ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

葬送のフリーレン 原作・山田鐘人 作画・アベツカサ

2024-08-13 09:28:18 | 

私の学生生活は山登りが中心であった。

だからこそ大学4年になり現役引退となり就職活動を終えた頃、私は55歳(当時はこれが普通だった)になって退職したら、若い頃に登った思い出の山を再び訪れようと考えていた。

肩に食い込む重いキスリングという綿布のザックに喘ぎながら登った鳳凰三山。子連れのヒグマに怯えながら石狩の湿地帯のなかの竹の密生する細い山道を抜けた大雪山系。眼前にそびえ立つ壁のような聖岳の直登。長く退屈な樹林帯を抜けた先の失望の山、光岳。

年をとって、ゆっくりとゆったりと若き日の山を再び辿りたいと考えていた。しかし人生は残酷だ。難病のせいで体力を削ぎ落されただけでなく、激しい運動を禁じられた20代。50代を過ぎて心臓と肝臓に問題が判明し、ますます運動から遠ざかった。

左胸に機械を埋め込まれた今は、運動どころか日常生活を普通に送るために努力が必要になってしまった。もう山には登れない。出来るとしたらロープウェイで山頂近くまで上がるのが精いっぱいだろう。未練がましいので、むしろ嫌悪感さえ感じるが、それさえも贅沢なのだろう。

それでも私は生きている。生きている以上、単に生きるだけでは満足できない。だから若い頃に読んだ本を読み返すことを目的にこのブログを立ち上げた。これはこれで楽しんでいるが、年々読書のための時間をとることが厳しくなってきている。やはり仕事と読書の両立は厳しい。

だから読む速度を遅くして、まずは健康第一、仕事第二、読書は三番手である。幸か不幸か、定年のない自営業なので、顧客から見捨てられぬ以上働き続けることは出来る。残された時間を読書と思索に充てるのが私の老後だと想定している。

そんな私だからこそ、表題の漫画は心に深く刻まれた。数千年生きるエルフの魔法使いフリーレンが、かつて魔王討伐の仲間と過ごした短い時間が如何に貴重なものであったかを知り、改めて冒険の行程を歩み直す物語。

こんな切り口のファンタジー漫画は初めてだ。実に新鮮な感覚で楽しめる。これ、お勧めです。アニメ化もされていますが、私は原作の漫画で楽しんでいます。是非どうぞ。

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成り行き任せ

2024-08-09 09:25:24 | 日記

多分、気づかれていないと思う。

銀座のデパ地下で、お中元の返礼品を探している時だ。どこかで聞いたことのある声に気が付いた。一瞬、ドキッとしたのは、記憶の奥底にしまい込んでいたからだ。

後ろ姿だけだが、あの特徴のある声からして彼女だろう。あれは20代の頃、まだ難病患者として先の見えない療養生活を送っていた頃だ。いつ治るのかは不明だが、きっと治るものだと信じて、次なるステップを考えていた。

大学のゼミは監査論の三沢教授であり、公認会計士への道も考えたが、衰弱した体なだけでなく、疲労などが再発原因となることは分かっていた。そうなると公認会計士受験はあまりに無理が多すぎる。当然に司法試験もダメだ。公務員試験も考えたが、私の性格からして無理だと思った。役人勤めはこの私にはハードルが高すぎる。

あれこれと調べて、一科目ごとに受験が出来て、トータルで5科目合格で官報合格となる税理士試験を目指すことにした。一応受験資格は持っていたが、如何せん大学時代はひたすらに部活であり、勉強は必要最低限のナマケグマである。まずは基本の簿記から始めた。一応、大学で3級までは学んでいたので、いきなり2級クラスを受講した。そこで出会ったのが彼女であった。

教室の中で何度か見かけたが、ある日彼女の後ろの席に座った。そこで気が付いたのだが、実に後ろ姿が凛々しいというか、背筋がしっかりと伸び、それが腰回りのふくよかさを強調する素晴らしいスタイルの持ち主であった。いったい、どんな運動をしていたのだろうと思ったが、さすがにいきなり尋ねる勇気はなかった。

いや話しかける勇気どころか、教室に通うだけで疲労困憊していた。3年以上にわたる療養生活は、想像以上に体力を削っていた。十代の頃は夏冬関係なく日焼けしていた私だが、当時は色白の肉の薄い青年に堕していた。ただ意地っ張りなので、病身であることを必要以上に隠そうとしていたので、周囲からは普通に見られていたと思う。本当は心身ともに傷つき、病んだ体に劣等感を覚える歪な若者であった。

