諏訪大社の祭礼のひとつに「御頭祭(おんとうさい)」がある、今は鹿の頭部の剥製を用いているのだが、かつては生首を使用、しかも75頭。その光景は、
「身の毛もよだちて おそろし」
この75頭の中に、必ず、
「耳の裂けたものあり」
しかもこの神社の祭礼には、子供を犠牲にささげる儀式があった、だから、あのアブラハムのエピソードを連想させる、神の厳命によって、アブラハムは我が子・イサクを奉げなければならない、イサクが言う、
「イケニエの子羊がいません」
「・・・」
アブラハムの沈黙は深い。
ユダヤの民を救うためには唯一の神・ヤハウェーと契約しなければならない、残酷な神は、残忍な命令を発したのだ、イサクを縛り、我が子・イサクのやわらかな首に、刃を当てる、その手を天使がおさえる、
「契約は 成立した」
「ここから見える限りの土地は ユダヤの人々と彼らの子孫に与えることを約束する」
これが、パレスチナ紛争の遠因か、困った神さまだ。
この時、アブラハムは木の枝に絡まったヤギを奉げたのだが、そのヤギの耳が裂けていた、そして、諏訪の御頭祭の75頭の鹿の首の中にも「裂けた耳」、聖書の舞台はモリヤ、諏訪もモリヤ、奇妙な一致であろうか。