと紫門ゆりやさんがデュエットし、そして、泉まいら君が歌い継ぎ、またゆりやさんと歌う流れにもウルウル状態。

その前には「バレンシアの熱い花」

オープニングは「パッション・ダ・ムール」

宙組、月組を共にした仲間がいる花組で卒業できるなんて、凄い巡り合わせ!

1789もあり、

また、アカさんがベンボーリオの曲を、まさに役のまんまで歌ってくれていたのでめちゃくちゃ感動した!

「激情」から、ひとこちゃんがホセ役で登場しデュエット。

ラストは、カチャとは関係ないが、個人的に思い入れが強い♪学生王子♪演劇にはまった時代の青春の思い出ソング。

まさかカチャがこれを歌ってくれるとは!

蘭王凌の楽曲もあったみたいですが、なんせ観てないから分からなかった。

いずれにせよ、

本当に素晴らしいサヨナラショーでした。

サヨナラ挨拶では、まさか、さゆみ氏がお花渡しとは思っていなかった。

てっきりダイモンだと思ってた。

さゆみ氏を拝見出来ただけでも超ラッキー!

専科からは、せおっちも駆けつけ、豪華お花渡しでしたね!

カーテンコールでは花組ポーズ、

緞帳前に、カチャとひとこちゃんと一緒現れ、楽屋ネタで和ませて貰った。

本当に、最後が花組で良かったね!と思えたカチャのサヨナラ公演でした。

まだ東宝公演があるので、カチャもアカさんもまいら君も、ラスト男役を楽しんで下さい!


セツアンの善人

2024-11-10 10:48:45 | 舞台
まず初めに、いつになく訳わからん文章になっていることをお詫びしますm(__)m



三条天皇様やー!!!

(笑)

25年の長き皇太子時代を経てやっと天皇に即位し、今まさに三条天皇が道長に対抗して政治を始めようとしたいる真っ只中に、三条天皇を演じている木村達成君の舞台が観れるなんて!!!

しかも、我が20代前半に崇拝していたブレヒト作品とは!!

いや〜、木村達成君に限らず、二役を演じ分けた葵わかなちゃんも、作品自体も素ん晴らしかった!!

休憩中、私の席の周囲の方々は意味が分からないと言ってましたが、

めっちゃ分かりやすいやん!?

と思ったのは私だけ??

ま、私は原作や展開も知ってるし、松っちゃんの舞台も観ていたので、補完されていたのは事実だけど。

そういえば、賃貸料を払わないといけない立場なのにその家を大家に売る権利があるのが謎だった。


そういう意見もふっくるめて、新しい発見があった。  

善人で居続けることは身の破滅につながる。悪人にならないと生活できない。神様の助けが必要な時に、神様は何の役にも立たない、都合よく逃げるという物語だと思っていたけど、

実際にそういう話ではあるが、

この資本主義社会、且つ拝金主義の時代に善行だけで生きていけますか?時には悪事?いや、心を鬼にしないといけない時もあるじゃないのか?嘘をつかないといけない時もあるんじゃないのか?

を問題提起した作品に感じた。

私の10代20代は、他人の芝がとっても青く見えて、なぜ自分だけがこんな辛い目に遭わないといけないのか?皆好きなように生きられて、私だけ惨めなのか?

