こんにちは(*^_^*)
今日は日向がぽかぽかと暖かいです。
12月もあっという間に半ばとなりました。
短歌関係まとめて3日分です。
7日は結社誌校正。
お昼のお弁当です。
会員の方差し入れの「ぽると」。
後でお礼の葉書を描くために写真撮影。
いつもは金曜日と日曜日に分かれて
作業している校正部、
必ず年の最後は一緒に作業し、
親睦を深めるための忘年会が開かれます。
今年は二子玉川のイタリアン「メッシーナ」。
ごきげんにおいしいビールでした。
ワインも❤
シラスのピザと手長海老のパスタが珍しいです。
酔っ払って楽しいひとときを過ごしました。
13日は『思草』講読会と東京歌会。
講読会、S沼さんの差し入れです。
夕焼けがあまりにきれいで皆で見とれました。
やっと368首まで終わりました。
550首まであとおよそ1年。
続いての東京歌会はお久しぶりのY代さんが
お芝居と落語会のチラシを持ってきてくださいました。
牧水賞授賞の大松達知さんがゲストです。
先生とお二人で講評をしてくださり、勉強になりました。
2次会は忘年会。
「赤ひょうたん」からお酒が差し入れられました。
大松さんにサインをいただいた『ゆりかごのうた』
男親の愛情に、泣かされました。
忘年会恒例の鍋。からっぽになりましたにゃ。
14日は白蓮の講演会です。
またまた立教大学に来ましたが、
ツリーの点灯は見られませんでした。
構内は冬の装い。
スズカケの径。
スズカケも葉を落とし空がまぶしいです。
これです。池袋学「柳原白蓮の戦後」
太刀川記念館ホールで開かれます。
先月の相模湖での斎藤佐知子さんの白蓮のお話は
主に戦前についてでしたので、
この時の井上洋子さんの講演は
ちょうどその後のお話になります。
長男香織を戦死させたことが契機となり、
白蓮は平和運動を精力的に行います。
「悲母の会」「世界連邦運動」のため、全国を講演して回ります。
この時の色紙が各地にのこっているのだそうてす。
白蓮が伝右衛門が輸入したフォードに乗っている、
興味深い写真もありました
白蓮はこれに信綱をのせて大宰府などを案内したそうです。
「牛車のようだ」と信綱が言ったとか。
明治44年、白蓮が伝右衛門に嫁してから
大正10年に出奔する10年の間のことと思いますが、
確かめられていません。
また、講演会のちらしにも使われていますが、
このよく見る白蓮の写真は
竹久夢二のデザインの半襟をつけているのだそうです。
『踏絵』も夢二の装丁ですし、
デザインの封筒も使っていたそうです。
夢二ファンでいらしたのですね。
お嬢さんの蕗苳さんもいらっしゃるはずだったのですが、
対談が実現しなかったのは残念なことでした。
今日は日向がぽかぽかと暖かいです。
12月もあっという間に半ばとなりました。
短歌関係まとめて3日分です。
7日は結社誌校正。
お昼のお弁当です。
会員の方差し入れの「ぽると」。
後でお礼の葉書を描くために写真撮影。
いつもは金曜日と日曜日に分かれて
作業している校正部、
必ず年の最後は一緒に作業し、
親睦を深めるための忘年会が開かれます。
今年は二子玉川のイタリアン「メッシーナ」。
ごきげんにおいしいビールでした。
ワインも❤
シラスのピザと手長海老のパスタが珍しいです。
酔っ払って楽しいひとときを過ごしました。
13日は『思草』講読会と東京歌会。
講読会、S沼さんの差し入れです。
夕焼けがあまりにきれいで皆で見とれました。
やっと368首まで終わりました。
550首まであとおよそ1年。
続いての東京歌会はお久しぶりのY代さんが
お芝居と落語会のチラシを持ってきてくださいました。
牧水賞授賞の大松達知さんがゲストです。
先生とお二人で講評をしてくださり、勉強になりました。
2次会は忘年会。
「赤ひょうたん」からお酒が差し入れられました。
大松さんにサインをいただいた『ゆりかごのうた』
男親の愛情に、泣かされました。
忘年会恒例の鍋。からっぽになりましたにゃ。
14日は白蓮の講演会です。
またまた立教大学に来ましたが、
ツリーの点灯は見られませんでした。
構内は冬の装い。
スズカケの径。
スズカケも葉を落とし空がまぶしいです。
これです。池袋学「柳原白蓮の戦後」
太刀川記念館ホールで開かれます。
先月の相模湖での斎藤佐知子さんの白蓮のお話は
主に戦前についてでしたので、
この時の井上洋子さんの講演は
ちょうどその後のお話になります。
長男香織を戦死させたことが契機となり、
白蓮は平和運動を精力的に行います。
「悲母の会」「世界連邦運動」のため、全国を講演して回ります。
この時の色紙が各地にのこっているのだそうてす。
白蓮が伝右衛門が輸入したフォードに乗っている、
興味深い写真もありました
白蓮はこれに信綱をのせて大宰府などを案内したそうです。
「牛車のようだ」と信綱が言ったとか。
明治44年、白蓮が伝右衛門に嫁してから
大正10年に出奔する10年の間のことと思いますが、
確かめられていません。
また、講演会のちらしにも使われていますが、
このよく見る白蓮の写真は
竹久夢二のデザインの半襟をつけているのだそうです。
『踏絵』も夢二の装丁ですし、
デザインの封筒も使っていたそうです。
夢二ファンでいらしたのですね。
お嬢さんの蕗苳さんもいらっしゃるはずだったのですが、
対談が実現しなかったのは残念なことでした。