三条天皇様やー!!!
(笑)
25年の長き皇太子時代を経てやっと天皇に即位し、今まさに三条天皇が道長に対抗して政治を始めようとしたいる真っ只中に、三条天皇を演じている木村達成君の舞台が観れるなんて!!!
しかも、我が20代前半に崇拝していたブレヒト作品とは!!
いや〜、木村達成君に限らず、二役を演じ分けた葵わかなちゃんも、作品自体も素ん晴らしかった!!
休憩中、私の席の周囲の方々は意味が分からないと言ってましたが、
めっちゃ分かりやすいやん!?
と思ったのは私だけ??
ま、私は原作や展開も知ってるし、松っちゃんの舞台も観ていたので、補完されていたのは事実だけど。
そういえば、賃貸料を払わないといけない立場なのにその家を大家に売る権利があるのが謎だった。
そういう意見もふっくるめて、新しい発見があった。
善人で居続けることは身の破滅につながる。悪人にならないと生活できない。神様の助けが必要な時に、神様は何の役にも立たない、都合よく逃げるという物語だと思っていたけど、
実際にそういう話ではあるが、
この資本主義社会、且つ拝金主義の時代に善行だけで生きていけますか?時には悪事?いや、心を鬼にしないといけない時もあるじゃないのか?嘘をつかないといけない時もあるんじゃないのか?
を問題提起した作品に感じた。
私の10代20代は、他人の芝がとっても青く見えて、なぜ自分だけがこんな辛い目に遭わないといけないのか?皆好きなように生きられて、私だけ惨めなのか?
親のせいでイジメられていたこともあり、こんな両親に生まれたくなかったと神様の存在を完全に否定していた。
そんな時代に出会った戯曲だったので、ブレヒトの共産主義思想にめちゃくちゃ共感していた。もちろん、無神論、且つ共産主義の親父の影響も強かったが…。
当時は、共産主義=無神論と解釈していたので、余計神様の皮肉り方に絶賛していた。
でも、今は、完全に有神論者なので、だからといって、ブレヒトの共産主義思想を否定する気はない。
人間は、自分の都合のいい時だけ神頼みする。
そんな都合よく願いを叶える神様はいない。なんでかんでも思い通りに叶ったら魂の成長はない。
試練を乗り越えてこそ魂は輝く。
と思ってるから、ぶっちゃけ、セツアンの善人に出てくる神様と同じ発想だったんよね。
昔は、シェン・テ目線だったから、神様はホンマ無慈悲!ブレヒトの言う通り!!と思っていたけども、
今は完全に神様目線なので、知恵と勇気を振り絞って試練を乗り越えよ!と思ってしまった。
貧富の差が生じやすい資本主義(有神論)を皮肉った作品だと思っていたから、万人に平等を!貧富の差をなくせ!を謳った共産主義(無神論)に同情するかと思ったら、まさかの神様目線になるとは思ってなかった。
この資本主義の世の中では、100%善行を積んで生きていくことなんて難しいんよ。いや、出来ない。
お金なくして仏様みたいに生きていけますか?見返りなく自己犠牲できる人間がどれだけ存在する?