親のせいでイジメられていたこともあり、こんな両親に生まれたくなかったと神様の存在を完全に否定していた。

そんな時代に出会った戯曲だったので、ブレヒトの共産主義思想にめちゃくちゃ共感していた。もちろん、無神論、且つ共産主義の親父の影響も強かったが…。

当時は、共産主義=無神論と解釈していたので、余計神様の皮肉り方に絶賛していた。

でも、今は、完全に有神論者なので、だからといって、ブレヒトの共産主義思想を否定する気はない。

人間は、自分の都合のいい時だけ神頼みする。

そんな都合よく願いを叶える神様はいない。なんでかんでも思い通りに叶ったら魂の成長はない。

試練を乗り越えてこそ魂は輝く。

と思ってるから、ぶっちゃけ、セツアンの善人に出てくる神様と同じ発想だったんよね。

昔は、シェン・テ目線だったから、神様はホンマ無慈悲!ブレヒトの言う通り!!と思っていたけども、

今は完全に神様目線なので、知恵と勇気を振り絞って試練を乗り越えよ!と思ってしまった。

貧富の差が生じやすい資本主義(有神論)を皮肉った作品だと思っていたから、万人に平等を!貧富の差をなくせ!を謳った共産主義(無神論)に同情するかと思ったら、まさかの神様目線になるとは思ってなかった。

この資本主義の世の中では、100%善行を積んで生きていくことなんて難しいんよ。いや、出来ない。

お金なくして仏様みたいに生きていけますか?見返りなく自己犠牲できる人間がどれだけ存在する?

今の時代は、当然のように善人が搾取される時代でもある。

だからと言って、資本主義を批判する気は一切ない。

私も恩恵にあやかっているから。

今更、ワーグナーが描く魂の自由、魂の愛だけで生きていけるわけがない。

100%善行を積むことは出来なくても、努力することは大事。悪行を積むより大事。

それは、天国に行くためじゃなく、人生を豊かに生きるため。

私の概念は、この世が地獄です。地獄だから苦しみを選ぶのではなく、楽しみを見つけていく。

今思えば、10代20代は、超ネガティブ思考だったから、不運を引き寄せたんだと思う。

マイナスな出来事も学びと捉えることで、大分気持ちが楽になれた。

昔は、ポジティブ思考の方を羨ましく思っていたけど、意識していけば、ポジティブ思考になれる。

世の中は、思考一つで見え方や世界が変わる。


ブレヒトが生きていた時代は、ナチスだけでなく、社会主義や共産主義も支持される時代でもあったんよ。日本も戦後、共産主義が流行った?時代があったんよ。少なくとも私の親父がそうだった。

確かに、資本主義社会は貧富の差を生む。だからといって、共産主義が万人平等ってわけじゃない。社会主義や共産主義国家にもやはり貧富の差はある。その証拠が、旧ソ連は解体し、東ドイツはドイツ統一で消滅、東欧諸国も民主化資本主義国家へと変貌した。

万人が平等であることは理想だが、生産する種類や過程において、既に労力に不公平が生じているから、生活水準や金銭の平等は不可能。

資本主義国家=有神論国家とは言えないが、私に言わせれは、信仰も宗教も経済の一つ。芸能人のファンクラブも宗教と変わらない。宗教なら神様の御加護、ファンクラブなら何某の特典を頂くためにたくさんお金使ってる。あらゆる会費はお布施と変わらない。

そこには、神様がいるかいないは全く関係ない。そもそも、あの世にお金は持っていけない。

宗教は善人をを救ってるようで、実はお金を無心してるだけ。

宗教も一つの会社だと思えばやってることは同じ。

ただ宗教法人だから税が免除されるだけ。

別に宗教批判をしたいんじゃなくて、

神様で商売するのが宗教なのか?と言いたいだけ。

信仰も自由ですから、お好きなようにとしか言えませんが…。


ただ、この作品を観て意味が分からないと言っていた方々の心理を考えるとご尤もだと思った。

私は、ブレヒトの戯曲に傾倒していた時代があったから観たかったのであって、三条天皇役の木村達成君が出てるから観たかったのではない。たまたまブレヒト作品に出てるから観れただけ。ぶっちゃけ、違う作品だったら観てない。

会話内容から察するに、白井晃演出作品だから、木村達成君ファンだから、葵わかなちゃんファンだから、観に来たんだと推察。

私みたいなブレヒトファンだったら間違いなく絶賛していると思うよ。


ブレヒトは共産主義者だと思っていたけど、ブレヒトの「イエスマン・ノーマン」が、能の「谷行」からインスパイアされた作品だと知り、改めて「イエスマン〜」を読んだら、マジ感動した!

