日暮らし通信


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北山公園菖蒲苑

2015年06月11日 16時48分16秒 | 日暮らし通信


今日は9時半に自転車で家を出て、25分後には 「北山公園菖蒲苑」 に着いたが
この公園は 「新東京百景」 に選ばれているので最近は訪れる人も多いようだ

しかし、私にとってはかつては田圃だったこの辺りは
公園と言うよりは 「昔の遊び場」 として私の記憶にメモリされているが
昔という表現は昭和20~30年代に遡ることになる

さて入口の 「善行橋」 は、昔は名前が ”あったかなあ~” と
記憶を巻き戻したが定かではない

この川は今では 「北川(きたがわ)」 と言われているが
昔は 「後川(うしろがわ)」 と呼んでいたように記憶している




 「善行橋」 の中央で川上を見たこの風景
何とも汚れた現在の姿だが
私にとってはすこぶる想い出のある場所である

この川の上流を遡って行くと水源は 「村山貯水池」 に辿りつく

かつてはこの公園辺りは一面の田圃が続いていたが
春先からは所々に小さな堰が造られて水を止めていたが
時々 「村山貯水池」 からの放流があって
その堰から田圃に水が引き込まれるようになっていた

この写真の所にも堰があってそれは通称 ”ドードー” と呼ばれて
の子供たちにとっては願ってもない泳ぎ場となっていた

そんな想い出の場所もこのようになってしまったのが残念だが
今は貯水池からの放流は無いのだろう




苑内南側には沢山のテントが張られて、いろいろな商品が商いされているが
この菖蒲苑が始まった頃は、このような商売はなされていなかったから
ゆっくりと静かに菖蒲を楽しんだものだった




苑内東側から西方を望む




北側から南方を見ると休憩所と背後には
この街には似合わない高層ビルが建っている

このようなビルが何故、財政乏しい我が市に建ったのでしょうか?




南側には高さ三メートルほどの展望台があって
そこから見た苑内です








この写真、何の変哲もない樹木が並んでいるようですが
中央は少し樹木の膨らみが少ないように見えませんか?
それと樹木の高さが少し低いようにも見えませんか

実は太平洋戦争の時代にはこの部分が削られて
その土はすぐ前にある線路から貨車で
所沢飛行場へ運ばれたそうです

戦後は 「西武園線」 も開通していませんでしたが
線路はそのままでこの辺りの線路には貨車が停まったままでした

その頃はこの部分は山肌が露出していて茶色でした
土地の人たちはこの削った部分を 「崩れ山」 と呼んでいました




今、苑内の菖蒲は6、7分咲きとのことですが
今年は花数が少ないと、ガイドさんの説明でした

長い文になってしまいましたが
咲いていた菖蒲をご紹介して終わりにしましょう














    写真説明: 菖蒲を撮る
    撮影場所: 北山公園菖蒲苑にて (H270611 撮影)