ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ミュージアム

2016-12-08 19:05:00 | 映画

やや、ネタバレの観は否めないが、この映画はグロが苦手な方は観ない方がイイと思う。

原作は週刊ヤングマガジン誌に連載されていた漫画である。その連載は読んでいたが、漫画の実写版としては悪くない出来だと思う。特に漫画では表現が難しい効果音と音楽の使い方で、より作品が奥深くなっている。

だが、詰めが甘いというか、あの長さの漫画を映画に合わせて短縮したせいか、いささかシナリオに綻びがあったように思う。これは原作との差異ではなく、映画のシナリオあるいは編集上のミスではないかと思われる。

ケチばかり付けているが、正直言えば原作の漫画よりも分かりやく構成されている。事実、ほぼ忘れかけていた程度の原作を、鮮やかに甦らせてくれた。だから、けっこう集中して映画を鑑賞できた。

それだけにシナリオの瑕疵が殊更気になってしまうのが残念だ。まさか続編があるのかと思わせるようなエンディングも余計だ。純粋にこの映画だけで完結することを目指したほうが良かった。

文句あれども、私はけっこう気に入りました。ただ、グロテスクが苦手な方は止めたほうがいいでしょう。かなりグロいですから。

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幾山河 2 瀬島龍三

2016-12-07 12:08:00 | 

自伝を読む時、私は公には報じられてこなかった部分を重視する。

特に人格形成に多大な影響があるはずの幼少期から少年時代は大事だと思う。だからこそ、自伝を読む時は、この期間の著述を注意して読むようにしている。

では、瀬島龍三はどうかというと、さっと読むとたいしたことは書いてない。しかし、よくよく読み返すとすぐに気が付くのは、書かれているのが先生と親、そして先輩のことだけ。

先生を尊敬していると書くのはいい。また先輩からの指導をありがたく受けていたと書くことを悪いとは云わない。云わないけど、私には瀬島氏の巧妙な生き方の反映にしか思えなかった。

普通なら当然に出てくる同級生との他愛無い交流が欠落している。また下級生ともなると、ほとんど登場しない。このあたりに、瀬島龍三という人物の生き方が表れていると思う。

瀬島龍三は出世欲の化身である。軍隊に居ようと、捕虜収容所にいようと、また民間企業に居ようと常に立身出世を重ねている。その秘訣は、組織の中にあって、自分の役割を理解し、それ以上に上司の意向を正確に読み、その意に沿って組織を動かす。

つまり上司の覚えの良い奴である。

その視点からみれば、出世に役立たない同級生など記述に値せず、また下級生など書く価値などあろうはずもない。ただし、自分の役に立つと判断すれば、正々堂々と「同級生の親友で・・・」とか「才能を見込んで目をかけていた後輩」などと平然と口にできる。

瀬島氏本人は、まるで違和感を感じていないようだが、子供時代の同級生との交流をまったく無視した自伝には、いささか驚かされた。

断片的な記述から、彼が小柄であったことや、運動があまり得意でなかった少年であることが伝わってくる。また最初はたいしたことはなくても、卒業時には首席の座を占めるなどの記述から、相当に勉学に励んだ努力家であることも分かる。

だが、幼年期ならば、運動は苦手な小柄な少年が、同級生のなかでどのような立場になるかを想像するのは容易い。あの年代の男の子たちにとっては、勉強が出来ることよりも、腕っぷしの強さや、足の速さなどの方が大事である。

まして軍国主義が当然の常識であったあの時代の子供たちである。頭は良くても、身体が小さく、運動が苦手な少年が、どのような境遇に追いやられるかを想像するのは難しいことではない。

瀬島氏は紳士である。軍人であった時期も、捕虜であった時期も、そして伊藤忠の時代でも、暴力の匂いのまったくしない平和な人物であった。おそらく、子供時代も同様であったと思われる。

