ニッポンは未だに「タテ型の人間関係」が生きていて、ボスがえばっているグループがある、このボス、教養も気品もない、そして、よせばいいのにおべんちゃらを言うものがゾロゾロだ、まだ、こんなのが残っている、そこには、明るい会話や自由な空気はない、それどころか、
「今度の飲み会 出席するんだろうな」
なかば強制で、タテ型人間関係の再確認であり、これが日本の困った点だろう、そして、ああいう酒はイヤなもんだ、横浜の下町でもこうだから、ニッポンの地方ではどうだろう、今回の参議院議員選挙もこういったパターンの応用と展開があったのかもしれない、なにか新しいものが生まれただろうか。
上野の「古代ギリシャ」展の前半は、あの漁師ともうひとつ、巫女のような女性の頭に、鳥が二羽、
「なかなか やるな」
意識は飛ぶ、思考は自由で、時間を越えることができる・・・メソポタミアには、もっとすごいものがあった、カリスマ的な女性が、両手を広げている、その手の先に鳥、足元には首を切断された牡牛、牡牛は男性原理だが、女性の愛情の横顔は、男性原理を切断する、両腕の鳥は、この魔女の力は数百キロも飛ぶことができる、ユングのグレイトマザーだ。
都会には、こうしたナゾとフックがいたるところに仕掛けられている、それが、こころの弱い人々を引きずり回すことがある、それにあやつられて数十年が過ぎてしまうケースもある。
また、親から子へ、子から孫へと引き継がれてしまう、世の中には、なんとも嫌味(いやみ)なヒトがいるが、あれは、その成果なのかもしれない。
後半には、精緻に描かれたツボがあった、ずいぶん抑えた筆致だ、あのデモニッシュなシュメールと比べると、
「なんて おだやかなんだろう」
もっと荒々しいかと思っていた、だが、これが、ギリシャの成功の秘密かもしれない。