ヌマンタの書斎

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魔太郎がくる!! 藤子不二雄A

2015-09-15 12:34:00 | 

おそらく、如何なる処方をもってしても、イジメは無くならない。

マスコミの報道によると、夏休みを終えて新学期が始まる9月は、イジメ問題がよく起こるらしい。だから、子供をお持ちの親御さんたちは、子供たちの様子に気を配れとの警告する報道なのだろう。

だがなァ~、私の経験上、親がイジメ問題で大きな役割を果たすことは滅多にないと思う。虐められた子供は、そのことを親に相談することは稀で、むしろ隠したがる。

もし、親が我が子がイジメの対象になっていることに気が付いたら、出来ることは学校へ注意を促すか、いじめる子の親と交渉するぐらいだろう。そして、学校は問題を隠したがたるし、相手の親は自分の子には非がないと開き直る。

親が前面に出て、子供のイジメ問題が解決に向かう可能性は極めて低い。だが、なにも出来にない訳ではない。少なくとも、イジメから逃げることを手伝うことは出来る。

何度か書いているが、私が一番ひどいイジメを受けたのは転校先の小学校だ。今だから分かるが、あれは先生もグルだった。だから学校に逃げ場がなかった。さりとて、これは子供の問題であり、親や祖父母の力を借りる気は一切なかった。

でも、校内では無力だった。だから私は学校をさぼり、昼間は大人の目につかない林や廃墟に隠れ、夕方になると繁華街をうろつき悪さをし、帰り道でイジメっ子を見つけると、一人になるのを見計らって襲ったりしていた。

おかげで先生だけでなく、警察からも目をつけられて、何度となく補導された。その状況が変わったのは、引っ越したからだ。一応、もっともらしい理由を云われたが、引越しの本当の理由は私を逃がすためであったと、今なら分かる。

事実、次の転校先で、私は人が変わったように大人しくなり、イジメから解放された。中学に上がる頃には、むしろイジメる側に回ることさえあった。ただ、小学校の時の嫌な思い出ゆえに、私は群れてイジメるのは嫌で、やる時は対マンを好んだ。

あれから数十年、いろいろ気になるので調べてみたが、イジメとは人間だけでなく、動物にもあると分かった。特に集団生活を営む猿、ライオン、イルカなどは、相手が死に至るほど過酷なイジメをやっている。

驚いたことに、子供同士のイジメに親が関わることは少ない。外敵に対しては、親どころかグループの大人たちは子供を守るために身体を張る。しかし、子供同士の諍いには、無関心であることが多い。

おそらく、イジメという行為は、種の保存本能に仕込まれているように思う。つまり同族間の争いに生き残れない弱い個体を選別する行為としての役割を、イジメは担っているのかもしれない。

こんなことを書くと、不愉快に感じる方は多いと思う。だが、イジメは人間社会の至る所にあり、問題視されながらも根絶されたことはない。理屈や道理ではなく、本能に刻まれた行為なのだと結論せざるを得ないのだ。

だとしても、それはやはり不愉快なものであり、イジメを悪いこととして認識するのが常識と考えるべきであろう。事実、イジメられた子を助けることが出来る教師や、同級生は周囲から尊敬される。これもまた、イジメ問題の一面でもある。

ところで表題の漫画だが、「この恨み、はらさずにおくべきか」の不気味な科白と共に一躍人気漫画となった。私もよく覚えているのだが、この漫画に登場するイジメっ子たちは、私の周囲にも似たような奴らがいくらでもいた。

不快に思う一方で、トラブルを厭い、付き合わざるをえない、困った奴らでもある。そんなイジメっ子を、魔術を駆使してやりかえす魔太郎に、密かに喝采を叫ぶイジメられっ子は多かったと思う。

ただ、この漫画は悪い意味で、真似をする事例が続発したため、アニメ化はされず、また続編も描かれなかった。というか、イジメっこを懲らしめるのは前半までで、後半は魔太郎の親戚である幼児「切人」との絡みと、それに伴い明らかにされた魔太郎の出自の謎がメインの話となっている。

そのせいか、後半になると徐々に人気は落ちたように思う。やはり面白いのは、前半のイジメっ子への復讐話だろう。復刻版も出ているので、機会がありましたら是非どうぞ。

コメント
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