それはそれで、尊敬されるべき資質であると思う。しかし、幼少期から思春期に至る時期において、それは良い点ばかりではないはずだ。まして、鉄拳制裁が普通にあったあの時代に、彼が暴力沙汰から無縁であったとは思わない。

だが、この自伝では、そのあたりの記述がまったくない。彼がガンジーのような無抵抗主義者であったとは思えないし、そのような思想に傾倒していた訳でもなさそうだ。

そうなると、意図的に書かなかった。そう判断するほうが自然だと思う。このあたりに、彼が常に安全な場所から他人を危険な場所に赴かせることを得意とする性癖の原点があるように思えてならないのだ。

また、それとは別に、この自叙伝全般にいえるのだが、瀬島氏本人の失敗に関する記述がほとんどない。子供ならば、誰でも何度か、恥ずかしい失敗をしているはずだ。しかし、この自伝には、まったくそのような記述ははい。

この幼年期から思春期までの記述からだけでも、彼のその後の問題行動の原型あるいは苗地が読み取れてしまうのです。

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幾山河 1 瀬島龍三

2016-12-06 12:23:00 | 

最初に大声で言っておくと、私は瀬島龍三が嫌いだ。

ただ、嫌うならば、正々堂々、論理に照らして相応に嫌わねばならないとも思っている。だから、瀬島氏に関する本は、けっこう読んでいる。ただ、本人の書いた自伝を読むのは、今回が初めてだ。それが表題の書である。

書きたいことが沢山あるので、数回に分けて書きますのでご容赦のほどを。

私が初めて瀬島龍三の名前を耳にしたのは、多分小学生の頃だと思う。当時、住んでいた三軒茶屋の商店街の脇にあった銭湯には、けっこう足しげく通っていた。そこで知り合った初老の男性からだ。

脚が不自由な方であったが、眼光鋭く、鍛えぬいた痩身の男性で、私らガキンチョはこの人の前に立つと、知らず知らず背筋を伸ばしてしまう。でも、笑うと凄く素敵な笑顔を見せてくれる人でもあった。

左肩に仁王様の入れ墨を入れていたが、別にヤクザではなく、表具屋の旦那さんだった。ただ、鉄火場には出入りしていて、そこの庭の掃除をして小遣い稼ぎにしていた私とは顔見知りでもあった。

銭湯の更衣室の内庭には、小さな池と鯉が泳いでいて、風呂上りで火照った体を冷やすために、そこのベンチが置いてあった。そのベンチは、その表具屋の旦那さんの指定席のようなものであった。

ガキだった私は、この旦那さんが戦争で足を怪我したと聞いていたので、ある時興味津々で、足を怪我した時の戦争の話をせがんだ。

一瞬だが、殺気に近い怖さを感じたが、ふっと力を抜いたように表情を緩め、話してくれたのがシベリアでの捕虜収容所の話であった。その収容所で、酔っぱらったロシア兵に膝を撃たれたのが、足が不自由になった原因だそうだ。

その時、初めて瀬島龍三の名前を聞いた。「あの瀬島の野郎が、俺たち下っ端兵士をソ連に差出やがったのが原因だ。俺は絶対、あいつを許さない」と唸るように、吐き出すかのように話してくれた。

以来、私の脳裏には、瀬島龍三=卑怯な奴と刷り込まれている。その後、折に触れ太平洋戦争関連の書籍を読むと、時折この名前を目にすることがあり、私の中では、安全な場所からいい加減な作戦で兵士を死地に追いやり、なぜだか出世した嫌な奴だと認識するに至った。

ところがだ、高校生の時であったが、何故だか瀬島龍三=悲劇のヒーロー的な風潮が出てきた。それが山崎豊子の小説「不毛地帯」の影響だと分かり、私は訳が分からなくなった。

その後、小室直樹や保坂正康らによる瀬島に関する本、あるいは田中清玄や旧ソ連のKGB職員の回顧録などを読むに従い、ますます疑わしく、また怪しく思えてきた。

以来、30年以上かけて瀬島龍三に関する書物を読んできたが、私なりの結論は、限りなく黒に近い灰色に輝く男である。やはり、嫌いだと断言できるが、彼の自伝は読んだことがなかった。