今の時代は、当然のように善人が搾取される時代でもある。
だからと言って、資本主義を批判する気は一切ない。
私も恩恵にあやかっているから。
今更、ワーグナーが描く魂の自由、魂の愛だけで生きていけるわけがない。
100%善行を積むことは出来なくても、努力することは大事。悪行を積むより大事。
それは、天国に行くためじゃなく、人生を豊かに生きるため。
私の概念は、この世が地獄です。地獄だから苦しみを選ぶのではなく、楽しみを見つけていく。
今思えば、10代20代は、超ネガティブ思考だったから、不運を引き寄せたんだと思う。
マイナスな出来事も学びと捉えることで、大分気持ちが楽になれた。
昔は、ポジティブ思考の方を羨ましく思っていたけど、意識していけば、ポジティブ思考になれる。
世の中は、思考一つで見え方や世界が変わる。
ブレヒトが生きていた時代は、ナチスだけでなく、社会主義や共産主義も支持される時代でもあったんよ。日本も戦後、共産主義が流行った?時代があったんよ。少なくとも私の親父がそうだった。
確かに、資本主義社会は貧富の差を生む。だからといって、共産主義が万人平等ってわけじゃない。社会主義や共産主義国家にもやはり貧富の差はある。その証拠が、旧ソ連は解体し、東ドイツはドイツ統一で消滅、東欧諸国も民主化資本主義国家へと変貌した。
万人が平等であることは理想だが、生産する種類や過程において、既に労力に不公平が生じているから、生活水準や金銭の平等は不可能。
資本主義国家=有神論国家とは言えないが、私に言わせれは、信仰も宗教も経済の一つ。芸能人のファンクラブも宗教と変わらない。宗教なら神様の御加護、ファンクラブなら何某の特典を頂くためにたくさんお金使ってる。あらゆる会費はお布施と変わらない。
そこには、神様がいるかいないは全く関係ない。そもそも、あの世にお金は持っていけない。
宗教は善人をを救ってるようで、実はお金を無心してるだけ。
宗教も一つの会社だと思えばやってることは同じ。
ただ宗教法人だから税が免除されるだけ。
別に宗教批判をしたいんじゃなくて、
神様で商売するのが宗教なのか?と言いたいだけ。
信仰も自由ですから、お好きなようにとしか言えませんが…。
ただ、この作品を観て意味が分からないと言っていた方々の心理を考えるとご尤もだと思った。
私は、ブレヒトの戯曲に傾倒していた時代があったから観たかったのであって、三条天皇役の木村達成君が出てるから観たかったのではない。たまたまブレヒト作品に出てるから観れただけ。ぶっちゃけ、違う作品だったら観てない。
会話内容から察するに、白井晃演出作品だから、木村達成君ファンだから、葵わかなちゃんファンだから、観に来たんだと推察。
私みたいなブレヒトファンだったら間違いなく絶賛していると思うよ。
ブレヒトは共産主義者だと思っていたけど、ブレヒトの「イエスマン・ノーマン」が、能の「谷行」からインスパイアされた作品だと知り、改めて「イエスマン〜」を読んだら、マジ感動した!
イエスマンは、舞台が山伏の修行から学校に変わっただけで、ストーリー展開は、谷行と同じ流れ。逆にノーマンは、悪い因習を否定する展開になっている。
能の谷行は、山伏の因習に従って病の子供を谷から突き落とす。後悔に苛まれた山伏達が祈りと神様の力で生き返らせるという物語。
ぶっちゃけ、死んだ人間は生き返らへん。
だから、ノーマンの件(くだり)は間違ってない。昔から続く因習であっても悪習なら悪習だと気付くことも大事。
有神論や無神論関係なく、人間はどうあるべきかを問うた作品だったのでマジで感動した。
セツアンの善人も、少なからず、同じだと思った。
神様はいるけど、ホンマ、都合のいい神様はおらへん。
シェン・テも善人であり続ける必要はないねん。子供を守るためには心を鬼にして生きていくしかないねん。
神様を頼る時は覚悟を決めた時。その時必ず後押ししてくれる。
困った時の神頼みなら、神様はいてもいなくても同じなので何も変わりませんからね。
善人じゃないと天国にいけないないという宗教がありますが、国家のために戦争という殺戮を行っている兵士は皆地獄行きやん。
中世の免罪符みたいに、お金を払えば罪が許されるとでもいうのか?
もはや、それもれっきとした経済やん。
お金は、あの世に持っていけませんからね!
閻魔様も金次第とでも言うのか?
人の弱みにつけ込むのはいかがなものか??
それはさておき、
共産主義=無神論と思っていたが、神様に頼るなという意味では、強ち間違ってない。
神様やご先祖様、高次元の方々は、正しき道へと導き、何かを決断したときに背中を押してくれる存在だと思ってる。
私は常に失敗から気付きを得てます。失敗も正しき道への導きだと思ってます。
私の人生は常に失敗ありき。実験して失敗しないと身にならないタイプ。言葉だけで説明を受けても身にならない。経験を伴わないといけないタイプ。
私の人生は、常に、やってもうた~、わーどないしよ〜、神様お力下さ〜い←困った時の神頼み、あ、ワタクシちゃんと神様に感謝してますから!
からの、あらゆる知恵を絞りだしてトライアルアンドエラーで修正していきます。
同じ過ちを繰り返さないが私のモットー。でも繰り返しちゃうんよねー。
もさておき、
能「谷行」とブレヒトの「イエスマン・ ノーマン」の出会いのお陰で、共産主義者というレッテルを外して、ブレヒトという人間を再見直ししてます。
ブレヒトの戯曲は、有名な三文オペラもしかり、ほとんど原作があるパクリだけど、やはり面白い!
