The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

空海八見 上

2014-11-18 04:03:21 | 世界経済
        
 イエス・キリストはキリスト教では神の子だが、ユダヤ教では「大工のせがれ」、イスラム教では「ふつーのヒト」、仲がよくないのは当たりまえか、それに、お互いの手のうちを知りつくしている。

 さて、大乗仏教の経典には「一水四見」があり、
  人は、水を水とみる
  魚は、水を住みかとみる
  餓鬼は、水を火とみる
  天人は、水を瑠璃(るり)とみる  

 ジャンボ機で、太平洋の上空から下を見ると「海面は宝石」、古代のインド人には、こうした体験があったのか、「水を火とみる」恐水病がある、ひとつのものには、さまざまな面があり、すべては相対的、では、あの空海はどうか、
  1、信者は、空海を大姉さまとみる
  2、日蓮は、空海を亡国の教祖とみる
  3、最澄は、空海を弟子ドロボーとみる
 この辺は、いいでしょう、
  4、ゼネコンは、空海をオヤブンとみる
  5、デザイナーは、空海をトータル・デザイナーとみる
  6、キリスト教は、空海の大日如来をコピイとみなす
 もういっちょう、
  7、エスキモーは、空海のアタマを「あれじゃあ カゼをひいちゃうぞ」
 そして、
  8、遊行ジョウ婦は、空海を疫病神とみる

 「遊行ジョウ婦」の「ジョウ」は常か女か、それとも「情」、これは遊女のこと、なぜ疫病神なのか、それは、空海一行が長安から持ち帰ったものが、ありがたい密教だけではなかったからだ、とんでもないものを持ってきっちゃたんだネ。

 これは、学校で教えないコト。