いや、意識して読まなかった。それでは良くない。やはり読んでみて、もっと正確に批判し、嫌ってやろうと思っている。ただ、いざ書きだすと、とてもじゃないが一回や二回では書ききれない。

ちなみに、今回は導入部のつもりで書いている。申し訳ないが、私の我儘で、後数回書き続けます(途中、中断あり)。しばし、お付き合いのほどを。

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農業改革の後退

2016-12-05 13:10:00 | 経済・金融・税制

農政改革は停滞する。

農政改革とは農協改革に他ならない。自民党の若手のホープとされる小泉進次郎が前面に立って推し進めてきた農協改革は、今回のTPPの失敗により大きく後退するはずだ。

正直言って、若手の小泉には力不足、役不足であった。それほどに、農協と自民党農林族の関係は固い結束で結ばれている。農協は自民党議員の集票組織であるだけではない。

本来の農協は、農業に従事する人たちの共済組織であった。しかし、問題なのは、全国の農協を配下に置く全農である。全農は膨大な資金力を有する金融機関であり、保険(共済)会社であり、そして流通組織でもある。その業務は多肢にわたり、農業に従事する人で、農協と無縁でいられることは困難である。

そして、その巨大さ故に、官僚たちの天下り先であり、農家だか不動産経営者だか分からぬご老体の名誉の椅子を提供する場でもある。彼らが一体となって、縄張りに侵入してくる輩を排除する排他的組織でもある。

この農協を傘下に置きたくて、いろいろと画策しているのが、財務省である。巨大な金融機関でもあるJAだが、実は監督官庁は財務省ではない。農林水産省であることが、財務省にはどうにも我慢できないらしい。

決して口外しないが、住専問題に端を発した不良債権だが、この処理が遅れた最大の原因が農協である。住専は農協からの資金出資を受けていたがゆえに、住専を簡単に潰すことが出来なかった。

それゆえに不良債権の処理が大幅に遅れ、結果として不良債権そのものが増えてしまい、処理がますます難しくなった。そのことを恨みに思う財務官僚は少なくない。

かつて、父の小泉純一郎は厚生族といわれながら、裏では隠れ大蔵省派と揶揄されていた。事実、小泉首相はその在任期間中、大蔵省の意向に大きく背くようなことはしていない。

それに倣ったのか、息子の進次郎は財務省の意向を受けて、農政の中核たる農協改革に乗り出した。しかしながら、この農協改革に最も反対したのは、自民党農政族である。自由な経済活動(アメリカ的な・・・ではあるが)を掲げるTTPの流れもあり、改革有利と思われていた。

実際、安倍首相が公然と農政改革に前向きの姿勢を出していたことから、進次郎はかなり強硬に農政改革に立ち向かった。しかしながら、TPPが言い出しっぺのアメリカの撤退により、改革推進の空気はぶっ飛んだ。

かつて小泉純一郎は自民党の中にあって反主流ゆえに冷や飯を喰らい、その立場の弱さゆえに悲哀を舐めた苦労人であった。それゆに、常に党内のバランスを読み、自分の置かれた立場を考慮して、きわどく生き残ってきた。

いくらYKKなどとマスコミから持て囃されても、日和見を止む無くされる弱小政治家であることに変りはなかった。しかし、忠コ、金丸の死により経世会に弱体化が見えた機を逃さなかった。

派閥の親分が稀に見るボンクラ森であったことも幸いした。森は小渕首相の死後、ちゃっかりと首相の座に居座ろうとしたが、世間がその勝手さを許さなかった。この森という政治家は、驚嘆に値するほど世情に疎い。

