調整を終え、夜を待つ
鏡筒:タカハシ10センチ、赤道儀:ビクセン
以前にも増してこの頃、山奥の集落とか、今では考えられないような場所に人々の生活の名残や、片鱗を目にするとことのほか感動する。そして、「こんな山奥で一生を暮らした人々は、まずマグロの刺身など知らずに終わっただろうな」などと、その暮らしの中に欠落していたであろう物品の中でも食物がまず頭に浮かび、それを代表するのが決まってマグロの刺身となるのだ。
だから、小黒川の流れる人里を遠く離れた山奥にその昔、人が歩いた径があったと聞けばそこを歩いてみたくなるし、神社があると聞けば是非とも訪ねてみたくなる。当初の目的であった入浴も、白岩岳への登山路の探索も、将軍の側室の地位が年齢とともに下降していったように・・・、うーんこんな譬えにもならぬことを言うまでもなく、どうでもよくなってしまった。
どのくらい歩けばその目指す神社にたどり着くことができるか知らぬまま、九十九折の山径をかなり急いで登っていった。しかし思ったよりも早く、その神社の鳥居が眼前に現れた。木製でかなり風雨に晒されてはいたが、明神式のしっかりとした鳥居であり、その先に荒廃した社があった。社殿の中には三つの厨子が安置されていたが、その位置は乱れ、今ではそれを正す人もいなくなってしまったようだった。境内に散乱していた落葉松の枝を少し片付け、そこそこに退散した。
運悪く、携帯電話をその日は忘れてしまったため、神社をここに紹介できないが、大祇神(オオヤマツミノカミ)を祀った神社で、営林署、現在の森林管理署が建てたものだと、帰ってから北原のお師匠から聞いた。確かに近くの対岸にかなりの規模の林野に従事した作業員の宿泊所が残っているが、それとてすでに廃屋と化して長らく放置されたままだ。
神社が民衆によって建てられたものではなかったことに軽い落胆を覚えたが、それでもフトノ峠に通ずる山の径はかつて人が行き来した道であり、古い山道に往時を偲ぶことはできた。
昨夜は天気回復せず、折角の天体望遠鏡は眠ったまま。
山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H28年度の営業案内」をご覧ください。