外交官とは、人間の悪を知りつくした人種であろう、そうでなければ仕事はできない、きれいごとであるわけがない、ちょっと調べてみたら、スギハラを聖人みたいに扱っている、これでは、浮かばれないだろう。
虚虚実実の駆け引きがあり、そして、彼は、なかなかのやり手、ソビエト政府からマークされていた、若いころの杉原は、すばしこく、芸者遊びではイチバンのきれいどころをかっさらったという、そして、杉原の最初の結婚はロシア人、この人を、深く愛していたようだ、このところをスルーしているのが多い。
ひとりのユダヤ系アメリカ人が、これに注目し、調査のあげく、彼女がオーストラリアの病院にいることを突き止め、飛行機を乗り継ぎギリシャ正教の経営する病院を訪問し、彼女に面会、彼女はこころよくその事情を話してくれた、そして、間もなく、亡くなる、だから、なんとか間に合った。
こういうところが、アメリカ人のいいところ、これによって、一人の日本人外交官の青春が蘇えった、彼は、語らなかった、それだけ大切な思い出だったんだろう。
今となっては、その内容を証明できる人はいない、しかし、私は、真実であると思う、それには、意外な事実が、
1、離婚を申しこんだのは杉原ではなく、彼女の方であった
2、杉原は子供を欲しがっていたが、彼女は堕胎(だたい)する
3、離婚後も杉原は経済的援助を続けた
そして、アメリカからの訪問者に、
4、着物姿の写真をプレゼント
ロシアの老婦人は、
「ロシア人の医師に 処置してもらいました」
「亡命ロシア人社会の目が あったのです」
「若かったわたしは おろかでした・・・」
「杉原は知りませんでした なにも知らなかったのです」
悔いても悔いても悔やみ切れない青春の傷・青春の挫折、ロシア貴族の血が・ロシア貴族の誇りが、日本人の子供を許せなかったのだろうか。
異国の病院でひとり死を迎える老婦人のこころに去来するものは、愛を奉げた奉げつくした、東洋の紳士の誠意と純粋、
「ああ わたしは しあわせだった」
おそらく、ほほえみながら旅立ったのだろう。
宇宙のかなたに美しい星があり、その中心に世界樹がそびえている、やさしい声が聞こえる、
ここで 永遠に生きるのです
ここで 永遠に生きるのですよ
生きるときに あまりにも苦しく
生きるときに あまりにも悲しく
それでも それでも つらぬき通した
愛と誠意とsincerityの人生
愛と誠意とsincerityの人生
花びらがふっている、
「人間の営みの真実と愛情は 保たれました」
それゆえにこそ、
「人類文明の正統は あなたたちが守ったのです」