正月早々に入院していた私だが、今回はちょっといつもとは違った印象がある。
これはコロナ禍のせいだが、原則として見舞い客が禁じられていたことだ。そのせいだと思うが、非常に静かな入院生活であった。
心臓病には静養が大事なので、話し声のない静かな病室は快適ではあったが、反面活気がなく退屈さが勝るのも事実である。ただ静かすぎるので、時折妙な話が耳に入る。
私が入院していた病棟は、主に心臓病患者であるため非常に高齢者が多い。実際、私なんぞ若すぎて目立っていたぐらいである。でも、私だってもう若くないのだが、それを忘れるほどの老人患者の多さであった。
入院中、徐々に気が付いたのだが、一人暮らしの老人患者が多かったことだ。家族が近隣に住んでいることも多いが、ほぼ完全に一人暮らしをしている老人が多いことが、医師や看護師との会話から聞き取れた。
まァぶっちゃけ私のその一人だが、耳ダンボにして聞いていると、意外なほど自炊している方も多く、料理自慢話などもよくある会話。
その一方、一人暮らしというよりも、家族にぶった切られての入院暮らしと思える老人患者もいて、これはけっこう閉口した。なにしろ我儘である。病院というところは、昼間は看護師やヘルパーも多いが、夕方から朝までは人出が減る。昼間は看護師一人で4人担当するが、夜勤となると12~16人を一人で担当するようだ。
昼間は寝てばかりいる老人が、夜になると目を覚まして小言を騒ぐ。これがけっこうウルサイ。数部屋離れた病室にいる私の耳にも聞こえるほどにウルサイ。
しかも、その文句の内容がクダラナイことが少なくない。寝たきりの方が多いので、ある程度身の回りに関する苦情が出るのは自然の摂理。でも、だったら人出の多い昼間にしておけよと、私なんぞは思うのだが、彼らはそうは思わないらしい。
その上、身体の介護に関してならともかく、どうでもいいような愚痴を聞かせたがる。これに対応している看護師もプロだから、子供をあやすように接している。でも、彼女らも人の子、あまりに我儘すぎる老人患者には、けっこう怒り気味で対応していることもある。
病床に拘束されている私なんぞ、暇つぶしの一環として「そうだ、そうだ。言っちゃえ、怒っちゃえ」と密かに応援していたぐらいである。おそらくだけど、これらの我儘老人たちは、家にいても同様なのだと思う。
病院側でも事態を把握していて、概ねこの手の我儘患者たちは個室に置かれている。他の患者には迷惑すぎるからだろう。実際、私も被害に遭いそうになった。
深夜、尿意を覚えて移動可能な点滴台をゴロゴロと連れてトイレに行った帰り道、個室の中から声がした「ちょっと手伝っておくれ~」。弱弱しい声であるから、知らない人なら騙されるだろう。
でも私は知っていた。その手伝いの内容はたいしたものではなく、要は人の関心を引きたい、人を小間使い扱いしたいといった実に我儘なものであることを。だから看護師にもヘルパーにも嫌われる。いや、同じ病棟の大半の患者が、この人の我儘ぶりを知っていた。
イソップの狼少年ではないが、日ごろからいい加減な言動を繰り返すので、周囲から完全に信頼を失している。ただ、非常に狡賢いことに、体調が悪いなど本当に緊急性があるときは、しっかりとナースコールで看護師さんを呼ぶ。使い分けているんだよね、この人。
一応、家族と同居らしいのだが、その家族が精神的に参っていて、婦長さんと主治医相手にカンファレンスルームでソーシャルワーカーを同席させて退院後の他の施設への移送を相談していた。
私はたまたま隣室の医師の部屋で、自分の病状の説明を聞いていたので、その内容を6割方耳にしていたのだ。私の主治医も肩をすくめて、患者さんだけでなく、その家族のケアも重要なんですよと言っていた。
家族の悲鳴のような相談があまりに生々し過ぎて、主治医と私もいささか閉口していたのだった。
退院して思うのだが、高齢化社会を迎えている日本では、今後もこのような我儘老人に難儀するのだと思う。それに対応する家族の疲弊、世話をする医師や看護師などの対応も含めて考えていかねばならないだろう。
余談だが、その我儘患者の対応をその病院では、おそらく意図的に外国人看護師や外国人ヘルパーに担当させることが多かった。彼女らは「難シイ日本語、ワカリマセン」などと言って、その患者を煙に巻いていた。もちろん看護師試験に合格するくらいだから、相当に日本語は達者なんですけどね。