簡潔に記すと、
" It means transmitting idea without reliance upon sutra and other written materials ."
「禅とは 経典や書物によらずに 『閃(ひらめ)き』を伝えるコトである」
さて、仏教学部で哲学の講義を受講したS君は、有名な私立大学の出身で、道元禅に心酔し、その大学の大学院に在籍していた、彼の母親は、
「わたしは もうすこし働けます」
「だから 思う存分 勉強してください」
彼は、大学の権力グループに近づこうとはしなかった、
「この大学に 残る気持ちはないよ」
あの難波田先生が、彼を可愛がっており、なにかと目にかけていた、そんな彼は、私に対して、
「ウラのウラを読む」
思い当たるところがない、私は、シンプルに結論に到達しようとしていた、
飛ぶ神の剣(つるぎ)の影は ひまもなし
まもるいのちは いそぎいそぎに
なぜ、そんなことを言ったのか、ヒトは他人を評する時、思わず自分を暴露(ばくろ)することがある、
「そうか 『ウラのウラを読む』のが 彼の本性(ほんしょう)だったのか」
そう、もの静かに見えるが、なかなかの策士(さくし)だったのだ、それに比べるとこちらは少年のようなもんだ。
それに道元禅もちょっと気になる、中国で生まれた禅宗、わからないトコロがある、それに、
「道元とは 何者か」
宗門の連中が称賛するような出家なのか、道元は、
「『大宋国の在家は 日本国の出家に勝(まさ)れり』と記したが この語句には 過分の中国贔屓(びいき)が見て取れる」
ちなみに、この国が中華文明に併呑(へいどん)されることなく、まがりなりにも独立国たりえたのは、道元のような親中派ではなく、あの国の政争に巻きこまれ、「罪九族に及ぶ」という苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を逃れ、東海のこの島国にやってきた実務派の渡来系中国人のおかげではあるまいか。
彼らは、それこそあの民族のウラのウラを知っていた、彼らの献策(けんさく)と助言がこの国を守り、彼らの頭脳が、この国を建国し保持したのではあるまいか、そう、中華帝国の律令制度とは一味違うこの国の律令体制の完成であり、そのソフトがこの列島にインスツールされた。
そして、その頭脳は、一高・三高そして東大・京大へと引き継がれ、良くも悪くも、近代日本の建設に貢献したのではあるまいか。