みなさま、こんばんは(*^_^*)
ずいぶんごぶさたしていますが、
お変わりございませんか
ノイバラは先日、ついに念願の
三渓園に行ってまいりました!
広大な三渓園を作ったのは、原三渓。
三渓は信綱と親しかった方です。
生糸貿易により財を成した実業家で
本牧に住まいを移すと、古建築の移築を開始し、
1906年(明治39)三溪園を無料開園するほか、
美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。
『明治大正昭和の人々』にも描かれていますが、
原氏が所蔵する「藍紙(らんし)万葉集」を見せてもらいに
信綱が横浜本牧の自宅(三渓園)を訪れたのが始まりです。
大正5年、タゴールが園に滞在した時には
信綱は会うことを得、語り合うひと時をもちました。
園内の丘の上にある三重塔は
信綱が「あそこに三重塔か五重の塔があるといい」と
言ったことから、数年後、山城にあった室町時代の
燈明寺の三重塔が移築されたということです。
また、昭和35年5月、
三渓の記念碑の副碑の碑文を頼まれ書いたそうですが、
その碑を見ることができたのも、うれしいことです。
三渓自身、信綱との縁で短歌を始め、『青瑯玕』を上梓。
三渓の妻安子、長男の善一郎、長女春子も
心の花同人となられました。
しかし!!
三渓園は遠いのです・・・(´;ω;‘)
横浜からバスで30分・・。
横浜まで1時間・・。
歩く時間、待つ時間を含めると、
2時間以上かかります。
これが5年以上も行きたいと思いながら
行けなかった理由です。
ここからは写真が多いですから、
お時間のおありの方だけどうぞ<m(__)m>
根岸駅は初めて下車しました。
根岸駅前のトイレの水道は昔なつかしい、
取っ手がなくて、下の突起を押し上げるタイプ。
しかし、これが一番衛生的でしょうか。
根岸湾が埋め立てられてゆく様子。
後で見た三渓園も昔はすぐ下が海岸、
海水浴もできたのに、海岸線はずっと遠く、
コンビナートが立ち並んでいました。
地図だと近そうなんですが。
バスで行きます。
しゅっぱ~つ。
約10分で本牧バス停。ここから歩きます。
本牧にはすずめちゃんがたくさんいます❤
お腹がすいたので、このパン屋さんでコロッケパンを買いました。
住宅地をかなり歩きましたにゃ。
お、猫ですにゃん❤
いっぱいいます❤
ネコを住まわせておく、なんていいところなんでしょう。
入り口。
広いのですにゃ~。
池の周りに建物が配置されていて、
ゆっくりと歩くと全部で半日くらい?
時間はたっぷりありますので、
のんびりまいります。
池のほとりで・・。
腹ごしらえ。
ここまでたどりつくのにひと仕事でした。
池の周りをまわります。
蓮池。
昔の様子。
鶴翔閣は原さんの自宅です。
立派ですにゃ~。
信綱もここに通されたんですね。
生憎、展示会のため、内部を見ることはできませんでした。
おっきなにゃんこです。
ノイバラは見てました。
この子がアゲハ蝶をキャッチするためにジャンプするのを。
尻尾が太いです。
洋猫かもしれません。
あれ、この子、ついてくる?
のびのびとしています。
大切にされているんですね。
三渓の記念碑と信綱の碑文発見。
三渓の業績をたたえる文章と歌1首。
例の三重塔の歌のようです。
・山の上の古塔仰ぎゆく池そひ道風やはらかに海よりいたる
昔の鶴翔閣。
このふとーいしっぽで撫でられました。
エサを貰おうと集まってくる・・魚、鳥、亀。
ウノハナ。ツツジ。
御門。ここから奥は内苑と呼ばれています。
確か、京都からもってこられた門です。
昔は釘を使わなかったので、解体、移動、くみ上げが
今より楽だったのかもしれません。
それにしても、ただならぬことですね。
移築、相当お金もかかることだと思います。
白雲亭。
臨春閣。
旧 天瑞寺寿塔覆堂(てんずいじじゅとうおおいどう)。
難しい名前ですにゃ(・ω・;A
この小さな橋には真ん中に
座るところとお屋根があって、ステキです。
あちらこちらから移築した建物が
うまく調和しているのは、
配置が巧みなのと、
こんなふうに建物どうしを繋ぐ道具立てに
工夫がこらされてるからなんだと思います。
臨春閣つづき。
瓢箪文手水鉢。
上り坂・・(・ω・;A ぜーはー←体力がない
下り坂・・(・ω・;A ふーふー
月華殿。
金毛窟。
天授院。
聴秋閣。
春草盧。
蓮華院。
この門を出ると海へ開いた南門です。
少し歩くらしいので、引き返します。
あら、さっきのとこで。
ステキですにゃ❤
お花が星型に咲く珍しい桜だそうです。
お茶屋さんでいただいたお昼。
中から氷がでてきてびっくり!!
おいしゅうごさいました。
松風閣はタゴールが滞在したところです。
関東大震災で倒壊し、今は見晴らし台になっています。
階段、石の部分がすり減ってへこんでいます。
>後編へ続く
ずいぶんごぶさたしていますが、
お変わりございませんか
ノイバラは先日、ついに念願の
三渓園に行ってまいりました!
