みなさま、こんにちは(*^_^*)
よいお正月をお迎えのことと存じます。
年末からお正月2日まで、
食べて飲んで
おんじきに倦み、
3日からは普段の生活に戻りました。
大晦日までやっていた、
結社の先輩の昭和23年の歌文集を
打ち込む作業の続きをやっていました。
白岩つや子『芙蓉』。364首。
何しろ、うすい和紙の和綴じ、
手書きのガリ版刷りなので読みにくく、
破れる恐れもありますので、
引用するために歌の部分だけでもと
データ化しました。
校正してみたら2ページずつを
何度も飛ばしているのを発見。
紙が薄すぎてひとめくりで2ページ先に
行ってしまうのでした。
やっと終わって2冊目。
明治36年23歳の時の歌文集『みともの旅』も
あやうい感じだったので、歌部分だけ抜き書き。
父、夫と一緒の旅の紀行文に挿入された歌ですので、
艶子の歌、あまり数はありません。
ここでは変体仮名に苦しみ、
新たに作った変体仮名表とくびっぴきで読みました。
(以前いただいたのがどこに行ったのか・・(・ω・;A )
ようやくそれも終わったので、
久しぶりにFBを覗いたら、
タイムスリップしたみたいでくらくらしました。
現在よりも明治や昭和の方が近しく感じてしまうのです。
それでは、『芙蓉』のご紹介です。
大正5年『白楊』刊行より33年、
『芙蓉』は艶子68歳の時の歌文集。
すでに中国を離れ、葉山に子、孫と住み、
夫龍平の看病をする日々。その夫は戦時中に亡くなり、
子、甥がこぞって出征しました。
戦争末期は奥多摩、信州への疎開もしました。
上海の歌。
・岸に立ちてやまと恋しと見さくれば潮ゆるやかに空はてもなし
艶子は閑谷学校校長西薇山の娘。椿は薇山が植えた花です。
・咲きちるや百株の椿閑谷のままごとしたるかの椿谷
父の死後、母を中国によびよせ共に暮らした一時期がありました。
・母と住みし把子路の家も白藤も兵火にあひし春よものうき
・人も世もつらしつめたし人も世もたよるなとこそ母は仰せし
・またの世は鳥と生まれて飛びさらむけだもの心満てる人の世
・一樹一樹花になりゆく庭の面に小鳥も来つつ歩めるあした
・B29空に舞へども広重の絵を見るやうな雪の夕ぐれ
・夢なりけり治乱興亡の世にあひてひとりおりたち春の畑うつ
夫なきあと、一人で生きてゆく決意を。
・猶ありて地上の花をながめよと神のたまひしこの命かも
よいお正月をお迎えのことと存じます。
年末からお正月2日まで、
食べて飲んで
おんじきに倦み、
3日からは普段の生活に戻りました。
大晦日までやっていた、
結社の先輩の昭和23年の歌文集を
打ち込む作業の続きをやっていました。
白岩つや子『芙蓉』。364首。
何しろ、うすい和紙の和綴じ、
手書きのガリ版刷りなので読みにくく、
破れる恐れもありますので、
引用するために歌の部分だけでもと
データ化しました。
校正してみたら2ページずつを
何度も飛ばしているのを発見。
紙が薄すぎてひとめくりで2ページ先に
行ってしまうのでした。
やっと終わって2冊目。
明治36年23歳の時の歌文集『みともの旅』も
あやうい感じだったので、歌部分だけ抜き書き。
父、夫と一緒の旅の紀行文に挿入された歌ですので、
艶子の歌、あまり数はありません。
ここでは変体仮名に苦しみ、
新たに作った変体仮名表とくびっぴきで読みました。
(以前いただいたのがどこに行ったのか・・(・ω・;A )
ようやくそれも終わったので、
久しぶりにFBを覗いたら、
タイムスリップしたみたいでくらくらしました。
現在よりも明治や昭和の方が近しく感じてしまうのです。
それでは、『芙蓉』のご紹介です。
大正5年『白楊』刊行より33年、
『芙蓉』は艶子68歳の時の歌文集。
すでに中国を離れ、葉山に子、孫と住み、
夫龍平の看病をする日々。その夫は戦時中に亡くなり、
子、甥がこぞって出征しました。
戦争末期は奥多摩、信州への疎開もしました。
上海の歌。
・岸に立ちてやまと恋しと見さくれば潮ゆるやかに空はてもなし
艶子は閑谷学校校長西薇山の娘。椿は薇山が植えた花です。
・咲きちるや百株の椿閑谷のままごとしたるかの椿谷
父の死後、母を中国によびよせ共に暮らした一時期がありました。
・母と住みし把子路の家も白藤も兵火にあひし春よものうき
・人も世もつらしつめたし人も世もたよるなとこそ母は仰せし
・またの世は鳥と生まれて飛びさらむけだもの心満てる人の世
・一樹一樹花になりゆく庭の面に小鳥も来つつ歩めるあした
・B29空に舞へども広重の絵を見るやうな雪の夕ぐれ
・夢なりけり治乱興亡の世にあひてひとりおりたち春の畑うつ
夫なきあと、一人で生きてゆく決意を。
・猶ありて地上の花をながめよと神のたまひしこの命かも
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