諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

かかりつけの床屋マスターとの会話。その2

2024年07月25日 16時05分43秒 | 人生
続きます。

私は「ご病気だったのですか」と聞いた。

マスターは「心不全でした。82歳でした」と返答。

高齢化社会だから右肩上がりに亡くなる人が増えているが、実は2021年から急角度に死亡者が増えている。

コロナが原因ではない。コロナで亡くなった人は現在までで7万人を超えるが、その反面、インフルエンザの死者が激減している。インフルエンザでの死者の方がコロナ死者よりも多かったのだ。

だとしたら原因は一つ。コロナワクチンしか考えられない。

私は注射恐怖症と言うこともあったが、視ていた神道系のユーチューバーの弟がワクチン接種した次の日に亡くなったのだ。

彼の弟は旭川の病院に勤めていた。医療関係者と言うことで一般人よりも早くに接種した。多分、コロナワクチンでの最初の死者だ。

更にはファイザーとモデルナだと記憶しているが、両社の経営者はコロナワクチン発売直後に自社株を大量に売りに出した。これから莫大な利益が予想されるのにだ。その点で私はコロナワクチンに不信感を感じだ。

現時点で、コロナワクチンによる死者と認定されている人数は2000人程度とされているが、本当はこんなもんではないと思える。

私の父もコロナワクチンを4回接種した後、レントゲンで膵臓に影が映っていた。87歳だったし誤嚥性肺炎で体力もなかったので胃カメラを飲めなかったから、膵臓癌だとは言い切れない。

しかし、コロナワクチンは人体の免疫を著しく下げると言われている。。事実、コロナワクチン接種後、癌で亡くなる人が増えている。

心不全の場合は原因不明とイコールだ。心不全で亡くなる人も急増している。

母は認知症であったが、コロナワクチンを打ってから更に認知症の症状が悪化した。ネット検索したら、認知症の患者も激増しているらしい。コロナワクチンとの関連も指摘されている様だ。

多分、動物実験での判断だろうが、コロナワクチンを7回接種した場合の余命は2年と言ってる医師もいる。

私はその話をマスターにし、「コロナワクチンは接種しないかも良いかも知れません」と話す。

マスターもその事実を認識していた。「4回打ったがもう打っていません」と語った。

82歳は女性の平均寿命を下回っているが、高齢者には変わりはない。しかし、前日までは元気だったのである。マスターも母親の死には不信感を持っているようだった。


続く。

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かかりつけの床屋マスターとの会話。その1

2024年07月22日 01時20分07秒 | 人生
数日前、かかりつけの床屋にバイクを走らせていて、ふと思ったのです。「水筒を忘れた。床屋で喉が渇いたらどうしよう」と。

実は二日前から抗うつ剤を絶っていたのです。少し調子良かったので。

それが「喉が渇いたら・・・」と不安に思っただけで鬱が降って来た。過呼吸もしている。バイク運転中に過呼吸はやばい。

落ち着こうとベンダー(自動販売機)で100円の550ml栄養ドリンクを購入。がぶ飲み。喉の渇きは落ち着いたが鬱は消えない。逆に「床屋でトイレに行きたくなったらどうしよう」と新たな不安が。

「こりゃダメだ、帰って抗鬱剤を飲んで寝るしかない」。そう思って帰宅。

次の日も完全には鬱は消えない。そして二日後、床屋に行ったら店は閉まっていた。貼り紙があり、「次の土曜日まで休みます」と書いてあった。

そう、私は重度のHSP。「床屋さんが1週間以上店を休むのは不幸があったからではないのか」と脳裏を駆け巡る。人柄が大変良いマスターだから気の毒に思う。

「仕方ない。10日後にまた来よう」と家に引き返す。

そして10日後。店に行くと予約がいっぱいで今日は無理とのこと。

「明日は大丈夫ですか」と聞いたら、「明日も分からないです」と返答。仕方なく帰った。

そして次の日。天気は雨。「雨だったら客も少ないのではないか」と考え、アウトドア用のレインコートを着て店に。15分待ちでやっと髪を切ることが出来た。

私は失礼とは思いながらマスターに聞いた。「一週間以上店を閉めていたのは、何かご不幸があったのではないですか」と。

マスターは「母親が亡くなりました」と。

やはりそうか。このマスターは50歳前後だろうか。私よりも年下。しかし、床屋ゆえの雑学に長けている。人となりも良い。人生を知っている。人格者だ。そんな彼でも流石に落ち込んでいる。

