稚日女尊に付いては以前にも書きました。
ここで不思議なのは稚日女尊や粟島様は「比売、姫、媛」と称していない事です。「女」の字が付くのですから、稚日女尊は女神で間違いない筈。それなのに姫等の名称が付かない。これはどう言う事か。
これは結婚する前に亡くなったと言う事なのか。
粟島様は住吉の神と婚姻したが、経血で石燈籠を汚した為に島流しとなった。つまり婚姻は解消と買った。だから粟島様も姫とは名乗れないのか。その点も共通すると思います。
ただ、住吉の神との婚姻が成立していたのならどうなるのか。難しいですね、住吉の神は三神。もしくは三位一体の神だったりしますし。
私的には巫女だと考えますが、住吉三神の妻との説があるのは神功皇后です。
住吉三神は自分を敬わなかった神功皇后の夫・仲哀天皇を祟り殺した。その点が妻神とされたのでしょう。
住吉三神は神功皇后の三韓征伐の時、朝鮮への航海を導いた。それは住吉三神の星が航海の星・オリオン三ツ星だからと言えます。神功皇后は住吉三神に従ったのも妻神と考えられたのでしょう。
そして昼の航海は太陽が指標となる。夜はオリオン三ツ星が指標。道しるべ。
住吉三神の妻は天照大神であるとの伝承も残っているが、どちらも航海における重要な星。それで夫婦の神とされたのかも知れません。
ここで稚日女尊に戻ります。「稚日女尊」その名を訳せば「幼い太陽の女神」と訳せます。
しかし、稚日女尊は亡くなった。素戔嗚尊に愛馬の斑馬を殺されたのが切欠。
これは斑馬は天馬。天馬を失った稚日女尊は、太陽の様に天に昇る事が出来なくなった事を指します。
そして天照大神も素戔嗚尊を恐れ、天の岩戸に隠れた。太陽が昇らず真っ暗闇の世界となった。
この点から考えると「稚日女尊=天照大神」が成り立ちます。私的には「粟島様=稚日女尊=天照大神」と考えています。
以上が私の言い分ですが、日本には数社の粟島神社存在する。
熊本県の粟嶋神社には粟島大明神が祀られている。御利益は安産だから女神と考えられる。
米子市の粟島神社では「粟に小さな少彦名尊か弾かれた」と言う事で、少彦名尊が祀られていますが、これは多分、粟島様が忘れ去られ、配祀されていた少彦名尊の名が残ったと私は考えます。
では、どうして粟島様の名が隠された、或いは衰退したのか。
天照大神の荒魂は瀬織津姫ともされている向津媛神。そして天照大神前霊とされている大歳神が浮かびます。
大歳神は二神一体の神。大歳神の妻神である天知迦流美豆比売の名を、瀬織津姫や粟島様の名で隠したのではないか。天照大神の謎に近付けさせない為に。
私的にはそう考えます。
ではでは。