広大な三渓園を作ったのは、原三渓。
三渓は信綱と親しかった方です。
生糸貿易により財を成した実業家で
本牧に住まいを移すと、古建築の移築を開始し、
1906年(明治39)三溪園を無料開園するほか、
美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。
『明治大正昭和の人々』にも描かれていますが、
原氏が所蔵する「藍紙(らんし)万葉集」を見せてもらいに
信綱が横浜本牧の自宅(三渓園)を訪れたのが始まりです。
大正5年、タゴールが園に滞在した時には
信綱は会うことを得、語り合うひと時をもちました。
園内の丘の上にある三重塔は
信綱が「あそこに三重塔か五重の塔があるといい」と
言ったことから、数年後、山城にあった室町時代の
燈明寺の三重塔が移築されたということです。
また、昭和35年5月、
三渓の記念碑の副碑の碑文を頼まれ書いたそうですが、
その碑を見ることができたのも、うれしいことです。
三渓自身、信綱との縁で短歌を始め、『青瑯玕』を上梓。
三渓の妻安子、長男の善一郎、長女春子も
心の花同人となられました。
しかし!!
三渓園は遠いのです・・・(´;ω;‘)
横浜からバスで30分・・。
横浜まで1時間・・。
歩く時間、待つ時間を含めると、
2時間以上かかります。
これが5年以上も行きたいと思いながら
行けなかった理由です。
ここからは写真が多いですから、
お時間のおありの方だけどうぞ<m(__)m>
根岸駅は初めて下車しました。
根岸駅前のトイレの水道は昔なつかしい、
取っ手がなくて、下の突起を押し上げるタイプ。
しかし、これが一番衛生的でしょうか。
根岸湾が埋め立てられてゆく様子。
後で見た三渓園も昔はすぐ下が海岸、
海水浴もできたのに、海岸線はずっと遠く、
コンビナートが立ち並んでいました。
地図だと近そうなんですが。
バスで行きます。
しゅっぱ~つ。
約10分で本牧バス停。ここから歩きます。
本牧にはすずめちゃんがたくさんいます❤
お腹がすいたので、このパン屋さんでコロッケパンを買いました。
住宅地をかなり歩きましたにゃ。
お、猫ですにゃん❤
いっぱいいます❤
ネコを住まわせておく、なんていいところなんでしょう。
入り口。
広いのですにゃ~。
池の周りに建物が配置されていて、
ゆっくりと歩くと全部で半日くらい?
時間はたっぷりありますので、
のんびりまいります。
池のほとりで・・。
腹ごしらえ。
ここまでたどりつくのにひと仕事でした。
池の周りをまわります。
蓮池。
昔の様子。
鶴翔閣は原さんの自宅です。
立派ですにゃ~。
信綱もここに通されたんですね。
生憎、展示会のため、内部を見ることはできませんでした。
おっきなにゃんこです。
ノイバラは見てました。
この子がアゲハ蝶をキャッチするためにジャンプするのを。
尻尾が太いです。
洋猫かもしれません。
あれ、この子、ついてくる?
のびのびとしています。
大切にされているんですね。
三渓の記念碑と信綱の碑文発見。
三渓の業績をたたえる文章と歌1首。
例の三重塔の歌のようです。
・山の上の古塔仰ぎゆく池そひ道風やはらかに海よりいたる
昔の鶴翔閣。
このふとーいしっぽで撫でられました。
エサを貰おうと集まってくる・・魚、鳥、亀。
ウノハナ。ツツジ。
御門。ここから奥は内苑と呼ばれています。
確か、京都からもってこられた門です。
昔は釘を使わなかったので、解体、移動、くみ上げが
今より楽だったのかもしれません。
それにしても、ただならぬことですね。
移築、相当お金もかかることだと思います。
白雲亭。
臨春閣。
旧 天瑞寺寿塔覆堂(てんずいじじゅとうおおいどう)。
難しい名前ですにゃ(・ω・;A
この小さな橋には真ん中に
座るところとお屋根があって、ステキです。
あちらこちらから移築した建物が
うまく調和しているのは、
配置が巧みなのと、
こんなふうに建物どうしを繋ぐ道具立てに
工夫がこらされてるからなんだと思います。
臨春閣つづき。
瓢箪文手水鉢。
上り坂・・(・ω・;A ぜーはー←体力がない
下り坂・・(・ω・;A ふーふー
月華殿。
金毛窟。
天授院。
聴秋閣。
春草盧。
蓮華院。
この門を出ると海へ開いた南門です。
少し歩くらしいので、引き返します。
あら、さっきのとこで。
ステキですにゃ❤
お花が星型に咲く珍しい桜だそうです。
お茶屋さんでいただいたお昼。
中から氷がでてきてびっくり!!
おいしゅうごさいました。
松風閣はタゴールが滞在したところです。
関東大震災で倒壊し、今は見晴らし台になっています。
階段、石の部分がすり減ってへこんでいます。
>後編へ続く
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