桐一葉落ちて天下の秋を知る
いきなりそんな言葉が口をついて出た。半対(はんずい)峠から小黒川の川床に下り、一服していた時だった。狭い谷の中に差し込む逆光を浴びて、はらはらと幾枚かの枯れ葉が白濁した流れに舞うのを見ていた。
女性二人の同行者のうちの一人もそれを目にし、「ワー、きれいね」と声を上げ、もう一人にその光景を見るように促した。
連休は好天が続いた。各地のキャンプ場の中には、予約が取れないほど賑わった所もあったと、常連のSさんから聞いたほどだ。確かに入笠山にはたくさんの人が訪れたようだし、テイ沢から来て牧場を通過していく人の姿もよく目にした。
当方のキャンプ場は連休と好天の影響を受けながらも特に混雑することもなく、人出はいつもの週末とそれほど変わらなかった。
そのせいもあってか、この独り言を聞いて初めて訪れたMさん夫婦などからは大いにここを気に入ってもらえて、話も弾んだ。
冒頭の二人の女性というのも、名古屋から何度か来てくれた顔見知りで、予約時に初日13日は「日向山」に登り、その後ここの小屋に1泊し、翌日は半対峠までを往復する計画だと言っていた。それでつい、帰路は川床に残る古道「石堂越え」を勧め、暇だったら案内してもいいくらいのことを言ったみたいだった。
高座岩から先は、この春にその先の大崩落を見にいって以来のことで、半対までとなると10年以上も前になる。
川床に残る踏み跡同然の道は「単に釣り人が歩いてできた道とは思えない」と言う人もいて、もしそれが本当に「石堂越え」の一部であるのなら、千年以上も前に遡ることの可能な古い道ということになる。北原のお師匠がまだ元気なころ報告した時は「それが石堂越えだぁ」と電話の向こうで叫んでいた。
仮にそれが古道であってもそうでなくても、少なくも昭和初期のころまではこの川床の道を利用した人がいたことは間違いないと、この踏み跡を辿るのは今回で3回目か4回目になるが、確信した。
牧場で働くようになった18年前は「入笠トレッキング」などと称して、(またPCがおかしくなったが続ける)、鹿嶺高原まで12.5㌔の尾根道を歩く市が主催する催しが行われていた。確か牧場で働き始めた年は、その催しが行われた最後の年だったような気がする。
初めての時はそれとは関係なく単独で、半対峠までは問題なく行けた。しかし、その後2度目だか3度目だか忘れたが、峠に下る道が変わったり、その表示が不正確で、この時も案内役を兼ねながら少々戸惑ったことを覚えている。
今回は最初の時の道を記憶を頼りに行くことにし、必ずしも同じ道ではなかったものの、それでも目標にした峠に着くことができた。(つづく)
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本日はこの辺で。