だから自分から告白とかは全く考えられなかった。ただ魅力ありげな女性なので、気が付くと見つめている下心ありありの自分に気が付いて、いささか困惑していた。なお日商簿記二級は商業簿記と工業簿記に分けられる。先に商業簿記をやり、次に工業簿記の講義を受けた。

空いた時間は自習室で勉強していたが、もとよりじっとしているのが嫌いなナマケグマである。ジュースの自販機がある階段わきの談話室で同じ受講生たちと、息抜きでお喋りに昂じる余裕も出来てきた。その場の話題は自然と同じ受講生たちの中でも目立つ人となる。

毎週やっている定期模試の上位常連であった私もその話題によくあがっていたが、一応大学で会計学をやっていたのでむしろ気恥ずかしいくらいだった。だって必修の履修科目だったし、これを取ってないとゼミ合宿で格好悪い。ただもう3年以上経っていたので、簿記の感覚を忘れていたので二級から始めただけで、成績上位は当然である。

もちろん優秀な成績の女性もおり、特に私と最高位を争っていた女性は話題になることが多かった。もっともその女性は夜の講義だったので、私はその当時は名前しか知らなかった。後に税理士課の法人税のクラスで一緒になったが、なんと東大卒の商社の総合職で、仕事に限界を感じての受験だった。そりゃ優秀だわな。

一方、私が注視していた件のスタイル美人さんは、優秀成績者に名を連ねることはなかった。ただ男性陣の注目度は高かったと、その談話室で知った。まぁ人目を惹くスタイルなのは間違いないから仕方ないと思う。

ある日、談話室のメンバーが若い男性だけになった時、どの女性が好みかなどの話題となった。うろ覚えなのだが、私はあのスタイル美人さんを当時人気があったAV女優さんに例えて評したと記憶している。まさかその話が彼女に伝わるとは思わなかった。

その日、講義が終わった後、私は帰宅するために階段を使って校舎を出た。出た先に件のスタイル美人さんに出くわした。私を睨みながら「ちょっと、私がAV女優に似てるってどういうこと」と詰問された。焦った、焦った。確かに言ったが、誰だ彼女にチクったのは。

いささかパニック状態で私は「違う、そのAV女優があなたに似ていると言ったんだ」と訳の分からない返事をした。「はぁ、同じじゃない。どういうこと!」とますます怒る彼女。余計にパニックが加速した私は、「違う、全然違う。主があなたで、そのAV女優があなたに似ているだけだ」

正直、言っている自分でも論旨不明の意味不明な言い訳であったが、ふと気が付くと彼女が下を向いている。よく見ると顔が真っ赤になっている。なんだろう?!

良く分からんが取り敢えず謝った。「勝手なこと言って悪かった。お詫びに近くの喫茶店でケーキでも如何」と言うと無言で頷き返してきた。これってOK?なんだかよく分からんうちに、その女性と付き合うことになった。予定外というか、想定外であり、どうも私の人生寄り道が多すぎる。

講義以外で会うようになり、ようやく彼女が陸上部の中距離ランナーであったこと。普通のOLになるのが嫌で資格をとろうとして簿記学校に通っていることなどを知った。ただ、彼女正直言って簿記のセンスがない。

簿記というものは、事業体の経営活動を数値で示す言語のようなもので、数学というよりも算数のセンスが必要となる。もっといえば外国語を学ぶ感覚が一番近い。ある程度辛抱して覚えないと、どうしても身に付かない。私は三か月の講義で日商簿記検定2級に合格し、すぐに税理士課へ移ったが、彼女はダメであった。

次第に疎遠になり、気が付いたら自然消滅の形で別れた。短い期間ではあったが、私としては学生気分で楽しめたし、その後難病を再発してからは殊更自宅に引きこもるようになったので、ある意味別れたのは正解であったと結論付けている。

恥を忍んで書いてしまうと、私の恋愛事情は予定通りにいったことがなく、いつも成り行き任せというか、偶発的な経緯で始まることが大半である。仕事では予定を組むのが普通であり、それなりに上手くいっているのに、恋愛関係は一切ダメというか不器用極まりない醜態である。

還暦過ぎてしまうと、今更改善する気にもなれず、このまま人生を終えるのだろうと諦めている。このあたりのナマケ具合こそが私の本性なのでしょう。まっイイか。ちなみに声をかけることなく、その場を静かに立ち去りました。今更未練もありませんしね。