確か「セツアンの善人」はオリジナルのはず。
どなたか「屠殺場のヨハンナ」やってくれませんか?
「肝っ玉おっ母と子供たち」は、しのぶささんで再演希望!
ホンマ、話が飛びまくり!
m(__)m
ということで、
串田和美さん演出、松っちゃんと岡本健一さん主演作以来のセツアンの善人を観てきました。
串田版は多言語でしたが、音楽劇だったかは忘れましたが、白井晃演出版は音楽劇でしたね。
まるで三文オペラに近づけた感がある白井版セツアンの善人でしたね。
白井版は、争いごとがない、善人が幸せになれる時代への祈りを感じる演出だと思った。
確かに、善人が搾取される社会は良くないが、資本主義社会は、基本弱肉強食が出来るシステム。そんな社会で平和な人間関係なんて難しい。
会社だって利益を上げるために同業者と競わないといけない。
スーパーなんて、徒歩20分範囲内にどれだけあるやら。客の奪い合い。
その地域の独占販売経営を阻止するための密集なん?それって平和主義的競争?赤字が続いたら撤退でしょ?従業員の生活は??
蔑ろ。だったら意味なし。
私も色んな仕事をしてきましたが、常にライバル会社との競争。仲良くなんて…、合併する気か?ってなるよね。取引先関係だっていつまで良好関係が続くか分からない。
世の中のお父さんとお母さんは家庭を守るために必死なんよ。
お金で解決できるならいいけど、出どころはどこやねん問題がある。税金を投入したら、また消費税があがるね。ただでなくても、物価もチケット代も高騰してるというのに。
そんな競争社会で善人続けられますか?チケット代をホール使用料さえ払えたらいいだけの額で1ヶ月公演できますか?
国の補助金でチケット代を抑えてくれてるとこもあるけど、国が補助金を出さなくなったらどうなる?
別に不安を煽って困らせようとしているわけじゃないので悪しからず。
善人で生きていくことの難しさを語ってるだけです。
親なんて、生活を守るため、家庭を守るため、子供を育てるため、生きていくためには、心を鬼にしたり、心を消さないといけないことがあるんよ。善人として生きていくことは非常に困難。
シュイ・タを取り巻く市井の人々を見てたら、
この人たちは、単純に人の弱みにつけ込む悪人だとは思えなくなってきた。
この人たちには、そもそも善悪の概念がなく、今、この一瞬に必要な選択をしているだけであって、シュイ・タを陥れようとはしてない。
彼らも生活をするためにシュイ・テに頼ってるだけ。ま、自分のことしか考えてないけどね。
例え善良老夫婦であっても、夫が病気になったら、貸したお金を直ぐにでも返して欲しいと思うのは当たり前。
そもそも善悪の概念なんて国によって違う。
戦争を反対してる国もあれば推奨してる国もある。
外国では発がん性がある食物添加物を禁止しているのに、日本では普通に使ってるし、日本人はほぼ皆食べている。
だったら、日本は悪ですか?って話になる。
そもそも善悪の概念がないから、犯罪が増えているとしか思えない。ま、これは、感情をコントロールする術を身につけていない理由もあるけどね。
いずれにせよ、何が正しくて、何が間違っているのか、その概念や基準が世界中で混沌化しているとしか思えない。
わざと混沌化されているんじゃないかすら思えてくることもある。わざと混乱を煽ってるって意味ね。
自分は自分、貴方は貴方でいいけど、少なくとも他人様を巻き込んだり、法に触れることをして、人を不幸にしてはいけないと思う。
自分で書いて自分に言い聞かせています。
あ、作品内容に関係ない方向に飛びまくり脱線しまくり…、自分でも何を書きたいのか言いたいのか支離滅裂。書く度にあれもこれもとイメージや言葉が降りてくるからまとまらない。
それだけ語らせたくなる作品ってことです。
ま、ここまで付き合って読んで下さってる方はいないと思ってるので、自分のための記録です。
ではここからは、キャスト陣に関して。
もうさ、葵わかなちゃんの発声があまりにも素晴らしくて、ロミジュリに出てだとは思えないくらい、腹から声がでていて、カワイイを通りこして逞しく思えた。そういう意味では、シェン・テはもう少し可愛いらしくあって欲しかったな。
男役シュイ・タは、まるで宝塚の男役並みでカッコ良かった。
葵わかなちゃん演じるシェン・テと彼女に取り巻く関係は、まるで、宝くじ1等が当たった者にたかる遠い遠い親戚や保険会社、ホストに貢ぐ風俗嬢、もちろん、自分のことは棚に置いてませんよ、高いチケット代の舞台作品に投資するワタクシなんですよ。
とても他人事とは思えないし、少なくとも芸能人ファンは、皆シェン・テと同じ。
善人のシェン・テのままでは、本当に破産するし、身も心もズタズタにされてしまうから、ある程度線引きをしないと身が持たない。それが、わかなちゃんの二役目のシュイ・タ(男役)なんよ。
同じ人間だけど、冷静で冷酷のシュイ・タの仮面をつけないと、身も心もズタボロ。
わかなちゃんのシェン・テには、特に二幕目は、自分だけでなく、生まれてくる子供を守りたいという女性としての母性が漲っていて、鬼になるために悪人シュイ・タを演じようとする覚悟が見えるシュイ・タ像だったのが、めちゃくちゃ良かった!
