ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

ファンタジーとコミュニケーション

2010-11-26 12:18:04 | 植物

長らくのご無沙汰でございます。
みなさまおかわりございませんか。
サザンカの蜜は甘いのです。
とろりと花弁の垂れているのをなめてみたら
おいしかったです(*^_^*)←あいかわらず食いしんぼです


街はすでにクリスマスの気分です。


今年の紅葉はことのほか美しく、
あまり外出はしないのですが、
通勤途中、また職場で紅葉を堪能しています。
     

いつもの無人販売所で直径3センチほどの
かわいらしいイチジクを見つけたので、
甘露煮にしてみました。


イチジクには女性ホルモン様の成分が入っているとか。
母や義母がよく食べていましたが、
いよいよ私も「イチジク世代」の仲間入りでしょうか。

    * * * * *

さて、「ファンタジーとコミュニケーション」とは何でしょうか。

今、寝食を忘れてRPGオンラインゲームにはまっているのですが、
何故こんなにこの世界にひきつけられるのか、
わが身を分析してみることにしました。

オンラインゲームなんていうのは若い人がやるもので、
まったく他人ごとと思っていたのですが、
やり始めてみると、この複雑な面白さは、
じつにいろいろな要素を満足させられるものなのだと気づいたのです。

私はティーンエイジャーの頃は趣味が、読書と文通でした。
なぜ読書かというと、まずはリアルの世界が
ものすごく野蛮に感じられたからです。

自分を守るために夢想が必要でした。
『まぼろしの白馬』(エリザベス・グージ)という
イギリスの児童文学を繰り返し読みました。
そばかすだらけの小柄な少女マリアが、古いお城に住むことになって
ペーターという少年と冒険するのです。

そばかすは今では何でもありませんが、
幼い頃のからかいの種でありコンプレックスであり、
ずいぶん辛い思いをしたので、
このお話でマリアが初めて銀の鏡に自分の顔を映し、
「そばかすがない」と幸せになる場面があって、
何度も繰り返し読みました。

その後の読書は小説やノンフィクションに移行しましたが、
おそらくあの本が私の原点です。

RPGは「これだ!」と思いました。
作中人物を自分と重ねあわせるのと同じです。
リアルは思いのままにならないことだらけですが、
自分のなりたいキャラクターを選べるのです。

文通が何故好きだったかというと、
もちろん文章を書くのが好きだったというのもありますが、
ナマでない人間関係が楽だったのだと思います。
コミュニケーションが嫌いではありませんが、
文章を通じたほうが、淡い関係であり、
かつ心は通わせることができて、楽だったのです。

おそらく今のオンラインゲームはその二つの要素を
完全に満足させてくれるものなのです。
もちろん架空の名前ですから、人物は特定できませんが、
リアルだって名前は符号にすぎないという気もします。
家族のことだって、本名を呼び合って生活をともにしていますが、
本当のところはわからないではありませんか。

さらに私は文字だけよりもビジュアルがプラスされた世界が好きで、
このブログでも、写真が貼れるところが気に入っていますが、
オンラインゲームでは、チャットができるので、
動画+文字によるコミュニケーションが同時に楽しめます。

オンラインゲームの画像は美しく、同じようなCGの映画を見るくらいなら、
こちらの方がずっと楽しいです。
なぜなら、映画は受け身で何度見てもストーリーは決まっていますが、
ゲームでは画面に参加して、自らストーリーを作ることができるのです。

同じ人が作ったキャラクターでも同じ運命をたどることはありません。
ゲーム上で、他のプレイヤーが作ったキャラクターとの出会いがありますが、
それは普通の人間関係と同じで、時と場所によって違う出会いがあるからです。

今、「大航海時代」に二つのキャラクターを持っている私ですが、
それぞれ違う人生を生きています。

この平成の世を生きて、オンラインゲームの世界を知ることができて、
私はなんてラッキーなのでしょう!

短歌という世界とかかわる方法を身に付けているので、
オンラインゲームをしながら、
これが歌にならないかしらと考えるのも楽しいです。
理解されがたいかもしれないけれど、
ゲーム世代である30代以下の人には
すんなりと読んでもらえるのでは?

・・・と期待するノイバラでした。

飽きるまでしばらくはまってみようと思います。

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