入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

        牧人の休日 (21)

2015年02月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

雪の第1牧区を振り返って

 この写真も先達ての2月15日、スマートフォンで撮影した。スマフォでもなかなか良く写ると思うが、欠点もある。低温に弱い。カメラも含め、こういう精密機器はみんなそのようだが今の時期、山の中では大概「高温に注意せよ」の表示が出て沈黙してしまう。わざわざ重い荷物をおろし、手袋をはずし、ザックを開き、一応は防寒対策をしたつもりの入れ物から取り出すと、用をなさない。こうなると、がっかりするだけでなく、その徒労に腹が立ってくる。だからこの日もこの写真を撮ったのを最後に、スマフォはザックの中奥深くへ押し込んだ。上手い方法もきっとあるだろうに、そういう知識の不足は認めざるをえない。
 元来が、いい景色を目にする都度、パチパチと写真を撮るようなことはしなかった。この日の帰り道でも、もしかすれば法華道の”傑作写真”が撮れたかもしれなかったが、目で見る以外はひたすら歩くことに専念した。
 
 美しい景色や何か面白い被写体を目にするごと、写真家でもないのに、義務感にかられるように写真を撮る人がいる。なんでもかんでもいちいち記録に残さないと、気の済まない人もいる。そういう人は決まって、名所旧跡へ行けば、それをバックに自身の写真を撮れとせがむ。悪いと言っているわけではない。半ば、習慣化しているということを言っているのだ。喫煙家が、ニコチンの影響ももちろんあるが、それよりももむしろ、習慣で吸っているのと同じように。
 煙草を止めたのは、こういった習慣に囚われているのがいやだったのが最大の理由だ。それに、山行日数が長い場合、一つでも余分な物は持ちたくないのに、嵩張る煙草は厄介この上ない。

 年に一度は禁酒する。アルコールも、煙草と同じようにかなり習慣的なものだろう。よって、こんな習慣からも自由になるべきだと、しかしまだ、そういうふうには考えていない。酒の効能が心身に沁み込んでいるからだろう。ただしそれでも、必要があればこのアルコールさえも、止めるという覚悟はある。それで年にたったの1回だけだが、断酒の練習を実行している。え、その期間?まあ2,3週から1ッか月で、その間にも断れない付き合いがあれば、そういうときは1,2回断酒を休むようにしている。ムー甘いか。
 考えれば、いろいろな習慣や、癖がある。良いものもあれば、悪いものもある。いつかこのブログに、その良い習慣や癖を紹介することができればよいのだが・・・。

 3月、まだたくさんの雪が残っています。日ごとに光の明度を高める牧場にでかけてはみませんか。山小屋「農協ハウス」の営業につきましては、昨年の11月17日のブログなどをご覧ください。
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        牧人の休日 (20)

2015年02月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    たった二日前に残した足跡も、きれいに消えていた

 さっきまで雪が降っていたが、いつの間にか止んだようだ。しかし、灰色の重たげな空はまだ降り足りぬようで、またいつ雪になるか分らない。

 今週末にはまた上にあがらねばならない。あまり積雪が多いようだと、法華道以外の方法も一応考えておかねばならない。と言って、大ダオ(芝平峠)経由は変化に乏しいダラダラと続く林道で、こういう雪道を何時間も歩くのは疲れる。山スキーなら面白かろうが、スノーシューには向かないと、あれ以来決めている。
 今日の写真は、管理棟の背後の斜面を急登しているところだが、こういう傾斜のある登りの方が集中できる。もっとも、こんな傾斜がいつまでも続くようなら、どこまで持つかは分からない。
 
 何年か前の冬、大ダオ(芝平峠)経由焼き合わせ、そして牧場へのコースを歩いていて、「ド日陰の曲り」少し手前で、女物の白いスキー帽を拾ったことがある。どうもその帽子の持主は、上から下ってきている二つの足跡のどちらかだと思ったが、どちらもツボ足だった。きっと若い男女あたりで、途中で折り返したようだったが、それにしても大変な思いをしたはずだ。雪のない時期であれば、大沢山の裾を一周できる8キロのコースで眺めもよいが、夏道でも歩くようなつもりでうっかり、歩き出してしまったのだろうか。

 ツボ足で思い出したが、初めて法華道を行ったときはこちらもツボ足だった。それも唯一の例外で、相方がいた。尾根が終わり、林道をいくらも行かぬうちに雪を被った大岩が目に入った。驚いたが、深く考えなかった。 それまで御所が池に行っても、そんな大岩などにお目にかかったことはなかったのだから、本来はそこで深く考えるべきだった。まあ、冬と夏の違い程度にしか思わなかったのだろう。
 そして依然として法華道は、御所が池へ行く道と同じだと、固く思い込んでしまっていたからいけない。ために翌日は、何の迷いもなくそうした。そして迷い、出発点である諏訪神社より下方2キロの地点に出るという、失態をしでかした。
 こういう失敗を棚に上げて言うのもなんだが、いわゆる登山の標識布と、林業関係者の間で使われている赤布の標識とが、判別できないことがよくある。このときもそうだった。両者を区別する何らかの方法を考えるべきだと思うが、どうだろうか。

 先日の20名プラス幼児2名のグループの中のTさんから、「楽しめた」との嬉しくも有難いコメントを頂いた。またお出掛け下さい。
 歩中さん、3月、1泊でも2泊でも当山小屋利用の、人数はお任せで、講習会の企画ありませんか?
 
