「東海道パチスロ旅行」は、焼津(やいず)から始めた、次に藤枝(ふじえだ)、駅近の小さなパチスロ店、
「おっ パルサーだ」
当時のパルサーは1.5号機で人気機種、熱列なファンがいた。オレンジのVがビックのフラグ、「オレンジのV]とは、オレンジがVのカタチにそろうこと。
「おっおっおっ」
フラグが立った、
「キタ キタ キター 」
アドレナリンとドーパミンのシャワー、歓喜の時間が過ぎ、そしてオバケが來て、またしてもオレンジのVが並んだ、
「れんチャン れんチャン れんチャンだー」
ビックが2回で700枚、等価交換で1万4000円、
「人生 まんざらじゃあないな ふふふ」
「生きていてよかった よかったなあー ひひひ」
サクラ吹雪が舞っている、
「バンザーい バンザーい ニッポン バンザーい」
そん時、ヒトのケハイ、瘠(や)せた貧相(ひんそう)なオトコ、この店の主人か、
「そんなに 出されちゃー」
ゾッー、
「今夜の晩酌(ばんしゃく)のお銚子(ちょうし) 減らさなきゃなあー」
「・・・」
「サケのサカナは 抜(ぬ)きだなあー」
ショーブに情けはキンモツだ。
藤枝のストリートに勝利の雄たけび、
「こんにゃは ヤキニク こんにゃは ヤキニク・・・」
ところで、江戸時代、この国を訪れたヨーロッパ人は、東海道を利用して江戸に向かったのだが、スェーデン人の一行が藤枝を通過する際、多くの人々に取り囲まれた、記録には、
「その中に びっくりするほど色の白い若い女性がいた」
白人の若者のトキメキが伝わってくる、だから、やはり、この国は、この国の人々は、フシギなのだ。
さて、このパチンコ・パチスロ産業こそが、あの民族の日本侵略のポイントだったのではあるまいか、問題は自民党政府の対応だった、そして、「税務機関と公安警察の沈黙」、知らないわけがない・・・
電通の元会長は半島の出身だが、彼の葬儀には、自民党の重鎮(じゅうちん)が列席していた。