自伝を読む時、私は公には報じられてこなかった部分を重視する。
特に人格形成に多大な影響があるはずの幼少期から少年時代は大事だと思う。だからこそ、自伝を読む時は、この期間の著述を注意して読むようにしている。
では、瀬島龍三はどうかというと、さっと読むとたいしたことは書いてない。しかし、よくよく読み返すとすぐに気が付くのは、書かれているのが先生と親、そして先輩のことだけ。
先生を尊敬していると書くのはいい。また先輩からの指導をありがたく受けていたと書くことを悪いとは云わない。云わないけど、私には瀬島氏の巧妙な生き方の反映にしか思えなかった。
普通なら当然に出てくる同級生との他愛無い交流が欠落している。また下級生ともなると、ほとんど登場しない。このあたりに、瀬島龍三という人物の生き方が表れていると思う。
瀬島龍三は出世欲の化身である。軍隊に居ようと、捕虜収容所にいようと、また民間企業に居ようと常に立身出世を重ねている。その秘訣は、組織の中にあって、自分の役割を理解し、それ以上に上司の意向を正確に読み、その意に沿って組織を動かす。
つまり上司の覚えの良い奴である。
その視点からみれば、出世に役立たない同級生など記述に値せず、また下級生など書く価値などあろうはずもない。ただし、自分の役に立つと判断すれば、正々堂々と「同級生の親友で・・・」とか「才能を見込んで目をかけていた後輩」などと平然と口にできる。
瀬島氏本人は、まるで違和感を感じていないようだが、子供時代の同級生との交流をまったく無視した自伝には、いささか驚かされた。
断片的な記述から、彼が小柄であったことや、運動があまり得意でなかった少年であることが伝わってくる。また最初はたいしたことはなくても、卒業時には首席の座を占めるなどの記述から、相当に勉学に励んだ努力家であることも分かる。
だが、幼年期ならば、運動は苦手な小柄な少年が、同級生のなかでどのような立場になるかを想像するのは容易い。あの年代の男の子たちにとっては、勉強が出来ることよりも、腕っぷしの強さや、足の速さなどの方が大事である。
まして軍国主義が当然の常識であったあの時代の子供たちである。頭は良くても、身体が小さく、運動が苦手な少年が、どのような境遇に追いやられるかを想像するのは難しいことではない。
瀬島氏は紳士である。軍人であった時期も、捕虜であった時期も、そして伊藤忠の時代でも、暴力の匂いのまったくしない平和な人物であった。おそらく、子供時代も同様であったと思われる。
それはそれで、尊敬されるべき資質であると思う。しかし、幼少期から思春期に至る時期において、それは良い点ばかりではないはずだ。まして、鉄拳制裁が普通にあったあの時代に、彼が暴力沙汰から無縁であったとは思わない。
だが、この自伝では、そのあたりの記述がまったくない。彼がガンジーのような無抵抗主義者であったとは思えないし、そのような思想に傾倒していた訳でもなさそうだ。
そうなると、意図的に書かなかった。そう判断するほうが自然だと思う。このあたりに、彼が常に安全な場所から他人を危険な場所に赴かせることを得意とする性癖の原点があるように思えてならないのだ。
また、それとは別に、この自叙伝全般にいえるのだが、瀬島氏本人の失敗に関する記述がほとんどない。子供ならば、誰でも何度か、恥ずかしい失敗をしているはずだ。しかし、この自伝には、まったくそのような記述ははい。
この幼年期から思春期までの記述からだけでも、彼のその後の問題行動の原型あるいは苗地が読み取れてしまうのです。