二銭銅貨

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大番

2009-09-16 | 邦画
大番 ☆☆
1957.03.05 東宝、白黒、普通サイズ
監督:千葉泰樹、脚本:笠原良三、原作:獅子文六
出演:加東大介、淡島千景、仲代達矢、河津清三郎、東野英治郎

株屋。ギューちゃんの話。ブルです。
買い方で、買って買って買いまくる。
豪快で思いっきり良く、
爽快で元気な獅子文六の話。
何がどうなるのかと、
ドキドキわくわくの展開で、株屋の出世の物語。
おもしろすぎるこの映画、
買いです。

カルメンの音楽がBGMでかかる高級洋食店、
チャップリンさんという名の爺さんが、
ギューちゃんにしきりに説教をしている。
意気軒昂なこのオヤジは今は落ちぶれたが、
昔は天竜将軍との異名を取った株の名人。
かっとギューちゃんを睨んで、
一句に託して「満鉄」を薦める。
買えと。
普段はとぼけた味の東野英治郎のチャップリンさんだが、
ここは、一瞬は闘牛士のように目が鋭くなる。
このシーンは全部がカルメンの曲。
東野英治郎が闘牛士。
鈍そうだけれどもしぶといギューちゃんが加東大介で牛。

仲代達也が親友の株屋で、クールでしっかりもの。
しっかりギューちゃんを支える役。
淡島千景が気風のいい料理屋の仲居で、いい姐さん役。

加東大介が場立ちとして東証と店の間を汗を飛ばしながら走り回っている姿が印象的だった。今はこの役、電子と変わってインターネットのケーブル中を光の速度で走り回っている。感慨深いものです。場立ちの人々が一斉に手を上に上げて、手振りで取引している姿も興味深い。東証にこれが無くなったのはつい最近のことだけれども、今の電子の時代から見たら想像を絶する光景だ。

劇中に歌舞座の場面がある。出しものは伽羅先代萩で正岡が死んだ子を前に嘆く場面。原作は「まま炊き」の場面で、足の悪い先代歌右衛門となっている。加東大介がぐしゃぐしゃになって泣きだす、その泣き方が豪快。

なお、この話には佐藤和三郎というモデルがあるんだそうです。
4作あるシリーズものの第1作。

09.06.27 神保町シアター
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続大番・風雲編

2009-09-16 | 邦画
続大番・風雲編 ☆☆
1957.07.19 東宝、白黒、普通サイズ
監督:千葉泰樹、脚本:笠原良三、原作:獅子文六
出演:加東大介、淡島千景、仲代達矢、河津清三郎、東野英治郎

4作あるシリーズものの第2作。株暴落でスッテンテンになって宇和島に帰ってからの話と、その後の再起、木谷一派として鐘紡の買い、そしてその大暴落まで。

築地本願寺の葬儀。木谷さんの葬式だ。
きりっとしたおまきさんの黒の和服姿。
無常を思いつつも、冷静に牛ちゃんを思いやる新どん。
茫然自失の牛ちゃんは、
また霊前で大泣き。
今度はばかりは本当に致命的だ。
カネの事では無い。
木谷さんが死んだんだ。
富士証券の木谷さんが。

東大出のインテリ証券マンの木谷さんは、経験とカンと度胸に頼る古い相場師の世界から、情報収集と分析を基礎にした大規模な投資の世界へ証券業を変えようともくろんでいましたが、その一方で、典型的な古い相場師の牛ちゃんを可愛がってもいました。国家レベルで理想高く活動していた木谷さんですが、大きな勝負に負けて自決します。10年早かったと言って。

この毅然とした失意を河津清三郎が表現します。

ウェブによるとこの木谷さんのモデルは山一證券社長にして、青酸カリで自決した太田収だそうです。映画ではピストルでの自殺となっています。

09.08.22 アテネ・フランセ文化センター
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続々大番・怒濤篇

2009-09-16 | 邦画
続々大番・怒濤篇 ☆☆
1957.12.17 東宝、白黒、普通サイズ
監督:千葉泰樹、脚本:笠原良三、原作:獅子文六
出演:加東大介、淡島千景、仲代達矢

