The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

瀬戸内寂聴と昭和の5人 7 

2018-07-17 10:52:18 | 世界経済
 
 あの青森の牧師さんの最後の手紙、ある年の11月、
 「これから ブリザードの吹き荒れる冬がやってきます
  あの時の楽しいお話しを思いだしております どうぞよいお正月をお迎えください」

 私はプロテスタントは嫌いだが例外もある、仏教いや仏教教団は不毛、キリスト教にだって、すばらしい人がいる、カトリックの愛宮神父、どうしてあんなに親切にしてくれたんだろう、それにシスターたち・・・   

 こちらはナマグサイお話し、ジャクチョウさん、スマホの奴隷になっているニッポンの若者が、
 「なにを目標に 生きたらいいんですか」
 ジャクチョウというおしゃべり鳥、
 「それは」
 「・・・」
 「恋と革命です」
 「ワアー」

 まあー、なんてソツがないいんでしょう、ツボをこころえている、あまったれた現代の若者には、ちょと魅力的なのか、しかし、こういうのは、
 「邪知分別知(じゃちふんべっち)」

 今の日本人は、二極分化、すぐれているものはすぐれている、そうでないのは時代に振り回されている、両者に通じるものは、なんだろうか、戦前の日本には「おごそかな生活があった」、台湾の老人の話しに、
 「かつての日本人には 香りと品がありました」
 「下町には下町の 山の手には山の手の風格がありました」

 両国の寺で関東大震災で亡くなった少年・少女の写真を見た、鉄の灯篭がとける猛火に包まれたのだ、東京の下町、正義感の強そうな少年、すぐなみだぐんでしまいそうな少女、これがニッポンの子供たちだった、どうして、こんなに変わってしまったんだろう。