ノイバラ山荘

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タイムスリップ

2015-01-04 15:15:00 | 短歌
みなさま、こんにちは(*^_^*)

よいお正月をお迎えのことと存じます。

年末からお正月2日まで、
食べて飲んで
おんじきに倦み、
3日からは普段の生活に戻りました。

大晦日までやっていた、
結社の先輩の昭和23年の歌文集を
打ち込む作業の続きをやっていました。


白岩つや子『芙蓉』。364首。

何しろ、うすい和紙の和綴じ、
手書きのガリ版刷りなので読みにくく、
破れる恐れもありますので、
引用するために歌の部分だけでもと
データ化しました。

校正してみたら2ページずつを
何度も飛ばしているのを発見。

紙が薄すぎてひとめくりで2ページ先に
行ってしまうのでした。

やっと終わって2冊目。


明治36年23歳の時の歌文集『みともの旅』も
あやうい感じだったので、歌部分だけ抜き書き。
父、夫と一緒の旅の紀行文に挿入された歌ですので、
艶子の歌、あまり数はありません。

ここでは変体仮名に苦しみ、
新たに作った変体仮名表とくびっぴきで読みました。
(以前いただいたのがどこに行ったのか・・(・ω・;A )

ようやくそれも終わったので、
久しぶりにFBを覗いたら、
タイムスリップしたみたいでくらくらしました。

現在よりも明治や昭和の方が近しく感じてしまうのです。


それでは、『芙蓉』のご紹介です。
大正5年『白楊』刊行より33年、
『芙蓉』は艶子68歳の時の歌文集。

すでに中国を離れ、葉山に子、孫と住み、
夫龍平の看病をする日々。その夫は戦時中に亡くなり、
子、甥がこぞって出征しました。
戦争末期は奥多摩、信州への疎開もしました。

上海の歌。
・岸に立ちてやまと恋しと見さくれば潮ゆるやかに空はてもなし

艶子は閑谷学校校長西薇山の娘。椿は薇山が植えた花です。
・咲きちるや百株の椿閑谷のままごとしたるかの椿谷

父の死後、母を中国によびよせ共に暮らした一時期がありました。
・母と住みし把子路の家も白藤も兵火にあひし春よものうき
・人も世もつらしつめたし人も世もたよるなとこそ母は仰せし

・またの世は鳥と生まれて飛びさらむけだもの心満てる人の世
・一樹一樹花になりゆく庭の面に小鳥も来つつ歩めるあした

・B29空に舞へども広重の絵を見るやうな雪の夕ぐれ
・夢なりけり治乱興亡の世にあひてひとりおりたち春の畑うつ

夫なきあと、一人で生きてゆく決意を。
・猶ありて地上の花をながめよと神のたまひしこの命かも

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