かれこれ30年以上、税務の世界で仕事をしている。
嬉しい時もあるが、遣り切れぬ想いに打ち沈むこともある。特に相続関係の仕事にそれは多い。
相続は民法が土台にあり、その民法があまりに時代に合わないことが多々ある。理由は簡単で、民法がナポレオン法典に準拠しているからだ。明治政府が不平等関税を改めるために欧米と交渉してても後進国扱いをされての門前払い。
そこで欧米並みの法治国家として国家の近代化を図った。その重要な柱が主要法令の翻訳導入であった。憲法はプロシアに、民法はフランスに学ぶとしてヨーロッパから学者を招聘して法律を日本語に翻訳して天皇の名の元に施行した。
これに大反対したのが招聘されたヨーロッパの学者たちだ。本来、法律とはその国の歴史、習慣、慣例などを斟酌して明文化するものであり、欧米の法律を翻訳して日本に当てはめるのは好ましくないと反対した。しかし、明治政府の元勲たちは問題ないと一蹴した。
彼ら明治の元勲たちは、まず先進国としての体裁を整えることを第一に考えたからだが、本心では招聘した学者たちの言い分を認めていた。そのために帝国大学に銘じて、各翻訳した法律を少しずつ日本に合わせていくという前代未聞の計画を立てた。
だが学者は現場を知らないことが多い。そこで法律家を育て、裁判所に於いて判例を積み重ねることにより欧州の法律を徐々に日本に適合させた。裁判における判例集がその集大成であり、これは今も続く気の長い作業となっている。
弁護士の事務所に行けば必ず判例集が本棚の大半を占拠しているはずだ。この判例の積み重ねこそが、輸入翻訳され強行された法律の日本化の成果に他ならないからこそ、法律家は判例を重要視する。
それでもまだまだ法令と日本の現実が適合していないことが少なくない。その一つに寄与がある。
例えば今でも長男の嫁が長男の親、すなわち義父、義母の介護などの面倒を看ることは珍しくない。しかし嫁がどれほど義両親に尽くしても、嫁には民法が保証する法定相続分がない。まったく面倒などみなかった親族が相続財産を占有し、涙をのんだ長男嫁は少なくない。
そこで活用されたのが「寄与」制度であり、なかでも「特別寄与」の活用を法務省は勧めていた。しかし相続の現場をみてきた私からすると、この寄与制度で満足したお嫁さんは滅多にいないと思う。実際に認められた寄与なんて、相続財産の2%程度、よくて5%で到底満足のいくものではない。
これは根本的に日本の民法が家族それも直系血族を最優先するからであり、長男の嫁は所詮外から入ってきたもの扱いであるからだ。今のところ改正される予定はないと聞いている。でも介護される義父母の理解と協力があれば対抗策はある。
まぁ幾つかあるのだけれど、タイミングとか手段を慎重に選ぶ必要がある繊細な事案なので具体的な方法は差し控えます。これは守秘義務も絡むので個別にメールされても教えませんので悪しからず。
でも本来というか、王道は民法の相続関連の規定の改正です。一言で云えば、家の相続ではなく、個人の相続への転換。実は麻生内閣で議題に上がっていたはずなのですが、何故だかその後の続報がない。
皇室の後継問題もそうですけど、日本の官庁は世帯と血統を重視する人たちがかなり強硬なのだろうと想像しています。