イエスマンは、舞台が山伏の修行から学校に変わっただけで、ストーリー展開は、谷行と同じ流れ。逆にノーマンは、悪い因習を否定する展開になっている。

能の谷行は、山伏の因習に従って病の子供を谷から突き落とす。後悔に苛まれた山伏達が祈りと神様の力で生き返らせるという物語。

ぶっちゃけ、死んだ人間は生き返らへん。

だから、ノーマンの件(くだり)は間違ってない。昔から続く因習であっても悪習なら悪習だと気付くことも大事。

有神論や無神論関係なく、人間はどうあるべきかを問うた作品だったのでマジで感動した。

セツアンの善人も、少なからず、同じだと思った。

神様はいるけど、ホンマ、都合のいい神様はおらへん。

シェン・テも善人であり続ける必要はないねん。子供を守るためには心を鬼にして生きていくしかないねん。
神様を頼る時は覚悟を決めた時。その時必ず後押ししてくれる。

困った時の神頼みなら、神様はいてもいなくても同じなので何も変わりませんからね。

善人じゃないと天国にいけないないという宗教がありますが、国家のために戦争という殺戮を行っている兵士は皆地獄行きやん。

中世の免罪符みたいに、お金を払えば罪が許されるとでもいうのか?

もはや、それもれっきとした経済やん。

お金は、あの世に持っていけませんからね!

閻魔様も金次第とでも言うのか?

人の弱みにつけ込むのはいかがなものか??

それはさておき、

共産主義=無神論と思っていたが、神様に頼るなという意味では、強ち間違ってない。

神様やご先祖様、高次元の方々は、正しき道へと導き、何かを決断したときに背中を押してくれる存在だと思ってる。

私は常に失敗から気付きを得てます。失敗も正しき道への導きだと思ってます。

私の人生は常に失敗ありき。実験して失敗しないと身にならないタイプ。言葉だけで説明を受けても身にならない。経験を伴わないといけないタイプ。

私の人生は、常に、やってもうた~、わーどないしよ〜、神様お力下さ〜い←困った時の神頼み、あ、ワタクシちゃんと神様に感謝してますから!

からの、あらゆる知恵を絞りだしてトライアルアンドエラーで修正していきます。

同じ過ちを繰り返さないが私のモットー。でも繰り返しちゃうんよねー。

もさておき、

能「谷行」とブレヒトの「イエスマン・ ノーマン」の出会いのお陰で、共産主義者というレッテルを外して、ブレヒトという人間を再見直ししてます。

ブレヒトの戯曲は、有名な三文オペラもしかり、ほとんど原作があるパクリだけど、やはり面白い!

確か「セツアンの善人」はオリジナルのはず。

どなたか「屠殺場のヨハンナ」やってくれませんか?

「肝っ玉おっ母と子供たち」は、しのぶささんで再演希望!

ホンマ、話が飛びまくり!

m(__)m

ということで、

串田和美さん演出、松っちゃんと岡本健一さん主演作以来のセツアンの善人を観てきました。

串田版は多言語でしたが、音楽劇だったかは忘れましたが、白井晃演出版は音楽劇でしたね。

まるで三文オペラに近づけた感がある白井版セツアンの善人でしたね。

白井版は、争いごとがない、善人が幸せになれる時代への祈りを感じる演出だと思った。

確かに、善人が搾取される社会は良くないが、資本主義社会は、基本弱肉強食が出来るシステム。そんな社会で平和な人間関係なんて難しい。

会社だって利益を上げるために同業者と競わないといけない。

スーパーなんて、徒歩20分範囲内にどれだけあるやら。客の奪い合い。

その地域の独占販売経営を阻止するための密集なん?それって平和主義的競争?赤字が続いたら撤退でしょ?従業員の生活は??    

