バブル崩壊後の平成不況のなか、低金利時代に逆行する高利回り金融商品と成り下がった生命保険契約。保険契約者である人々には恩恵ですが、生命保険会社にとっては経営を悪化させる要因以外の何者でもない。
そこで、保険会社が考えたのが「保険の転換」です。お誕生日特約とか、入院特約とか色々と目新しい特約をつけて、いかにも時代のニーズに合った生命保険ですよと触れ込み、古い保険から新しい保険へと切り替えさせる戦略です。CM等も盛んに流して、消費者の洗脳に努め、保険代理店やFPを駆り立てて、新しい生命保険契約への切り替えを強引に推し進めたものです。
新しい生命保険には、様々な特約が付加されており、パンフレットには今までよりずっと御得なイメージを与えるよう工夫が凝らされていたものです。しかし、最後のページに小さく、小さく記載された予定利率の数字に気がついた人がどれだけいたでしょう?
新しい生命保険は、従来のものとくらべ予定利率が大幅に引き下げてあったのです。私が試算してみたところ、昭和60年代に契約したものと比べ、最終的な保険金支払い金額は八桁近く下げていたものもありました。たしかに様々な特約が付けられており、保険商品としての魅力がないとは言いますまい。しかし、顧客が支払う保険料と、保険会社から支払われる保険金との差額は算定してみると、明らかに大幅な減額となっている。
顧客が納得して契約したのなら私は何も言う事はありません。しかし、ほとんどのケースでは、保険会社及びその外交員、代理店、FPは、上記の事を説明せずに保険の切り替えを行っていたのです。保険会社の方とFPの方がいらして、保険の見直しをしてもらって保険料の支払いが減りました、なんて話を顧問先の奥さんから聞き、私が改めて見直してみると、この有様。
状況を社長に説明すると、当然怒って保険代理店の人間を呼び出しました。私も同席して説明を求めると、損はさせていませんと主張するばかり。具体的な数字を示して間違いがあるかを問うと、黙り込んでしまい、あげくにFPは泣き出す始末。呆れましたね。
いろいろ問いただすと、保険の転換は会社を挙げての方針なので逆らえなかったとの事。結局一部の保険を残して、大半は契約解除となりました。ただし、保険契約の短期の契約解除は、保険代理店にとって拙い事となるので、ちょっと裏技を使ってますが、これは内緒の話。(私は席をはずしてました)
ところで、いったい何だって保険会社は、このようなことをするようになったのでしょう。(以下続く)
生命保険について、ここで改めて考えてみたいと思います。生命保険会社は、顧客から保険料の支払を受け、それを原資に資産運用を行い収益を上げます。そして保険契約に基づく保険金の支払いを顧客にすることになるわけです。
もう少し詳しく書くと、下記のような算式で表されます。
保険料=保険金+保険会社の事業経費-運用益 この算式が保険料の算出方法を示します。
少し、左右の項目を変えると、下記のような算式でも表示できます。
保険料+運用益=保険金+保険会社の事業経費
各項目について、もう少し詳しく説明したいと思います。
① 保険金 これは予定死亡率というものを基準に算定されます。具体的には「生保標準生命表1996」というもので、保険料算定の資料としています。ちなみに、今年43歳の私の余命は、この表によると後35、49年だそうです。
② 保険会社の事業経費 これは予定事業費率から算定されます。要するに保険会社の仕事をしていく上で必要な経費(人件費やらの諸経費)を予め見積もっているわけです。
③ 資産運用益 保険会社は予め一定の運用益を見込んでいます。この割合を予定利率といいます。
さて、バブル崩壊以降銀行の預金利子はコンマ以下となり、ほとんど通帳の染みのような利子が記載されているのは、皆さんよくご存知のことと思います。実はバブル崩壊後もしばらくは、上記③の予定利率は高いままでした。一時払い養老保険などは予定利率が5%台でしたから、満期になると税金を納めねばならないほどの保険金の支払いがあったものです。低金利時代にあって、らしからぬ高利回りの金融商品であったのは有名な話です。