前の客とは釣りの話をしていたが、気丈に踏ん張って仕事をしている様だった。

何時もは私の悩み事を聞いてもらっていたが、今度は私が聞いてやろうか。

でも、宗教の話はタブーだ。店には聖教新聞が置いてある。間違いなく創価学会員だ。その点は考慮して私から話を切り出した。


続く。











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空腹も辛い。満腹も辛い。それ以上に掌の痛みが辛い。そして生きるのも辛い。

2023年12月26日 22時18分51秒 | 人生
私は本当に太りやすい。多分、ギャル曽根の10分の1も食べていないのに何で太るのだ。なるだけ食べないようにしているのにまた太ってきた。

食事は夜に集中して食べる。それが太りやすい原因なのは分かっている。だが、食べないと寝られない。空腹で寝られないのだ。

それで食べてしまう。次にやって来るのは罪悪感。そして鬱。

どうも糖分が鬱を誘発するらしい。炭水化物を食すると体内で糖分に代わる。その糖が鬱のエサになるみたいだ。

だからと言って炭水化物を抜くのは難しい。御飯、麺類、パン、全部炭水化物だ。それ以外は野菜と肉、魚、卵、大豆しかない。果物は糖分があるが、炭水化物よりは良いみたいだ。

何時も午後5時頃に最初の食事をする。空腹に耐えかねて。

でも、この時間帯に食べると夜の0時頃にも空腹感が襲ってくる。寝れない。

それでも床に就く。睡眠薬を飲んで横たわる。寝れない。睡眠薬の効果よりも空腹感が上回る。それでまた食べてしまう。

食べれば空腹感は収まるが鬱が深まる。腹周りに鬱が忍び寄る。腹から鬱になる。

それで抗鬱剤を飲む。毎日がこんな感じだ。

空腹も辛いが、満腹も辛い。こんな苦しみの連鎖でも最終的には沸点に到達する感じがする。

酒でも飲んでいたら人生なんてどうでも良くなって、自殺してしまう可能性は私にもある。

それでなくても左の掌の鈍い痛みで祟り神になりそうなのだ。精神が痛む左の掌に集中する。鈍くても消えない痛みは本当に辛い。仏教ではこんなのも修行となるのかなぁー。

こんなのが修行だとしたら、何のメリットがあるのか。死んでからあの世で立場が上になるのか。

仏教で悟りの境地に至っても痛みには耐えられないと思う。

釈迦だって痛みには耐えられないと思う。イエスだって十字架にかけられて神に恨み言を言ったのだ。誰だって痛みには負けるし、辛さを感じる筈だ。

生きることは辛さとの戦いだ。確かに生きることは修行なのかも知れない。修行が終われば楽になれる。

人生のゴールは死。死ぬ為に生き続けるのか。

毎年、クジラが群れで砂浜に打ち上げられる。理由は分からないみたいだが、あれは自殺では無いのか。

クジラやイルカの知能は高い。死の概念は分かっていると思う。

人間が満ち潮時にクジラを海に戻しても、また砂浜に向かう。あれは生きるのが辛いから死んで楽になろうとしているのではないか。

獲物を追って食べる。毎日、その繰り返し。そんな生き方に疑問を持った。飽きた。疲れた。苦しいと思った。だからクジラ達は集団で死を選ぶのではないか。生きるのが辛くなって。