 3月、まだ雪は深いですが、光の明度が一段と高くなる早春の入笠牧場へ、是非お出掛けください。
 

 
 
 
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続 冬の法華道と入笠牧場 (2月13、14、15日)

2015年02月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   物置小屋の屋根に積もった雪

 雪の森を歩きながら、妙にザックの中の本のことが気になった。前日、友人が送ってくれたばかりの山の本で、管理棟で夜時間を潰すには丁度よいと思って持ってきたのだ。いかにも山とは縁のない本好きが選びそうな、そんなタイトルの本だった。内容は、大方予想できたし、その本が特に読みたかったというよりも、早く本でも広げてくつろげるような場所へ行きたかっただけだと、今なら分かる。
 本以外のことも当然考えた。冷えたビールや、ドロドロとしたウイスキーは、考えるというよりも恋しかった。山の中を歩いていると脈略もなく、断片的に、いろいろなことが突然頭に浮かんでくる。小説「氷壁」の中で、主人公がかつてのパートナーの妹に、山を登りながら何を考えているのかと尋ねられる場面が出てくるが、主人公がどう応えたか覚えていない。しかし彼にも、大した返答はできなかっただろう。
 
 距離を稼げぬもどかしさにふと振り返えってみたら、雪の上に残した足跡が一本、細い線のように緩やかな曲線を描きながら、落葉松の森の雪の中を進んできていた。一人でいる雪山の寂寥感が、心の中に沁みてきた。


   管理棟前の水場はこのごとく

 夕飯は湯豆腐をするつもりで豆腐を持ってきたが、その気になれず中止した。例の山の本を読みっ飛ばしながら、道中恋しかった飲み物を飲んだら、またいつものように空腹感が消えてしまった。
 HALにはシーチキンとパンをトッピングしたユーカヌバ(高級!?ドッグフード)に、いつものように湯をかけて上げた。寒さのせいだろうか、しきりと部屋に来たがるが、心を鬼にして極寒の夜に耐えてもらった。

 一夜明けて、20名プラス幼児2名の客の来る日とあれば、それなりにすることもある。小屋の玄関前の除雪にも、一汗かいた。
 初めての客は13時過ぎ、やってきた。スノーシュー、山スキー、ワカンと様々。元気のよい挨拶が飛んできて、久しぶりに辺りに賑わいが戻った。それまで一本の誘導路しかなかった雪の原が、その日の夕方には雪合戦の後の校庭のようになり、そしてその夜、笑い声はいつまでも絶えなかった。山の会というわけではなく、気の合った仲間たちだという男女20名だったが、それなりにそれぞれが協力し合い、よくまとまったグループのように見えた。自転車やカヤックもやるアウトドア愛好者たちだと聞いた。



 短い山の日々が終わり、彼らは去っていった。一泊ではもったいないと別れ際、幹事のIさんにはそっと言っておいた。
 
 3月、光の明度が一段と高くなった早春の入笠牧場にも、是非お出掛け下さい。
 古くて恐縮ですが、山小屋「農協ハウス」の営業に関しましては、昨年の11月17日のブログを参考にしてください。またコメント欄へもお問い合わせください。

 
 



 
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冬の法華道と入笠牧場 (2月13、14、15日)

2015年02月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    山椒小屋の道標

 2月13日予定通りHALを連れて、法華道から入笠牧場へ上がる。天気は午前中は日が射すも、風は強く、時折不気味に咆哮した。上りだしの積雪は、スノーシューでくるぶし程度、しかし当然ながら登るにつれて積雪は増し、2時間ほども経過したか、「脛巾当て(はばきあて)」辺りからは、雪も深くなり登行の速度もガクンと落ちた。
 この古道・法華道の伊那側には、幾つもの古い名前が残っている。下から、「万灯」、「龍立つ場」、「門祉屋敷跡」、「爺婆の岩」、「厩(うまや)の平」、「脛巾当て」、「山椒小屋」、「御所平」、「御所平峠」などだ。富士見側にも「池の十(いけのとう)」などやはり古い名前はあるが、伊那側は、このブログにも時々登場して頂いている芝平出身の北原厚氏、通称「北原のお師匠」が、古道の復活に努力され、それぞれの場所に名前とその由来を記した道しるべを、自費で立ててある。


