さっぱり分からん。
だから以下の文章は、憶測と邪推に塗れていることを予めお知らせしておきます。
当初、斎藤知事のパワハラ報道が報じられた時から疑問だったのです。なんで、被害者の方、弁護士に相談しなかったのか、と。自殺に追い込まれる程に強い圧迫を受けたのならば、それはパワーハラスメントとして司法の判断を仰ぐべきではなかったのではないかと。
私が不可解に感じた最大の理由でしたが、その後のマスコミの報道で「おねだり」だの「傲慢さ」「特権意識」などを裏付けるかのようなものが相次いだので、エリートによくある無意識でのパワハラなのかとも思っていました。
ただ、議会から不信任決議を突き付けられたにも関わらず、辞任しての再選挙を選んだあたりで、なんだか変だと感じていました。そして当の斎藤氏は知事としての実績を繰り返して主張していた。
このあたりで私は斎藤知事をパワハラで追いやったのは、既成利権を守らんとする役所側と、それに協力するマスコミではないかと疑い始めました。というのは、肝心かなめの兵庫県民が必ずしも斎藤氏に対して否定的ではなかったからです。
とはいえ兵庫県の行政などまるで知らない私です。だから確信はなかった。マスコミの報道では、対立候補の女性が優勢なはずなのだが、ネット上の情報ではむしろ斎藤氏が有利だと。そして後者の情報通り斎藤氏は知事に返り咲いた。
今週に入り斎藤氏の勝利は、もはや既成のマスコミに世論を誘導する力はないとの批評が相次いでいる。マスコミが弱いから斎藤知事を落選できなかったのだと。
違うだろう。いや、筋違いだと思う。
やはり県政の改革を訴え、それを実行しようとする斎藤知事を追いやりたかった既得利権者の抵抗こそがパワハラ被害報道ではなかったのか。行政の改革は、得てして役所の利権構造を危うくさせる。だからこそ維新の会に斎藤氏は所属していたのだろう。
しかし、維新の会は大阪市と大阪府の統合に失敗した。役所の利権構造を守りたい勢力に敗れたのが敗因だと私は考えている。だからこそ、維新の会は失速し、改革を大きく主張することを諦めたのだと思う。
一方、斎藤知事はあくまで強引に改革を推し進めた。それはパワハラと云われても仕方ないほどの強硬さであったのだと思う。いや、円滑な話し合いなど無理だと割り切り、見切っていたのだと思う。
率直に言って斎藤知事の遣り口は稚拙であったと思うが、彼にはそれしか選択肢がなかったのだろう。腹をくくった知事の立場は強い。県職員のリストラを恐れる教職員組合経由ではないかと思うが、左巻きのマスコミが動いた。それが一連の斎藤知事へのマスコミのバッシングであったのだと私は邪推している。
インターネットがない時代ならばマスコミの主張こそが、世の中の声として認められただろう。しかし、ネットの存在はマスコミだけが情報源ではなくしてしまった。新聞やTV、ラジオだけでなくSNSなどを通じて有権者は情報を得ることが出来る。
現時点で斎藤知事のパワハラ疑惑の真実は不透明だ。あくまで私の印象だが、この方パワハラ気味の言動は実際にあると思う。しかし、県政改革で実績があるからこそ有権者は支持したはずだ。この人が潔白を証明するのは難しいと思う。しかし、政治で実績を上げれば帳消しになる可能性が高い。どうなるか見ものである。
最後に一言云いたい。マスコミが県職員及び関係者の側に立って報道することを私は否定しない。そもそも公平で普遍中立な報道など無理だと思うからだ。だからこそ、公正を装ったような報道は止めろと云いたい。立場を鮮明にした上で報道するべきだ。それでこそ、民主主義を掲げる国におけるマスコミの正当な態度だと私は考えています。