ある時、「日記を書こう」と思った。
売り場に行くと さあ、書け!と挑まれているようなページ数の、
(その時の私には、そう見えた。)
つまり 毎日たくさん書き込めるスペースの物ばかり
目に入ってきた。
もう、見ただけでしり込み。
世間の 日記を続けている人たちは、
あの分厚い(そう見えたんデス。)本のようなページを
全て埋めて(←なんだかいろいろ繰り返しているが、「ウメル」という言葉が
その時浮かんだのデス。)いるのだろうか。。。
いったい 何、そんなに書くことがあるのだろ?
しり込みしたけれど そのまま帰ったわけではなかった。
はじめに “「日記を書こう」と思った。”と書いたが、
「日記(のようなもの)を書かなければ。」の
切羽詰った感じの気持ちだったんデス、その頃。
○ 結婚
○ 出産
人生大きな節目を越しつつあるのに
写真くらいはたまっているけれど、
“書いたもの”がほとんど残っていないんだなあと ふと気になりだした。
「まっ、子育てしてるんだし 『育児日記』をつければいいんじゃん。」と、
(日記というものをほとんどつけたことがなかったのに)
いきなり三年連用の育児日記を買ってきて・・・、三日も続かなかった。
続かないのはある程度予想されたが
モノが育児日記のせいか、
『 ○ あー、先週より こんなこともできるようになった。
○ あー、おとといから あんなこともしゃべるようになった。
○ あー、(以下略)。
の 「あー」がどんどん増えるのに、
夜遅く帰る夫や 遠く離れた親戚に伝えようとすると、
半分もうまく再現できない。
(忘れちゃうんです。次々新しいことが起こるので…。)
育児日記さえうまく続いていれば…。』
の イライラが発生してしまった。
三年連用なんて 私には大それたことだったんだわ。。。
日記といったら “一年もの”よ と、
三日坊主は三年連用のせいにして 日記を再開しようと
冒頭のように 日記売り場にやってきたのだが、
○ 毎日毎日のきらきらしたものを書き留めなければ!
の 高揚した気持ちは、
“一年もの”ですら分厚く感じてしまう日記初心者からすぐ消え去って
<いったい 何、そんなに書くことがあるのだろ?>の
矛盾も矛盾な印象に取って代わってしまったのだった。
“日記”だから私には無理なのかもー。
普通よりたくさん書き込める“手帳”にしよう。
と 日記売り場に続く手帳売り場に移動してみた。
あーだこーだ
ぐだぐだ考えて疲れた頭の私の前に現れ出たのは、
博文館新社発行の 「コンパクトダイアリー」だった。
[2012/10/19 編集]