1幕目は単純に、お人好しで善人のままだとお店が潰れる、生活が出来なくなるという恐れで男シュイ・タに変装したわけやけど、
シュイ・タに変装したお陰で、木村達成君演じる恋人ヤン・スンの下心丸見えの本心が分かったわけやん。だけど、シュイ・タに戻ったら、やっぱりヤン・スンに惚れてしまうんよね。
これって、他人事だと思えない。恋愛だと尚更盲目に陥りやすいけど、社会でも言葉の巧みさで騙されることはある。
素晴らしいシェン・テとシュイ・タ像であったと思う。
シェン・テの恋人役ヤン・スンの木村君も、ええ声だった。自分のためにシェン・テを利用したり、シュイ・タの導きによって出世したのに、悪人故にシュイ・タを訴えたり。舞台だから言いますが、イケメンやからシェン・テが惚れたんやろ?的な存在感だったのも良かった。中身はクズ。まさにドラマ「海に眠るダイヤモンド」に出てくるようなホスト的な役割がめちゃくちゃ良かった。
ヤン・スンに限らず、市井の人々や工場の人間は、悪人シュイ・タのお陰で生活が潤ってるはずなのに、善人シェン・テをもとめてるんよね。シュイ・タを追い出したいのか?お金を無心したいのか?愛なのか?は分からないこの曖昧さが良い!
だったら最初から、シェン・テを大事にしろよ!って言いたくなる、困った時に神頼みする都合がよい人間を象徴していたのが良かった。
皆が皆、善人シェン・テを食い物にしている様が、まさにニコールの「ドッグヴィル」を見てる感覚にもなった。
わかなちゃんと木村君を取り巻くキャスト陣がめちゃくちゃ豪華!
兵芸たった2公演なのに大所帯。を思うとチケット代は安い方。
道化師的役割でもあった渡部豪太君もええ声だった。
あめくみちこさんも七瀬なつみさんもええ存在感だった。
3人の神様の、ラサール石井さん、松澤一之さん、小宮孝泰さんも神様と別役の二役を演じられてましたが、愛嬌があって良かった。
謎?のお爺さんの小林勝也さんもええ味だしてた。まさか小林さんで笑わせてもらえるとは思ってなかった。
本当に本当に、資本主義社会について、善人について考えさせられる作品だった。
超久々にセツアンの善人を観させて貰って、ホンマ言葉が降りまくり!
父親が無神論の共産主義者、母親が新興宗教にはまった両極端な思想の夫婦の子供だから、こんな人間が生まれたわけやけど、
それこそ、ブレヒトに傾倒した時代があったればこそのドストエフスキーとの出会いだったので、この夫婦に生まれていなかったら今の自分はいない。
ちなみにドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読むきっかけは、太田先生の「シチリアの風」。生の舞台は観てないけど、高校生の時、有線で放送されてたのを電気店で聞いていた。当時は、映像がないから台詞だけで情景を想像することは出来なかったけど、「恋人たちの肖像」同様に銅鑼の音で場面転換するのが印象的やったんよね。だから、いつか原作を読みたいと思ってたんよね。
オカンが宝塚ファンじゃなかったら、阪急系列で働いてなかったら、ドストエフスキーとの出会いもなかった。
父親が共産主義者じゃなかったらブレヒトにも傾倒しなかったね。
そもそも、「恋人たちの肖像」を観てなかったら、ドイツ語を勉強することもなかったはず。
縁て不思議。
ま、全ては結果論に過ぎないけどね。