イエス・キリストはキリスト教では神の子だが、ユダヤ教では「大工のせがれ」、イスラム教では「ふつーのヒト」、仲がよくないのは当たりまえか、それに、お互いの手のうちを知りつくしている。
さて、大乗仏教の経典には「一水四見」があり、
人は、水を水とみる
魚は、水を住みかとみる
餓鬼は、水を火とみる
天人は、水を瑠璃(るり)とみる
ジャンボ機で、太平洋の上空から下を見ると「海面は宝石」、古代のインド人には、こうした体験があったのか、「水を火とみる」恐水病がある、ひとつのものには、さまざまな面があり、すべては相対的、では、あの空海はどうか、
1、信者は、空海を大姉さまとみる
2、日蓮は、空海を亡国の教祖とみる
3、最澄は、空海を弟子ドロボーとみる
この辺は、いいでしょう、
4、ゼネコンは、空海をオヤブンとみる
5、デザイナーは、空海をトータル・デザイナーとみる
6、キリスト教は、空海の大日如来をコピイとみなす
もういっちょう、
7、エスキモーは、空海のアタマを「あれじゃあ カゼをひいちゃうぞ」
そして、
8、遊行ジョウ婦は、空海を疫病神とみる
「遊行ジョウ婦」の「ジョウ」は常か女か、それとも「情」、これは遊女のこと、なぜ疫病神なのか、それは、空海一行が長安から持ち帰ったものが、ありがたい密教だけではなかったからだ、とんでもないものを持ってきっちゃたんだネ。
これは、学校で教えないコト。