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パリ五輪サッカーの総括

2024-08-08 09:09:01 | スポーツ

積み重ねた歴史の差が出た試合だった。

パリ五輪の男子サッカーは、スペインに0-3で敗れた。A代表同様に勝利を期待した人も多かろうと思うが、私は厳しいだろうと思っていた。

とはいえ、個々人の能力差はあまり強く感じなかった。感じたのは戦術の差というか、チームとしての共通理解の差であった。若きスペインの選手たちには、ゴールに向かっての共通の理解があった。だから正確で素早いテクニックを駆使しての戦術に、日本とは格段の差があった。

元々スペインは3-4-3のシステムをジュニアからA代表まで一貫して使っている。戦術の理解度は誰がピッチに入っても変らないレベルまで磨かれている。しかし、日本は違う。残念ながら日本人監督及びコーチには、世界の一流国に通じるだけの試合経験が圧倒的に不足している。

一言で言えば、戦術の引出が少ない。だからこそ森保監督の「戦術・伊東」とか個人の資質を最大限に活かしたうえでのチーム戦術となる。現状、このやり方がベストであることは、先のカタール・ワールドカップ大会での成果をみれば分かる。

基本、今回の五輪サッカーチームの監督を務めた大岩氏も同様の戦い方をしている。日本と云えばチームプレーが有名なのだが、こと戦術面に関して云えば、個人を活かす戦術であり、誰を中心にもってくるかで戦い方ががらりと変わる。勤勉でコミュニケーションが強みの日本チームだからこそ出来る戦術でもある。

これはハマると強い。あのドイツやスペインに勝てたのだから確かだ。でも忘れてはいけないのは、カタール大会でコスタリカに負けていることだ。チーム戦術よりも個々の選手の閃きと展開力に頼る柔軟な戦い方をするチームに、即座に対応するだけの戦術指導は出来ないのが、日本サッカーの弱点だ。

これは一朝一夕で解決できる弱点ではない。おそらく海外リーグで活躍し、その上海外でのコーチ経験のある日本人が出てこないと厳しいと思う。単に勝利を稼ぐだけなら優秀な外国人監督に任せれば良いのだが、それだといつまでたっても日本人の指導者が育たない。

やはり長い目で見ていかざるを得ないことが確認できたパリ五輪でした。

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愚痴

2024-08-06 12:48:41 | 日記

我ながら情けない。

>重度のギラン・バレー症候群と診断されたドジャースのフレディ・フリーマン内野手(34)の三男・マキシムス君の退院に暖かいコメントが寄せられた。

私は母をギランバレー症候群で亡くしている。活動的な人で、私のようなナマケグマと違い、いつも動き回っていた。だからこそ全身麻痺で動けなくなった自分を理解できず、病院で騒ぎ立てる有様であった。

だが時間とともに受け入れたかにみえたが、今度は極度に人嫌いになり家族以外を受け入れなくなってしまった。だから葬儀は身内でしかやっていない。随分と不平も言われたが母の最期の頼みだと突っぱねた。

ただ、それが正しかったのかは今も少し疑問に残る。別に親戚に不満がある訳ではない。ただ母の最期の頼みに忠実でいたかっただけだ。それでも心の中で消化しきれぬ思いはある。

フリードマン選手の息子さんが回復した記事を読み、あぁ回復することもあるのだと思ったが、そこからのリハビリは大変だろうと思う。何故に母も回復できなかったとの思いも、今更ながら私を悩ませる。

私はどうも器の小さい人間みたいだ。

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鮎の塩焼き

2024-08-05 12:50:50 | 健康・病気・薬・食事

私が唯一、頭から尻尾まで食べる魚、それが鮎だ。

世の中には器用な御仁がおり、鮎の骨抜きなんて手技もある。だが敢えて断言する、鮎は骨ごと食え。頭から尻尾まで食べてこその鮎だ。出されたお皿には、骨も皮も残してはいけない。

季節と値段の問題はあるが、出来たら天然ものがベスト。私は子供の頃、祖母に天然物の鮎の塩焼きを教わり、以来ほぼ取り付かれている。ちなみに天然ものは初夏がベストだ。食通の方に言わせると、刺身がベストとか天婦羅がベストとか言われるが、私は黙って塩焼きを頭からガブリと食べる。これが一番幸せだぁ。

まぁ実を言えば天然物の鮎を食べるのは贅沢だと思っている。養殖ものだって香りが薄いだけで不味い訳ではない。基本、なんでも食べる食いしん坊なので、淡白な白身の美味しい鮎は何時だって食べたい。だから全体からすると、養殖もののほうが多く食べている。

この時期は法人決算の主だったところの業務を終えて慰労会やら、決算報告会の後の会食が何件かあるので許される贅沢である。猛暑で食欲が落ち勝ちですが、鮎の塩焼きを食べると元気でますよ。

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