ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「ワイルド・スワン」 ユン・チアン

2006-12-21 12:39:46 | 
時々、敵わないなあ~と慨嘆する。中国人の生きる力の凄さにだ。

個人としての生き抜く力が、もっとも優れた民族ではないかと思う。本当に凄いと思う、でも憧れはしない。

何故って、中国人は究極的には、自分自身しか信用しないからだ。自分以外を決して信用しないからだ。中国人は、世界中何処へいっても中国人だけのコミュニティーを作る。さらに同郷の者同士が集まり、同族の者同士で集まる。外部からは窺い知れぬ秘密結社を作り、力を合わせ、自分達の利益を守る。

これだけ団結力がありながら、その裏面では互いに足を引っ張り合う。助け合いつつ弱みを探し出し、力を合わせる一方で裏切る準備も怠りない。親子であろうと、兄弟であろうと、複数の中国人が集まれば、必ず団結と裏切りが同時に起こる。だから中国人は、最終的には自分しか信用しない。

だからこそ、中国人は自分自身が行き抜く力を高める努力を惜しまない。自分以外が信用できないと知っているからこその努力だと思う。こんな民族は、他にはないと思う。賢いと思うし、力強いとも思うが、決して幸せな人たちだと思わない。だから憧れない。

このような民族を育んだのは、歴代の中国王朝の支配体制が原因だと思う。もともとシナの大地は、多数の民族が住んでいたと思われる。次第に強い民族が弱きを束ね、合い争ったのが春秋戦国時代だ。そして最終的な支配者が秦の始皇帝だ。

始皇帝は、広大なシナの大地を支配するに当たり、各地域の社会構造を活かす形態を採用した。つまり一括に支配するのでなく、分散統治体制を作り上げた。皇帝を頂点として官僚による行政機構による支配体制を作り、その下に各地の村や町といった小規模な社会体制を温存して間接支配する方法を採った。

分かり易く説明すれば、皇帝を頂点とした大きな三角形(中味は官僚組織と軍)の下に、各地の首長を頂点とした多数の三角形が並ぶ体制だと思う。言葉も風習も異なる広大なシナの大地を支配するのには、実に適した形態だと思う。

この支配形態は、後の漢王朝に引き継がれ、驚くべきことに現在の共産中国においても引き継がれている。支配王朝が異国人であろうと、上部三角形の中味が変わるだけで、下部三角形は変わらないかたちで2000年が経過した。

下部三角形は、各地の村や町単位で作られ、その地に派遣された上部三角形の構成員(知事とか共産党書記長など)が支配した。知事を三年やれば、巨万の富が築けたというから、その搾取は相当に過酷なものであったと思う。そして富を簒奪して中央へ帰っていく。でも安堵することは出来ない。すぐに次の支配者がやってくるからだ。

だから中国人は、けっして政府とか国家なるものを信用しない。そのことを支配者たちも知っている。だから中国人を相互に監視させ、相互不信を抱かせる統治体制を作った。お互いを信頼させないことで、団結を防ぎ反・政府、反・国家活動の芽を摘み取った。この体制が完成したのは、おそらくは明朝の時だと思う。大変便利な支配方法なので、後の支配者たちも引き継いだ。

その結果、中国人は本来信頼し合うはずの家族、親族はもちろん、地域社会そのものさえ信じることを恐れるようになった。だからこそ、究極的に信じられるのは自分だけとなった。

このような非人間的な社会だからこそ、逞しい中国人が育て上げられた。だからこそ、中国人の生き抜く力は凄いのだと思う。感心せざる得ないほどに凄い。それでも私は、その凄さに憧れることはない。間違っても中国人に生まれたいとは思わない。だって、信頼し合うことによる幸せを知らずに生きるなんて、辛すぎると思うから。
コメント (5)
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