まだハッキリとは分かりませんが、父や義妹が亡くなったのも母の認知症が進んだのも某ワクチンのせいだと思うと、本当に居たたまれない。
某国が憎い。そしていい加減で大変危険な某ワクチンを認可した日本国も憎い。年々、憎さが増しています。
そんな想いに駆られていると14年前に起きた東日本大震災での被害者に対し、「所詮は他人事だったな」と思います。
私も建物がダメになり商売も廃業したので犠牲を払ったのは確かですが、津波に流された人に比べれば全然大したことは無い。それなのに鬱で前に進めない。
甘ったれているのだろうが、薬なくては正常な状態を保てない。父母らの不幸で更に鬱が深まった。
某ワクチンの危険性は接種開始前からネットで知った。私が全力で止めていれば違った結果が出ていた可能性がある。それが悔やまれる。
津波の場合はもっと容易かったと思う。過去にも発生していたのだから。
しかし、歴史通を気取っていた私も知らなかった。約400年前にも仙台平野を襲う津波が起きていたことを。日本三景の松島も歴史的に見れば割と最近、地震と津波で陥没して出来たことを。
隠蔽されていたのだと思います。土地の価値を考えて。
だって、伊達政宗の時代に津波が襲ったのです。本当に最近ですよ。地震の研究者は知っていた筈だ。それなのに口にしなかった。そんな奴らに研究費を払う必要はない。「直ちに止めちまえ」と言いたいですよ。
岩手の三陸海岸では明治三陸大津波が来た。昭和に入ってからも昭和三陸大地震、チリ地震津波も来ている。大津波到来の対応は或る程度出来ていた。
しかし、仙台平野に津波が来るなんて大抵の人は考えていなかった。政宗の時代に来ていた事が知れていたら、ここまで甚大な被害は出なかったと思う。
特に宮城県第二位の都市・石巻市。震災時約16万人の人口だったが、震災で行方不明者や関連死を合わせると約4000人が亡くなっている。40人に1人が亡くなっている。助けられる命だった。逃げていれば。
犠牲者の家族達も自分を責めていると思う。自分が普段から津波の到来を予期していたのなら、家族の命は助かった。全力で対応していたら、助けられた命だった。
この死ぬまで続く後悔は正に生き地獄。悲しみを背負って生きて行かざる負えない生き地獄。それでも死者の為にも命を投げ出す訳には行かない。
それが生き延びた者の責任。悔やみの一生を全うするのが、生き延びた者の償いなのだと思います。
ではでは。