4作あるシリーズものの第3作。失意のまま宇和島に帰ってから開戦まで。

紀元2600年の正月。
ギューちゃんの母校、
小学校での祝典。
清々と晴れ渡る青空、
悠々と流れる雲に四国の山々、
中央に一段高くへんぽんと翻る日の丸。
横に長い長い素朴な校舎の屋根。

来賓のギューちゃんはこの町の出世頭。
ずらり居並ぶ小学生を前に、
汗をかきかき演説をぶつ。
最初はまごついてぎこちないが、
だんだん調子が出る。

ブルとベアの話だ。
小学生に株の話は難しかろうと思っていたら、
ブルを積極、ベアを消極と説明して、
相場の話では無く一般論として、
何事にも失敗を恐れず一歩前に出てチャレンジすること、
積極ということを教えていた。
とても良い話で、
参列の一同大拍手。

最後にギューちゃんというか加東大介は、
両方の指を頭から突き出して、
牛の角のまねて、
「これで私の話はモーおしまいです。」
だって。
ギューちゃんにもいい話ができるんだ。
なお、この場面は原作には無いようで映画のオリジナルらしい。

09.08.29 アテネ・フランセ文化センター
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大番・完結篇

2009-09-16 | 邦画
大番・完結篇 ☆☆
1958.07.01 東宝、白黒、横長サイズ
監督:千葉泰樹、脚本:笠原良三、原作:獅子文六
出演:加東大介、淡島千景、仲代達矢、原節子、

4作あるシリーズものの第4作。戦後の話。ギューちゃんに負けずに、映画の方も出世して画面がワイドになる。美術の中古智に加えて清水喜代志の名もクレジットに入る。2人で手分けしてセットを作ったのかも知れない。

戦争で没落した富豪の娘、
戦争で夫を失い、
茫然と暮らす日々。
助けてくれるギューちゃんの気持ちは有難い。
けれど、恋愛は別だ。
そこには鋭い壁がある。
そのことにギューちゃんは気付かない。
恋愛は相場では無い。
売った買ったの世界じゃない。

恩のあるギューちゃんを悲しませたくは無い。
失望させることはできない。
恩をアダで返すなんてできない。
縁側で膝を屈して、
平伏しておじぎをする原節子の姿は異常だ。
可奈子の悲しみが畳を濡らしているのに、
ギューちゃんはそれには全く気付かない。

ギューちゃんに対する決然とした思いと、
そして思いやりと、
その2つの思いに挟まれた微妙な谷間を、
行ったり来たりする悲壮な気持ちが、
傷ついてはいても清純な乙女の表情に繊細に表現される。

床に病で臥せっている原節子の「私は誰とも再婚しません」と言うセリフの響きに、原節子って芯の強い人なんだなあと感じる。この映画の原節子は出番は少ないけれども、表情に人間が出ていて、すごく良いと思った。

映画の最後は、ギューちゃんが社長ながら場立ちをして、平和不動産(たしか平和不動産は昔の新東の後継。新東は東京株式取引所の新株の略称で、取引所の代表銘柄。現在の日経平均インデックスに相当するものだと思う)株の売りをすべて受けて立ち、全部手振りで買いまくるというシーン。一方、小説では撃析(げきたく:売買開始の析の音)の後、「5カイ」と叫んで、多分脳出血か何かで、ぶっ倒れて終わっている。ここは、ちょっと違っていた。

映画の中に「最後の相場師」というセリフがある。経験とカンと度胸(KKD)に頼る職人的相場師の消失を惜しむ言葉だ。獅子文六の小説でもそのトーンが主題であるように感じた。これは現代の合理主義の蔓延に対する批判で、その非人間性を強くなじった言葉のようにも思える。職人的なアプローチが合理主義に勝てないのは事実だけれども、しかしながら、その合理主義でさえ、その底辺部分は職人的な数多くのKKDによって支えられているように思う。世間ではその事はしばしば見逃されているのではなかろうか。人間のやることを全て単純な合理主義で割り切ることはできない。マクロには合理主義であっても、ミクロでは職人気質の人々が頑張ってる世界がある。その意味では木谷という、いわば合理主義を追求しつつ、ギューちゃんという職人的相場師を大事にしていた人物がこの物語に登場していた事は興味深い。

映画の最後に対談あり。木全公彦氏と坂尻昌平氏。スタッフ、キャストについいての様々な事柄に関しての話があった。

09.08.29 アテネ・フランセ文化センター
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