蔑ろ。だったら意味なし。

私も色んな仕事をしてきましたが、常にライバル会社との競争。仲良くなんて…、合併する気か?ってなるよね。取引先関係だっていつまで良好関係が続くか分からない。

世の中のお父さんとお母さんは家庭を守るために必死なんよ。

お金で解決できるならいいけど、出どころはどこやねん問題がある。税金を投入したら、また消費税があがるね。ただでなくても、物価もチケット代も高騰してるというのに。

そんな競争社会で善人続けられますか?チケット代をホール使用料さえ払えたらいいだけの額で1ヶ月公演できますか?

国の補助金でチケット代を抑えてくれてるとこもあるけど、国が補助金を出さなくなったらどうなる?

別に不安を煽って困らせようとしているわけじゃないので悪しからず。

善人で生きていくことの難しさを語ってるだけです。

親なんて、生活を守るため、家庭を守るため、子供を育てるため、生きていくためには、心を鬼にしたり、心を消さないといけないことがあるんよ。善人として生きていくことは非常に困難。

シュイ・タを取り巻く市井の人々を見てたら、

この人たちは、単純に人の弱みにつけ込む悪人だとは思えなくなってきた。

この人たちには、そもそも善悪の概念がなく、今、この一瞬に必要な選択をしているだけであって、シュイ・タを陥れようとはしてない。

彼らも生活をするためにシュイ・テに頼ってるだけ。ま、自分のことしか考えてないけどね。

例え善良老夫婦であっても、夫が病気になったら、貸したお金を直ぐにでも返して欲しいと思うのは当たり前。

そもそも善悪の概念なんて国によって違う。

戦争を反対してる国もあれば推奨してる国もある。

外国では発がん性がある食物添加物を禁止しているのに、日本では普通に使ってるし、日本人はほぼ皆食べている。

だったら、日本は悪ですか?って話になる。

そもそも善悪の概念がないから、犯罪が増えているとしか思えない。ま、これは、感情をコントロールする術を身につけていない理由もあるけどね。

いずれにせよ、何が正しくて、何が間違っているのか、その概念や基準が世界中で混沌化しているとしか思えない。

わざと混沌化されているんじゃないかすら思えてくることもある。わざと混乱を煽ってるって意味ね。

自分は自分、貴方は貴方でいいけど、少なくとも他人様を巻き込んだり、法に触れることをして、人を不幸にしてはいけないと思う。

自分で書いて自分に言い聞かせています。

あ、作品内容に関係ない方向に飛びまくり脱線しまくり…、自分でも何を書きたいのか言いたいのか支離滅裂。書く度にあれもこれもとイメージや言葉が降りてくるからまとまらない。

それだけ語らせたくなる作品ってことです。

ま、ここまで付き合って読んで下さってる方はいないと思ってるので、自分のための記録です。


ではここからは、キャスト陣に関して。

もうさ、葵わかなちゃんの発声があまりにも素晴らしくて、ロミジュリに出てだとは思えないくらい、腹から声がでていて、カワイイを通りこして逞しく思えた。そういう意味では、シェン・テはもう少し可愛いらしくあって欲しかったな。

男役シュイ・タは、まるで宝塚の男役並みでカッコ良かった。

葵わかなちゃん演じるシェン・テと彼女に取り巻く関係は、まるで、宝くじ1等が当たった者にたかる遠い遠い親戚や保険会社、ホストに貢ぐ風俗嬢、もちろん、自分のことは棚に置いてませんよ、高いチケット代の舞台作品に投資するワタクシなんですよ。

とても他人事とは思えないし、少なくとも芸能人ファンは、皆シェン・テと同じ。

善人のシェン・テのままでは、本当に破産するし、身も心もズタズタにされてしまうから、ある程度線引きをしないと身が持たない。それが、わかなちゃんの二役目のシュイ・タ(男役)なんよ。

同じ人間だけど、冷静で冷酷のシュイ・タの仮面をつけないと、身も心もズタボロ。

わかなちゃんのシェン・テには、特に二幕目は、自分だけでなく、生まれてくる子供を守りたいという女性としての母性が漲っていて、鬼になるために悪人シュイ・タを演じようとする覚悟が見えるシュイ・タ像だったのが、めちゃくちゃ良かった!