    今では最良のパートナーHAL

 この古道を、冬歩く人はまずいない。しかしそれが不思議だ。昨今山の人気は高まっていると聞くが、それなりには知られているこの古道を歩こうとする人がいない。何故だろう。冬の山を知るには、持って来いのコースだが。
 法華道は一本の尾根を行く。したがって、迷うこともなければ、樹林帯の尾根で雪崩の心配もない。ただ、山椒小屋を過ぎると尾根は消えて、広い傾斜の残る森の中に出る。この辺りからはあまり夏道を意識せず、傾斜や起伏を自分の好みで選びながら、上手に行けば古い林道らしきにでる。出発点から、早ければ3時間前後でここまでくる。この落葉松の森の雰囲気は、いつも後になって味わい深く、心に残る。
 山椒小屋は「お助け小屋」とも呼ばれ、かつては旅人の難儀を救ったりしたことがあったのだろう。こんなところに小屋があって、一杯の熱い茶でも振る舞われたら、旅の疲れもさぞかし癒されたことだろう。お師匠の話によれば、近くにはクリンソウの群生もあるという。
 その林道をしばらく進み、一度大きく左折すると、右手に”大岩”が見えてくる。さらにそこを過ぎて、もう一度右に折り返えす・・・。そうやって、ひたすら歩く。雪道を歩くということは、緊張を保ちつつ、思うように捗らない苛立ちと、疲労の中をじっと耐えて歩き続けることと言ってよい。
 そういう歩行を続けていけば、2時間もしないうちに御所平峠に着く。お師匠が、二人の孫の力を借りて担ぎ上げた、一体の地蔵と石の道標が、雪の中に眠っている。左斜めに下っていけば小黒川林道、そして入笠牧場に到着する。ゲートを超えてすぐに、左手に山小屋「農協ハウス」が目に入る。




    今にも崩れそう、大丈夫か
    

    雪のモンスターは軽トラ

 この度し難い雪の量。ただただ笑うしかない。(つづく)
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牧人の休日 (19)

2015年02月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 自然の風景は美しい。つくづくとそのことを感じ、思うときがある。それと比較したら、どれほど壮大な近代都市であっても、どれほど最先端技術の構造物であっても、どれほど広大な権力者の庭園であっても、敵わないと言っていい。一寸した川の流れ、鳥の振舞いや囀り、深い森や林、透明度の高い湖沼や渓谷・・・、冬の夜空を飾る星々などなど、見る者をどれほど快くしてくれることか。
 考えてみたら当前のことだと言ってよい。現生人類がアフリカに誕生して20万年この方ずっとこの自然に守られ、ときに闘い、ときに裏切られもして、まさにその一部のようになって生きてきたのだから。
 それに比べたら、人工物などたかが知れてる。いくら古いと言っても、ピラミッドも万里の長城もわずかウン千年の歴史でしかない。草原をさすらい、野に伏し、星に導かれ、ずっと共にきた遠い人類の、そのまた祖先の時代も加えれば、700万年にも及ぶ。ウン千年はそれを思えば、昨日のことだ。
 洞穴の住人が火を発明し、以来われわれの祖先はそれを見つめ、守ってきた。自然も火も、人間の目の奥の奥にまで浸透し、いつしかそれらに接すれば、懐かしいとか美しいと思うようになった。と同時に、自然に対して怖ろしさも併せ持つようになったがゆえに、神が必要にもなったのだろう。



 ともすれば自然を讃える反面、人類が生み出してきた膨大な知の結晶を蔑ろにしたり、その行く末を不安視したりする。しかし文明の恩恵は、自然に劣らずあまりにも大きい。一度手にした火を、二度と手放すことがなかった洞穴の住人のように、これからも人類は文明を進歩・発展させていくだろう。
 ただときどき美しい自然を眺めながら、それを変え、汚し、破壊してきたわれわれの行く末についても、思わざるを得ない。果たしてこの星はどうなっていくのだろうか。もちろん、「太陽の死滅する」50億年も先のことを言っているのではない。
 
 遠からず人類は、他の惑星に進出する時代が来ると言う。しかし、われわれの子孫がその宇宙で、この星よりも美しく、住みやすい星に出会えるとは思えない。故郷より素晴らしい土地など、どこにあるというのだろうか。もしあったとしても、人類の歴史と同じくらいの時間を、そこでも生きてみなければなるまい。そうすれば、砂漠や岩石だけの、およそ色彩を欠いた味気のない星が、美しい故郷に見えるようになるかも知れない。ただそのころまでにはわれわれ人類にも、その役割にも、終止符が打たれてしまっているだろう。と、今夜はそんな妄想。

 「キクはきっと生きてると思いますよ」と電話で言ったら、北原のお師匠、「そのときは、肉を買って持っていってやろうと、いつも考えているんだ」と、優しいことを。相変わらず気遣ってくれていて、本当に有難いことです。

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