ELLの足跡

人は最後は一人だという・・・でも、・・・今は妻が傍にいてくれる・・・

高倉健さんの知られざる一面・・・

2014-11-19 | 雑記
昨日、高倉健さんの事務所「高倉プロモーション」が発表したコメント・・・
 生ききった安らかな笑顔でございました。
 「行く道は精進して、忍びて終わり悔いなし」
 83歳の命を全ういたしました。治療に携わってくださいました病院スタッフの皆様から温かい涙とともにお見送りを頂き、故人の遺志に従い、既に近親者にて密葬を執り行いました。

 これまで、お励ましいただきました皆様、心より深く感謝申し上げます。ありがとうございました。今は、お一人おひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りをささげていただけますことを願っております。
男は黙して語らず・・・高倉健という映画俳優そのままの人生を歩まれたような気がします・・・

素晴らしい・・・本当に素晴らしい生き様を見せて頂き有難う御座いました・・・合掌・・・


今朝は、垣間見ることが出来なかった高倉健さんの人物像を紹介してみようと思います。

~以下、11月19日スポーツ報知より抜粋~

野球で伝説…打った後、三塁に走った

蛭間豊章のヒルマニアのロゴ
89年、近鉄の祝勝会で仰木彬監督㊧、
中西コーチ㊨と握手する高倉健さん
仰木監督・中西コーチと握手する高倉健さん
 昭和20年代から30年代にかけ松竹、大映、東映の各映画会社がプロ野球チームを持っていたこともあり、球界と映画界という当時の2大娯楽の距離は近かった。また、映画人野球大会は毎年後楽園球場で開催され、多くのファンが詰めかけるなど人気を博していた。
奥ゆかしく断ったイチとの対談
 健さんは福岡の東筑高校で元近鉄、オリックス監督の仰木彬氏の4年先輩にあたり、交友もある。それでいながら、野球は素人同然でもっぱら応援する側だったという。ちなみに東映の撮影所は野球大会で「健さんは打った後、三塁に走った」という伝説が残ってるそうだ。

 それでも、当時だから野球をやるシーンの役が回ってくる。デビュー2年目の1957年の「喧嘩社員」では大卒のエース役として、巨人・藤田元司投手ばりの豪快な投球フォームを披露した。

 1992年公開の米国映画「ミスター・ベースボール」では中日ドラゴンズの内山監督役。テーマは野球とベースボールの違いを訴えている。叱咤(しった)激励する鬼指揮官ぶりと、その裏側にある優しさなど、当時の星野仙一監督を彷彿(ほうふつ)とさせはまり役だった。現役のレオン、アニマルらの助っ人外国人に交じり、今年野球殿堂入りを果たしたF・トーマスも新人役で出演して話題になった。

 「居酒屋兆治」(83年公開)では高校時代に投手として地元のヒーローとなりながら、肩を痛めてプレーを諦めた居酒屋の主人役。原作は山口瞳さんの小説だ。元恋人との葛藤や、居酒屋にたむろする人々を巡る哀感を描いた映画だった。健さんが期待する高校球児も、自分と同じく肩を痛めて断念するのだが、そのねぎらいが泣かせた。

 以前、イチロー(ヤンキース)との対談企画があったそうだが、2年前のスポーツ報知のインタビューによれば「野球の詳しい話ができないから申し訳ない」と断ったという。野球を決して知らないわけではないはず。奥ゆかしさが感じられる立ち居振る舞い。往年の映画スターらしさを最後まで残した人生だったようだ。

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2 コメント

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ありがとうございます。 (ヒルマニア)
2014-12-06 09:28:25
私のコラムを掲載していただき、ありがとうございました。野球記者の端くれです。今後ともよろしくお願いします。
返信する
こちらこそ (nobutoshi3)
2014-12-06 09:43:53
こちらこそ、私達の知らないことをご紹介して頂き感謝しております。
有難う御座いました。
返信する

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