多分、私の死生観は少しずれている。
これは、やはり20代の時の長きにわたる難病に拠るものだ。原因もよく分からず、治療法も確定していないがゆえの難病である。9年余りの療養生活を経ても治ることはなかった。
その代わり、社会復帰が可能なくらいまで病状が安定した。もとより完治という言葉が使えない難病であるから、私はこの不完全完解の状態で、十分満足していた。そして、そのまま社会復帰を果たしている。
その後も再発しかけたり、新たな病気が見つかったり、はたまた心臓で緊急入院したりと忙しいが、私は人間いつかは死ぬものだと達観しているので、自身の不幸を嘆く必要性は感じていない。
ただ、散々医者の世話になっておきながら言うのも何だが、私は医療の無謬性を信じていない。むしろ医療とは永遠に発展途上のものだと思っている。完璧な医療なんて、ありえないと考えているほどである。
それでも、ようやく生まれた幼子を医療過誤により失った親の辛さは、子がない私でも分かる。分かるけど昔は幼子の大半が死んでいた時代が長かったことも知っているので、過度に医療過誤を責めたいとは思わない。
20年以上前だが、私が通院していた大学病院で新聞などでも報じられた医療事故が起こった。割り箸で咽喉を突いた幼子を診てもらったが、担当医師が脳にまで届いていることに気が付かず、結果的に死に至った。
私は当時、外来で通院していたが、待合室ではこの噂で持ちきりであったことは良く覚えている。この大学病院は教授や助教授に東大や慶應から著名な医師を引っ張ってきており、私もその恩恵に服していたので、医療技術が低くないのは知っていた。
その反面、医学生たちはあまり学業の成績が良くなく、都内の繁華街での評判のほうが高いことも知っていた。もちろん真面目な医学生も多数いたが、教授や看護婦長からお叱りを受けている場面を、しばしば見ていた。
だから医療事故もやむを得ないだろうぐらいに思っていた。しかし、表題の書を読んでみて印象が変わった。いったい割り箸で咽喉をついて、脳まで達するような誤飲事故って、そうそう起こるものなのか?
いや、滅多にないと思う。それに気が付かなかった若い医者を過度に責めるのは、むしろ行き過ぎだとの著者の主張のほうが真っ当だと思った。ところが世間一般では、医者の怠惰だとして民事上のみならず刑事上の責任さえ追及する動きがある。
これは行き過ぎではないか。著者は、刑法の成り立ちや、医療現場での実際の治療行為、法医学上求められる責任と義務などの法理から説いて、警察や検察、裁判官までもが魔女狩りの雰囲気にのまれていると警鐘を鳴らす。私も基本、同意見である。
私もそうだが、専門家というものは、とかく自身の領域にのみ拘りがちで、社会全体からの視点を欠けることがままある。その点、この著者はかなり例外的な存在のようで、法理と医学の違い、世間一般の捉えからと、医者の常識の差異などについても考察を重ねている。
こうなると、日本の医療の大元である厚生労働省の政策に噛み付くのは必然だろう。実はこの著者の方、現在、当時副院長を務めていた某K病院を追われている。補助金をだしに、役人から嫌がらせを受けた病院経営陣が根を上げての追放劇であったようだ。
少し理屈は難しいが、このような医師もいることは是非とも知っておいて欲しいと思います。今日の医療の在り方に疑問をお持ちなら、一度は読んでおくべき作品だと思います。
これは、やはり20代の時の長きにわたる難病に拠るものだ。原因もよく分からず、治療法も確定していないがゆえの難病である。9年余りの療養生活を経ても治ることはなかった。
その代わり、社会復帰が可能なくらいまで病状が安定した。もとより完治という言葉が使えない難病であるから、私はこの不完全完解の状態で、十分満足していた。そして、そのまま社会復帰を果たしている。
その後も再発しかけたり、新たな病気が見つかったり、はたまた心臓で緊急入院したりと忙しいが、私は人間いつかは死ぬものだと達観しているので、自身の不幸を嘆く必要性は感じていない。
ただ、散々医者の世話になっておきながら言うのも何だが、私は医療の無謬性を信じていない。むしろ医療とは永遠に発展途上のものだと思っている。完璧な医療なんて、ありえないと考えているほどである。
それでも、ようやく生まれた幼子を医療過誤により失った親の辛さは、子がない私でも分かる。分かるけど昔は幼子の大半が死んでいた時代が長かったことも知っているので、過度に医療過誤を責めたいとは思わない。
20年以上前だが、私が通院していた大学病院で新聞などでも報じられた医療事故が起こった。割り箸で咽喉を突いた幼子を診てもらったが、担当医師が脳にまで届いていることに気が付かず、結果的に死に至った。
私は当時、外来で通院していたが、待合室ではこの噂で持ちきりであったことは良く覚えている。この大学病院は教授や助教授に東大や慶應から著名な医師を引っ張ってきており、私もその恩恵に服していたので、医療技術が低くないのは知っていた。
その反面、医学生たちはあまり学業の成績が良くなく、都内の繁華街での評判のほうが高いことも知っていた。もちろん真面目な医学生も多数いたが、教授や看護婦長からお叱りを受けている場面を、しばしば見ていた。
だから医療事故もやむを得ないだろうぐらいに思っていた。しかし、表題の書を読んでみて印象が変わった。いったい割り箸で咽喉をついて、脳まで達するような誤飲事故って、そうそう起こるものなのか?
いや、滅多にないと思う。それに気が付かなかった若い医者を過度に責めるのは、むしろ行き過ぎだとの著者の主張のほうが真っ当だと思った。ところが世間一般では、医者の怠惰だとして民事上のみならず刑事上の責任さえ追及する動きがある。
これは行き過ぎではないか。著者は、刑法の成り立ちや、医療現場での実際の治療行為、法医学上求められる責任と義務などの法理から説いて、警察や検察、裁判官までもが魔女狩りの雰囲気にのまれていると警鐘を鳴らす。私も基本、同意見である。
私もそうだが、専門家というものは、とかく自身の領域にのみ拘りがちで、社会全体からの視点を欠けることがままある。その点、この著者はかなり例外的な存在のようで、法理と医学の違い、世間一般の捉えからと、医者の常識の差異などについても考察を重ねている。
こうなると、日本の医療の大元である厚生労働省の政策に噛み付くのは必然だろう。実はこの著者の方、現在、当時副院長を務めていた某K病院を追われている。補助金をだしに、役人から嫌がらせを受けた病院経営陣が根を上げての追放劇であったようだ。
少し理屈は難しいが、このような医師もいることは是非とも知っておいて欲しいと思います。今日の医療の在り方に疑問をお持ちなら、一度は読んでおくべき作品だと思います。