ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

大いなる自己満足

2018-09-19 11:48:52 | Weblog

他人に、何かしてあげる事って、
フカセが言うように、
笑顔を見れる権利・自分の為」なんだと思う。

でも、大半の人が、
「やってあげてるのに感謝しない。」と怒ったり、
あげてるものが、迷惑になっていないか、考えもしない。

もう、だいぶたつけど、
オバタさんが、ヨシキをみつけたじゃん。

あの子のキツそうな顔を見た時、
「誘拐じゃないな。2~3日なら、まだ生きてる。」って思った。

たとえ、何百人動員しても、
「死んでる」と思って探すのと、
「生きてる」と思って探すんじゃ、全然違う。
(ネットでも書かれてるが。)

デカい亀がいなくなった時も、
習性を調べて行った人が、すぐにみつけたしね。

正直言って、オバタさんは、
お手柄感(笑顔を見れる権利)を味わいたいから、
直接引き渡したかったんだと思う。
それが、ボランティアの醍醐味だろうから、いいんだけど。

でも、周りが騒ぐと、本人も信条を語るようになるし、
ストイックな事が、安っぽい美談になってしまう。

年金生活=貧乏、じゃないからね。
ボランティアって、経済的にも、精神的にも、
余裕のある人じゃないとできないと思う。
それに何よりも、体力がないとね。

オバタさんを称賛するなら、
スーパーボランティアだからじゃなく、
「本気で探した」という点だろう。

だから、ヨシキの家族が、
「風呂に入って。」と言った時、
入ってあげてほしかった。

彼らにも、「ねぎらう権利」を与えてほしかった。
(注・オバタさんをと見たわけではない。)
その方が、あの家族の気持ちが、治まるから。

特におじいちゃんは、孫を死なせてたら、
一生、その罪にさいなまれる。

オバタさんが救ったのは、
ヨシキじゃなくて、おじいちゃんなんだよ。

 


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