急死した小渕の後継があまり上手くいかなかったのも幸いして、小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」と世間に期待を持たせて選挙に勝って首相の座に付いた。これは奇跡といっていいほどの僥倖であることは、YKKの残りの政治家たち、その他の反主流派の政治家の末路をみれば明らかであろう。

小泉純一郎が生き残れたのは、反主流派として冷や飯を食っていた期間に、じっくりと雌伏して機を伺っていた忍耐の時期があればこそだ。ところが、今回、農政改革を託された息子の進次郎には、その苦労がない。

だから機を誤った。まさかトランプが当選して、TPP離脱などとは予想すらできなかった。クリントンからオバマへと続いた自由貿易、規制緩和路線が、ここにきて後退するとは思わなかっただろう。

それゆえに、小泉進次郎は詰め腹を切らされる立場に追いやられた。農政改革は今後も必要ではあるが、この場を乗り切るためには、誰かを人柱にせざるを得ない。果たしてこの苦境から、どう生き延びるのか。

もし、生き延びられたら、この若手政治家は一皮剥けると思いますが、その可能性はいささか厳しいようにも思えます。なによりも、農政改革の先送りは、日本の農業を大きく後退させる可能性が高いことこそ、真の危機なのですがね。

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トリコ 島袋光年

2016-12-02 13:04:00 | 

寂しいものだ。

私は今でも週刊少年ジャンプを読んでいる。ただ、今読んでいるのは「ONE PIECE」と「銀魂」だけで、他の漫画はスルーしている。多分、後で漫画喫茶などでまとめ読みするだろう漫画なら幾つかある。

だが、毎週読みたいとは思えない作品ばかりなのだ。ただ、表題の「トリコ」は、連載完結までちょくちょくと流し読みしていた。ジャンプ得意の対決路線を踏襲しているグルメ・バトルという妙な漫画であった。

なにせ食材は怪物ばかり。それを倒して、美味しく調理して「いただきます」なのだから笑ってしまう。でも、正直言えば、名作と呼ばれるレベルの漫画ではない。どちらかといえば、流行の漫画のイイとこ取りの印象は否めない。

興味深かったのは、読者から募集した食材となる怪物たちの姿であった。私がこの漫画で一番、注目していたのが、実はこの個性豊かな怪物たち。私は子供の頃から、主役のヒーローよりも、敵役の怪獣のほうが好きだったからだ。

反面、ストーリーとか登場人物の作りは、それほどのものではなかった。凡庸な漫画家ならば、この漫画は低調なものとなっていたと思う。しかし、作者は、あの島袋光年である。

ご記憶にある方もあろうが、以前女子高生買春事件を起こした漫画家であり、そのせいで長く業界を干されていた。決して絵の上手い漫画家ではないが、妙に土性骨を感じさせる、泥臭い雰囲気をまとった絵柄が特徴であった。そして、なによりも漫画にパワーがあった。

絵の上手い漫画家ならプロ、アマ含めて数多いる。しかし、多くの読者を惹きつけるだけの漫画を描ける漫画家は、決して多くない。そして、島袋氏はその数少ない才能を有することは、ジャンプ編集部のみならず、他の漫画家たちからも認められる力量の持ち主であった。

だが、未成年者に対する買春事件は、少年誌に掲載する漫画家としては致命傷に近い。だから、私は復帰するとしたら青年誌もしくは大人向けの漫画雑誌だと思っていた。

しかし、ジャンプ編集部は敢えて島袋氏を再起用した。これだけの才幹を埋もれさす気はなく、世間の非難を覚悟の上での登用であったと思う。そして彼はその期待に応えて、見事に「トリコ」を大ヒットさせた。

率直に言えば、売れ線を狙った漫画で、絵柄もストーリーも以前より洗練されてはいたが、それほど高く評価できるものではないと私は判じていた。だが、連載が終了してみると、ジャンプの紙面の味気なさに、どうしても寂しさを感じざるを得ない。

私はあまり高く評価はしていなかったが、少し辛過ぎだったのかもしれません。

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