ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日本学術会議に思うこと

2020-10-05 11:26:00 | 社会・政治・一般

学者が言うことが正しいとは限らないのが良く分かるのが、日本学術会議であろう。

敗戦後の1950年代には既に、学問を軍事に利用すべきでないと提言している。厭戦気分は分かるが、あまりに愚かであろう。

二足直立歩行猿人が、知識を戦いに利用したがゆえに過酷な生存競争に勝ち抜き、進化の道を辿ってきたことは何人にも否定できない事実である。

鋭い爪もなく、切り裂く牙もない脆弱な直立猿人が、サーベルタイガーから身を守り、巨大なマンモスを倒して食料にすることが出来たのは、石器を利用した武器を使えたからであり、言語を駆使して集団戦法を行使してきたからである。

武器は攻撃の道具であり、防御の道具でもある。

そして地球の生き物は常に戦いに身を晒している。多分一番平和な、つまり他者を攻撃しない生き物は嫌気性のバクテリアだろうと思うが、そのバクテリアでさえ同族との生存拠点の確保のためには戦う。

地球上の生き物は、ほぼ100%近く生きるために他者を攻撃し、命を守るために他者を攻撃して生きてきている。その中でも武器を作りだし、集団戦闘に長けた人だからこそ、現在の地球で最も繁栄を享受できている。

戦うことは、全ての生物の本能に根付いているものであり、戦うことを否定することは生物本来の生存本能に反することである。

だが戦いは相手のみならず、自身をも傷つける行為である。

だからこそ知恵ある生き物である人は、不可避な戦いを出来るだけ減らすことを考えてきた。互いの勢力圏を認め合う国境であったり、防衛拠点である要塞や城を築くことで、少しでも平和を長く維持する努力をしてきた。

平和条約や同盟も、戦いを回避するための手段であった。しかし戦いそのものを完全に無くすことは不可能であるが故に、常に戦う準備だけは怠らない賢さが必要であった。

言い換えれば、自らを守る努力を怠ったものは、平和を享受することが許されないのが厳然たる事実である。

その現実から目を逸らし、脳内お花畑で平和を夢見るおバカちゃんが一定数いるのも現実。多くの場合、他者の努力により平和が守られているだけで、それを見て見ぬふりをすることで誤魔化している卑怯者である。

太平洋戦争における日本軍のあまりの狂戦士ぶりに辟易したアメリカが、日本から軍隊を奪うために平和憲法を押し付けた。その代りにアメリカ軍が日本の平和を守ってきた。それが太平洋戦争が産み出した戦後の日本の実態である。

もっとも途中から日本列島の戦略的意義に価値を見出し、日本を兵站拠点として活用するために自衛隊なる制約された軍隊を持たせたのは、日本の平和憲法がアメリカの都合に過ぎぬことの証明でもある。

そして今、アメリカは日本の経済力、技術力、科学力を自らの為に活かすために、日本の軍事力の強化を目指しているのは周知の事実。まァ日本のマスコミ様は敢えてその事実を無視しているが、現実は残酷なまでに進んでいく。

これは、アメリカ単独では自らの優位性を保てなくなってきているアメリカの実情を反映したものである。言い換えれば、日本の軍事力をアメリカの政策のために活かすことを求めている。

この現実を見たくない、認めたくない、知りたくもないと駄々をこねているのが日本学術会議に参加しているお馬・・・学者様である。

学問の自由云々を口にする前に、自らの愚かな頑迷さを自覚した方が良いと思いますけどね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする