彼らが持ち帰ったものは、あれ、「あれ」とはあれである、
ケツをさっしゃいと 大師いい
さっしゃいとは「出さっしゃい」で大師とは弘法大姉、そう男色趣味、古川柳は巧みにその消息を突いている、歴史はお上品なコトばかりではない、歴史は大学の研究室から生まれるわけではない、当時の長安で流行していた悪癖(あくへき)を持ち帰ってしまったのだ。
お伊勢さんを参拝した折に泊まった宿がかつての遊郭で、壁はうすい紅、柱は腰をくねらし、白い障子に秋の日が当たり、こころの奥底まで染める、かつての日本には、こういう文化があった。
さて、彼らの持ち帰った男色趣味は、たちまちにして日本全国に広がった、密教には、いや、仏教にはもうひとつの顔があり、正統なものだけではない、鎌倉の寺に道教の神が祭られていた、あるいは、
「こっちの方が 勢力が強かったのではなかろうか」
というのは、庶民は欲が深く性急に結果を求める、高尚な哲学よりも低俗な現世利益(げんぜりやく)、なにも分からない、いや「分かろうとしない」、この core personality (核性格)は千年や二千年では変わらない。
当時の遊女たちは、仕事にあぶれる、それほどの流行だった、密教寺院のゾクゾクする雰囲気には、それだけの理由がある、さて、追いつめられた遊女グループの発明したもの、それが「白拍子・しらびょうし」、
「一人にして 両様を備える」
きれいに言えば「男装の麗人」、男と女のふたつをサービス、これで乗り切る、そして、それこそが、それまでの人類の知らなかった、
「人間玩具(がんぐ・おもちゃ)」
これも、文明のひとつなんだろう、大人の文明、祭政文明の妖しい花、この国の歴史は単純ではない。