1幕目は単純に、お人好しで善人のままだとお店が潰れる、生活が出来なくなるという恐れで男シュイ・タに変装したわけやけど、

シュイ・タに変装したお陰で、木村達成君演じる恋人ヤン・スンの下心丸見えの本心が分かったわけやん。だけど、シュイ・タに戻ったら、やっぱりヤン・スンに惚れてしまうんよね。

これって、他人事だと思えない。恋愛だと尚更盲目に陥りやすいけど、社会でも言葉の巧みさで騙されることはある。

素晴らしいシェン・テとシュイ・タ像であったと思う。

シェン・テの恋人役ヤン・スンの木村君も、ええ声だった。自分のためにシェン・テを利用したり、シュイ・タの導きによって出世したのに、悪人故にシュイ・タを訴えたり。舞台だから言いますが、イケメンやからシェン・テが惚れたんやろ?的な存在感だったのも良かった。中身はクズ。まさにドラマ「海に眠るダイヤモンド」に出てくるようなホスト的な役割がめちゃくちゃ良かった。

ヤン・スンに限らず、市井の人々や工場の人間は、悪人シュイ・タのお陰で生活が潤ってるはずなのに、善人シェン・テをもとめてるんよね。シュイ・タを追い出したいのか?お金を無心したいのか?愛なのか?は分からないこの曖昧さが良い!

だったら最初から、シェン・テを大事にしろよ!って言いたくなる、困った時に神頼みする都合がよい人間を象徴していたのが良かった。

皆が皆、善人シェン・テを食い物にしている様が、まさにニコールの「ドッグヴィル」を見てる感覚にもなった。

わかなちゃんと木村君を取り巻くキャスト陣がめちゃくちゃ豪華!

兵芸たった2公演なのに大所帯。を思うとチケット代は安い方。

道化師的役割でもあった渡部豪太君もええ声だった。

あめくみちこさんも七瀬なつみさんもええ存在感だった。

3人の神様の、ラサール石井さん、松澤一之さん、小宮孝泰さんも神様と別役の二役を演じられてましたが、愛嬌があって良かった。

謎?のお爺さんの小林勝也さんもええ味だしてた。まさか小林さんで笑わせてもらえるとは思ってなかった。

本当に本当に、資本主義社会について、善人について考えさせられる作品だった。


超久々にセツアンの善人を観させて貰って、ホンマ言葉が降りまくり!

父親が無神論の共産主義者、母親が新興宗教にはまった両極端な思想の夫婦の子供だから、こんな人間が生まれたわけやけど、

それこそ、ブレヒトに傾倒した時代があったればこそのドストエフスキーとの出会いだったので、この夫婦に生まれていなかったら今の自分はいない。

ちなみにドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読むきっかけは、太田先生の「シチリアの風」。生の舞台は観てないけど、高校生の時、有線で放送されてたのを電気店で聞いていた。当時は、映像がないから台詞だけで情景を想像することは出来なかったけど、「恋人たちの肖像」同様に銅鑼の音で場面転換するのが印象的やったんよね。だから、いつか原作を読みたいと思ってたんよね。

オカンが宝塚ファンじゃなかったら、阪急系列で働いてなかったら、ドストエフスキーとの出会いもなかった。

父親が共産主義者じゃなかったらブレヒトにも傾倒しなかったね。

そもそも、「恋人たちの肖像」を観てなかったら、ドイツ語を勉強することもなかったはず。

縁て不思議。

ま、全ては結果論に過ぎないけどね。