うーん、分からない。生き続けて何の価値があるのだろう。

ってな事を考えて自殺してしまうのだろうなー、昔の小説家達は。

BIG FUN。

何か楽しみがあるから生きていけるのだと思うが、冷めた心は熱くなる事はあるのかなぁー。

昔の様にBIG FUNを感じられるようになれれば生き続けられる気がするが、どうなんだろうなぁー。

あっー、こんな事を考えるのは、私も歳を取ったと言う事なのだろう。来年は還暦だし。

あっー、歳は取りたくないなぁー。

あっー、人生は分からない方が良い。人生、先が見えたら、分かってしまったらお終いだなぁー。

もしかしたらこれが悟りの境地なのかも。

人生、悟ったらお終いだ。そこが仏教の疑問点だ。

うーん、支離滅裂になってきた。年末に何を考えているのだろうなぁー、私は。


ではでは。

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事故物件に住む感覚。その2

2023年10月26日 18時57分12秒 | 人生
回りくどい事を書いてしまいました。続きます。

兄が自殺した。その家に弟家族が住む。その目的はもしかしたら心理的瑕疵の帳消しだったのかも知れません。

でも、勘違いした可能性がある。

賃貸物件の部屋で自殺者が出た。その後に新しい賃貸人が住んだ。そして3年間住み続けた。そうすれは自殺の告知義務は無くなります。

しかし、売買物件は違うのです。基本的に期間は問わず告知義務があるのです。

それを弟夫婦は後々知ったのかなぁー。だから諦めて低価格で売りに出したのかなぁー。

実は私の住む家の周辺は自殺者が多いです。斜め向かいのマンションでも自殺者が出ていますし、同じマンションで殺人事件もありました。

私が以前住んでいた家の隣は畳屋でしたが、同じ通りの自殺者が出た物件に引越ししました。

当時、2600万円の価値はあったと思いますが、1900万円で購入しています。自殺者が出たから700万円のディスカウントです。

その家に暫く住んでいましたが、畳屋を畳んて娘夫婦の家に同居。古屋は更地にして売却。

土地購入者が新しい家を新築しましたが、それならそれほど気にしなくても済むか。私は実感できないが。

私の家の近くに袋小路の家がありました。火事になって全焼しました。

その跡地に貼り紙がありました。

「うちの息子は精神を病んで長年苦しみ、自宅に火を付けて亡くなりました。ご近所の皆様方には大変なご迷惑をおかけしました。謹んでお詫び申し上げます」と書かれてあった。

この文章は効きましたねぇー。物凄い悲しみが私を襲いました。ずっとその貼り紙を見てました。親が気の毒で仕方が無かったです。親の悲しみに涙も凍り付きました。

その土地は今もそのままになっています。道路に2メートル以上接していないと、家は再建築出来ないからです。

その親は息子と自宅を失った。土地の価値もゼロに等しくなった。

私が自殺した息子なら自宅を放火なんてしない。親を憎んでいてもそんな迷惑はかけない。人に知られず山の中で自殺する。

それが自殺のマナーだとは思うのですが、それは私の心にまだ、余裕があるからそう言えるのでしょう。

でも火災では無く自宅での首吊りで息子が自殺した場合、親は家に住み続けられるだろうか。私が親だったらどうするか。

死んだ息子の想い出を置いて他の家には移れない。他人からは噂されるだろうけど住み続けると思う。

でも、それって辛いだろうなぁー。

更に鬱は深まりそうだが、息子の霊は家に残っている。やっぱり移れない。

息子の後を追ってしまう可能性もあるが、それは仕方がないと思う。自殺した息子の霊に寄りそう責任が親にはあると思う。やっぱり居るべきだと思う。

そう言えば或る地元の大学教授の娘が、自宅の風呂で寝てしまい亡くなった事件があった。父親である大学教授のブログでそれを知った。

大学教授は福祉を教えていた。震災復興にも力を入れていた。実家はお寺だった。善なる人だった。その人は大荒れに荒れた。

「仏を信じていたのに、復興に力を入れていたのに」とブログで荒れ狂っていた。

私もその出来事を知り、世の中が分からなくなった。仏教を熱心に信仰していても不幸は訪れる。善行を施しても同様。人生は理不尽だと思った。

娘は銀行員で資格試験の勉強を深夜までしていた。そして翌日、試験を受けて同期社員と試験の打ち上げで酒を飲み、職場からはなり離れた自宅に深夜になって戻った。そして午前1時頃、風呂に入って亡くなった。

