上野で「古代ギリシャ」展、かなりのモノが来ている、よくぞ出してくれたものだ。
会場の前半では2つの収穫があった、ひとつは漁師のフレスコ画、これは紀元前17世紀、このくらいになると、古代も近代もない、というより人類は進歩したんだろうか。
これっ、モダーンである、たんなる写実ではない、シュールなところもある、明るく溌剌(はつらつ)としていて、そう時間や空間から自由だ、この作者と彼をとりまく人間集団の空気が伝わって来る、
「あーら 今度のよく描けているわね」
「まあーまあーだろ ほれなおしたかい」
「ふん 絵の才能と人格はベツなのね」
「うっうっ 言ったな」
「うっうって そんなところで うん〇なんか するんじゃあないわよ」
そんな楽しい会話が、聞こえてくるようだ、なに、聞こえないって・・・
もっとも当時のポリスは数万人ほど、だが、あのプラトンの哲人政治、うまくいかなかったようだ、だから、政治がいかにむずかしいかが分かる、個人を解放し、自由を与え、権利を保障し、平等の社会にするとタイヘンにややこしくなる、
「あなたとわたしは 同じね」
大衆の気まぐれやルサンチマンが、社会を動かしてしまうことがある、この制度、アメリカの戦略か、太平洋の島々で死闘を繰り広げたアメリカ、なんとか日本人を弱くしようとしたのではあるまいか、それには、
1、意識を変える
2、反対勢力をおだてる
1の決め手は、やはり、学校教育だろう、今、街に出れば、退職した団塊の男たちがフラフラしている、貫録や威厳がない、教養も無さそうだ、〇✕式の教育では、精神の発達は不可能だったのかもしれない。
原宿の外人観光客、一杯のコーヒーで一時間も、会話を楽しんでいる。
それが、ダンカイの連中には身についていない、なんとさびしいことか。