入笠牧場その日その時

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     24年「春」(17)

2024年03月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 あの事件は一応、嘱託殺人罪だと理解しているが、詳しいことは紙で読んでいないので知らない。なぜ、懲役18年の判決が下されたかについても、驚きはしたが、もっと詳しいことが分かれば納得できた可能性もある。
 そんなわけで、これから呟くことはあの事件に触発されて、たまさか頭に浮かぶ安楽死についての極めて個人的な思いであり、関連する法の理念を充分に承知した上、というわけではない。

 思想の自由、信仰の自由、結社の自由などなど、われわれにはいろいろな自由が法によって保障されている。まず素朴な疑問は、それらの自由よりもさらにもっと根源的なはずの生死の選択に限って、なぜ安楽死の選択がもっと自由に許されないのかということである。
 もっと言えば、当事者でない第三者と言ってもよい国が、そもそも一人の人間の生死に関することを、法により過度に縛ったりすることが正しいのかと疑問に思う。ただし、オランダのように手段には様々な規制があってもいい。
 
 難病で苦しむ人がいる。病による人格崩壊を怖れる人もいる。老々介護で苦労する人たちもいる。そうかと思えば、まだ30代の身で脊椎カリエスの痛みに苦しみ、悲鳴を上げながらも「あらゆる生を受け入れることが悟るということだ」と言い切った勁い人もいた。
 信仰する宗教が自死を認めてない場合もある。それに従うか否かも含めて、人生の閉じ方を決っする権利はその当人にあるはずだ。
 
 進化論を信じない人が多数いるというあの国でも、10州以上が安楽死を認めていると聞く。ヨーロッパにも先日のオランダも含め、認めている国が幾つもある。
 高齢者、独居老人が回復の見込みがない病に罹れば、あるいは生きることに疲れ厭きたり、痴呆症になって下半身を晒し徘徊するようなことになるなら、他人に迷惑を掛ける前に静かに逝きたいと思う。その手段としての安楽死を考えている人は周囲にも大勢いる。
 
 報道や雑誌もの言う人らが、高額の出演料や原稿料を貰い、庶民の暮らしに同情を見せるのもいい。しかしたまには、こういう問題についても世論を喚起してみてはどうか。
 裏金問題で紛糾を重ねる政治家たち、期待するのは無理かも知れないが、誰もがいずれは通らなければならない道、議場で白河夜船を決めているアンタもだ。
 
PS: TDS君が親切にも嘱託殺人事件に触れた3月6日付けの毎日新聞を届けてくれた。しかしそれを読まずに呟いた。加筆、訂正を含め、「つづく」としたい。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 

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