The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

「御柱祭」と裂けた鹿の耳 2

2016-07-02 11:40:21 | 世界経済
        
 諏訪大社の祭礼のひとつに「御頭祭(おんとうさい)」がある、今は鹿の頭部の剥製を用いているのだが、かつては生首を使用、しかも75頭。その光景は、
 「身の毛もよだちて おそろし」

 この75頭の中に、必ず、
 「耳の裂けたものあり」

 しかもこの神社の祭礼には、子供を犠牲にささげる儀式があった、だから、あのアブラハムのエピソードを連想させる、神の厳命によって、アブラハムは我が子・イサクを奉げなければならない、イサクが言う、
 「イケニエの子羊がいません」
 「・・・」
 アブラハムの沈黙は深い。

 ユダヤの民を救うためには唯一の神・ヤハウェーと契約しなければならない、残酷な神は、残忍な命令を発したのだ、イサクを縛り、我が子・イサクのやわらかな首に、刃を当てる、その手を天使がおさえる、
 「契約は 成立した」
 「ここから見える限りの土地は ユダヤの人々と彼らの子孫に与えることを約束する」
 これが、パレスチナ紛争の遠因か、困った神さまだ。

 この時、アブラハムは木の枝に絡まったヤギを奉げたのだが、そのヤギの耳が裂けていた、そして、諏訪の御頭祭の75頭の鹿の首の中にも「裂けた耳」、聖書の舞台はモリヤ、諏訪もモリヤ、奇妙な一致であろうか。

「御柱祭」と裂けた鹿の耳 1

2016-07-02 11:24:08 | 世界経済

 列島の中央部の諏訪の地では、             
 「御柱(おんばしら)に乘ることは オリンピックで金メダルを獲ることよりも名誉であり 孫子(まごこ)の代まで語り継がれる」

 テレビで御柱祭をやっていた、よく撮れている、もうちょっと掘り下げても良かった、それでも、これまで分からなかったことを明確に解説、ずいぶん研究が進んでいる、列島に水田稲作農業がやって来たのは紀元前1000年頃としていた、これが最近の成果らしい、私の頃は、紀元前400年頃・縄文の晩期だった。

 たちまち九州から中国・近畿地方に広がり、さらに北上するのだが、列島の中央部でストップ、ここで、はねかえされる、強力な文化圏があったのだ、それが諏訪地方の巨木信仰、だから水田稲作社会は諏訪を迂回し、列島の北端・津軽に飛び、そこから南下したというのだ。

 かなりの歳月が経過し、高天原の神〈天皇フループ)が出雲の建御名方の神と力比べをし、これに敗けたタケミナカタが諏訪にやって来て水田稲作農耕を教えた、教えるというより強制か、これに反対したのが地元の神・モレヤ、やがてモレヤは妥協し、タケミナカタをサポートするようになる。

 今でもモレヤの子孫・守矢家が継続しており「ミシャクジ信仰」を守っているという内容、なかなかコンパクトにまとまっていた、水田稲作の発展とタケミナカタの介在、このふたつは、その通りか。