しかし、生命保険会社にとっては、この高利率の予定利率を組み込まれた保険契約は悪夢に近い存在でした。なにしろ、保険契約は法律行為です。そうおいそれと契約を変更するわけにはいきません。そこで保険会社は・・・(以下、続く)
ある公立学校に、成績の優劣をつけない先生がいるそうです。曰く「可哀想だから」「差別を助長するから」と頑なに自己の信念を貫き、生徒の家族、校長や教頭の言うことには耳を傾けず、全ての生徒の成績表に「A」をつけて渡しているそうです。
本人は、自分を良心的な教師だと考えているのでしょう。生徒に対して平等で、優しい教師であると自負しているそうです。
酷い話です。学校とは、子供が社会に出るに当たり必要な知識・経験を積ませる場所であるはずです。社会に出れば、子供たちは否応無しに競争社会という現実にぶち当たります。頭がイイだけでは通用しない社会であり、人より一歩先んじるものが勝利の果実を独占する社会でもあります。
残念ながら人の能力は、皆平等ではありません。人は誰しもその人生のなかで、他人より自分が劣る現実にぶち当たり、自分の努力が必ずしも報われない現実に傷つきます。おそらくは、どんな人であっても、大なり小なりそのような経験をしていくものです。
学校での競争は、そのような社会に対応していくための準備でもあるのです。それなのに「競争しなくてもいい」と生優しく育てられた子供たちが、社会に出て競走社会の現実に対応できなくなるのは当然といえるでしょう。
なんて酷い教師でしょう。本人は優しいつもりでしょうが、人より良い成績をとろうする努力を貶め、人より速く走ったり泳いだりする才能を卑しめる残酷な行為でもある事を、果たして認識しているのでしょうか?
私はそれほど熱心なファンという訳ではありませんが、フィギュア・スケートの華麗な演技には、ついつい目を惹きつけられます。個人的には、荒川の風格ある演技と、村主の艶やかな演技に魅力を感じますが、安藤の溌剌とした演技と高さのあるジャンプには将来性を感じていました。
ところが、最近のフィギュアの大会を見ていると、明らかに安藤は演技に精彩を欠いていたようです。ジュニア時代に見られた溌剌さは影を潜め、疲労感すら感じる無難な演技に終始していたかのようです。あまり詳しくは知りませんが、最近の週刊誌等が、やたらと安藤の写真を載せていた記憶があります。あまり品の良いとは言えない写真もあった気がします。
私見ですが、安藤はマスコミに潰された、あるいは食い潰された感じがします。若い安藤が、人気に押し潰されたという面もあるでしょう。でも実力以上の人気を煽り、それを商売ネタにしたのは、間違いなくマスコミでしょう。えげつない連中です。
そうこうしているうちに、安藤より更に若い浅田という選手が出てきて、大活躍のようです。トリノには年齢制限で出場できないようですが、おそらくマスコミは落ち目の安藤より、これからの浅田をネタに紙面を飾るでしょう。繊細な年齢である浅田が、マスコミの下劣なネタ漁りにどれだけ耐えられるか分かりませんが、潰されないことを祈らずにはいられません。
長く近鉄バッファローズ、オリックス・ブルーウェイブの監督を務められた、仰木彬氏がお亡くなりになりました。野球といえば、ジャイアンツとセ・リーグのことしか知らなかった私が、パ・リーグの野球に興味を持つようになったのは、仰木監督率いる近鉄の試合をTVで観るようになってからでした。
今も記憶に残るのは、近鉄・阿波野と日ハム・西崎の投げ合いでした。阿波野の気迫の連投と、元祖三振王、扇風機のブライアントの豪快なホームランは、忘れがたい思い出です。トルネードの野茂、一本足打法のイチロー、吉井、田口と次々と名選手を育てた名伯楽であり、仰木マジックとまで言われた采配で、パ・リーグを盛り上げた功労者でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。