この場合もキツイ。娘は23歳。人生これからだった。

家族は自宅の風呂に入る度に娘を思い出す。悲しみが襲ってくる。でも、誰も恨むことは出来ない。

恨むとしたら娘を飲みに誘った銀行の同期社員か。試験を受けさせた銀行か。職場から遠い場所に自宅を建てた父親の自分か。頑張り過ぎた娘か。

資格試験は97点で合格。そんな合格に、そんな点数に何の価値があるのか。私なら気が狂います。

でも、やはり自宅には娘の霊が残っている。辛い思いをしたとしても娘を置いて別の家には移れない。残るしかない。

さて、前に住んでいた人が自殺した家に自分は住めるか。

何の所縁も無い他人が自殺した家には私は住めません。無理でしょう。怨念を残しているのだから。

前言撤回しちゃいますが、やっぱり家の中での事故で亡くなっていたとしても住みたくはないかなぁー。

家で安らかな死を迎えたのであるならば、大丈夫かも知れないけど。

そう言えば我が宗家の永井直勝は、自分が討った池田恒興の鎧を寝所に祀っていた。自宅敷地には池田恒興の頭蓋骨をご神体とした池田神社を建立していた。

永井直勝は神仏習合で曹洞宗のお寺で生まれた。家は熊野権現の神社も兼ねていた。だから自分が殺した池田恒興の霊をそうやって弔ったのだろう。

自殺した人の霊と向き合って生活する覚悟があるのであれば、事故物件に住んでも大丈夫か。

その信念があるのであれば、良いのかも知れない。

っとは言え、心が弱っている今の私には無理な相談だ。その家には安らぎを求めてはいけない気がする。

うーん、やっぱり今の私には答えは出せそうもありません。難し過ぎる。

私は重度のHSP。自殺者の気持ちを過剰に享受してしまう。タレントの後追い自殺をする人もHSPだと言える。

やっばり私は住めない。私は住まない方が良いと思う。


ではでは。


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事故物件に住む感覚。その1

2023年10月26日 00時28分13秒 | 人生
私、終の棲家は私の故郷、福島県のいわき市で過ごしたいです。

しかし、放射能の問題で地価がとんでもなく上昇した。

面積だけは巨大な「いわき市」の中心地・平を、ちょっと離れれば部落なのです。それなのに地価が高い。部落なのにちょっと豪華な中古物件が5000万円以上していた。

平の普通のファミリー向け中古マンションでも4000万円近い。バカ高です。仙台市の中心部のマンションよりも高い。それで諦めていました。

しかし、帰宅困難地域の閉鎖が解除された。私的にはもう放射能の問題は無いと考えています。それで地価も下がってきた。

私はその昔、私の家系の者が移り住んだであろう三和町の永井に住みたいのです。

ここ、何にもない所。過疎も過疎。店舗と言えば土日営業の「いこいの学校 長居小」と冬場と平日は営業していない「農家蕎麦屋」があるだけです。生活する上では大変不便です。

でも、良いのです。私が気に入っているのですから。

この地には旧鬼渡神社である永井神社を参拝しに、何度も通っています。この永井神社の両脇には家がありますが、どちらも空き家です。空き家だらけです。それなのに売り家が殆ど出ないのです。

多分、一度大幅上昇したのでまた上がると思っているのではないでしょうか。

確かに中国経済が崩壊し、日本の工場が中国から引き揚げてきた場合、福島県の浜通りに工場を建設するケースが増えると思います。

特に小名浜は一級の港です。輸出企業にとって好都合の場所です。また、地価も上がる可能性が高いです。

でも、三和町永井は山の中。工場は増えるかどうか。三和町には高速道路のインターチェンジがあるから増える可能性はあるが、どうなのでしょうねぇー。

浜通りは震災で空き家だらけ。否、津波で更地だらけです。広大な更地があります。

また津波の危険性はありますが、津波避難地を多く設けているので命は助かると思います。

やっぱり工場なら高速道路も通っている浜通りを狙う筈。やっぱり三和町は廃れる一方だと思います。それでも良いですから三和町永井に住みたいですね、私は。

そう言う事で、いわき市の中古一軒家の物件を良く見ています。

そして発見しました。割と豪華で真新しい家なのに、400万円台で売りに出ている中古物件を。

うーん、地価が下がり切っていない「いわき市」で、この価格は安い。でも、場所は私の土地勘が無い勿来周辺。

勿来なら工場が多い小名浜からも近い。地価もそれほど下がらないと思うが、400万円台は安過ぎる。それでしっかりと資料を見たら「心理的瑕疵有り」とあった。

私は爺様が正月に餅を喰って窒息死した程度なら問題視しない。家で亡くなる人は多い。津波の被害者が1万人を超えている宮城県に住んでいるのである。そこまでは気にしない。

孤独死も気にしない。人間、孤独に死んで何が悪い。病院で病で死ぬよりよっぽど良い。

昨年、私の父が主に誤嚥性肺炎で亡くなったが、コロナのせいで誰も見舞いには行けなかった。病院から呼び出された時はもう意識が亡くなっていた。約3か月会えなかったが、別人の様に痩せていた。

三か月間、食事もできず点滴のみで生きていた訳だが、この死に方は地獄だと思う。それならポックリと孤独死した方が何倍も幸せだ。

っとは言うものの、腐敗していたら流石に嫌だな。

そう思って物件の写真をしっかりし見たが、その形跡は無い。問題はなさそうだ。

それで冷やかしで、物件を扱っている「いわき市」の不動産屋へネットで資料請求し、心理的瑕疵の理由を質問してみた。

帰って来た答えは自殺だった。自殺者の弟家族が暫く住んでいたが、売りに出す事を決意したようだ。

うーん、自殺か。うーん。

私も世の中の理不尽さを恨んでいる。禍を運んで来た肉親も恨んでいる。

でも、不思議な事に私に禍を運んだ者は皆、不幸になった。大喧嘩した腐った根性の同級生がいたが、ふと思い出して友人に聞いてみたら20年前に亡くなっていた。

父母に対しても恨みがあった。だから父母とも不幸な晩年になった様に思える。

人を恨む。呪う。そしてその者は祟りを受ける。それって本当にあるのではないか。

否、稀代の悪党であるジャニー喜多川は、罰を受けずに幸せな人生を送って死んでいった。奴を恨んでいる者は大勢いた筈。それなのに良い人生を送った。やっぱり人生は理不尽だ。


続く。


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