<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

地上が人間を喜ばしにかかる

2016年04月07日 20時03分28秒 | Weblog

好きだねえ。もう日が暮れてしまうという頃になって、小雨の降る中に出て行った。庭の草取りをした。ユリの群落の周辺を。なあに、ほんのしばらくである。しばらくでいいのである。ユリに会いたかったのである。これでいい気持ちになった。好きだねえとしか言いようがない。しかし、お陰でユリの新芽を幾株か発見した。こうして地上は人間を喜ばしにかかるのである。これを受けたさぶろうはその場で小躍りをしてごっそりよろこんだ。雨が着ているシャツを濡らしてしまって、寒くなって家の中に走り込んだけれど。

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何年生きればその耳ができるか

2016年04月07日 19時17分32秒 | Weblog

そこに「乕嘯」の書額が掛けてあった。瑞巌寺第126世松原盤龍老師の書らしい。崩し字なので読めなかった。尋ねて教えてもらった。「乕」は「虎」の俗字である。だからこれは「虎は嘯(うそぶ)く」ということになる。

これは四字熟語「龍吟乕嘯」がもともとのようだ。出典は文選。龍が声をあげれば、わたしの中に雲が湧き起こり、乕(虎)が声をあげれば、わたしの中に風が生じる。つまり互を読み取って「相和す」。師弟が相和し同胞が相和す。家族が相和し夫婦が相和す。そういうふうに理解をしたがどうなんだろう。

龍でなくとも声を上げている。虎でなくとも声を上げている。鳥も蛙も虫も。雨も風も。川も海も。それを聞くだけの耳がこちらにあるかどうかだ。聞けば相和していけるはずである。70年も生きているがその耳が出来てこない。残念なことである。何年生きればその耳ができるか。それすらも覚束ない。

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空を握る蕗の薹

2016年04月07日 15時22分14秒 | Weblog

行く春の雲を握るや蕗の薹    李 白黄

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雨の中のドライブをしてきました

2016年04月07日 14時58分39秒 | Weblog

10時半に家を出て3時前には戻って来ました。雨降る中、家内を伴って、三ツ瀬峠のトンネルを超えて、福岡県糸島にある「伊都菜彩」という道の駅風なところまで行きました。こっちも土砂降りでした。それでも、詰めかけたお客さんで溢れていました。ぐるっと見て回ってカワハギの大1尾と黒鯛の小2尾と海のミルク・牡蠣の大の、ワンパッケージを買ってきました。帰宅して早速黒鯛の鱗を取って捌きました。

お昼は蕎麦屋さんでタラの芽の天麩羅蕎麦を食べました。椿の花片の天麩羅もありました。この頃やけに蕎麦好きになっています。デザートに洒落た餡子が出て来ました。

明日はお釈迦様の誕生された日に当たると言うことで部屋に誕生仏が配置されていました。床掛けには「非時有香」の赤い拓本が掛けてありました。「時に非ずして香の有り」と読んでみました。違うかも知れません。期せずしてすいいと花の香りが漂ってきたということでしょうか。この花はお釈迦様に因んで白蓮華がよさそうです。

ここの手作りの味噌がおいしいので帰りに1袋を求めました。広い境内にハクモクレンが満開を迎えていました。

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鬱屈するしかないのか

2016年04月07日 09時31分25秒 | Weblog

蕗は期待に違わずおいしかった。春が口の中で香った。初摘みだった。薄緑だった。柔らかだった。蕗畑はこの雨でますます勢いを増して来るだろう。雨を喜び迎えているものもいるのだ。地下茎が地上に地上茎を出してそれがぐんぐん春の空を目指して伸び上がって来る。春の空に会うのが嬉しい嬉しいを連発しながら。

さぶろうが会いたい人はいない。いないけど、会ってみたくもある。想像の中で。想像の中は面倒さがない。気遣いをしなくとも済む。僕は一瞬で会って一瞬で去って来ればいい。あ、美しいと思うだけでいい。匂いを嗅ぐだけでいい。それで満たされる。恋しい人はいない。いないけど恋しがってみたくはある。でもそれで束縛されるのはご免だ。束縛するのもされるのも性に合わない。わがままなのだ、さぶろうはとにかく。自分で自分を持て余し気味になる。

今日は自転車に乗ってこの世の野原をチータになって駆け回ることもできない。鬱屈するしかないのか。ボックス型ターボエンジンの愛車に乗って海を観てくることはできる。山を越えて行き、周船寺方面に出て荒れる玄界灘を観て来ようか。蕎麦屋さんがあったらそこで昼ご飯だ。

 

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粥の2合と業の3合と

2016年04月07日 06時46分33秒 | Weblog

粥二合業三合をまぜくわせ五合庵にぞきみは住むなり     良寛禅師

添え書きに「良寛におくる 自問自答」とあるからここの「きみ」は良様ご自身だろう。ご自分を突き放して観ておられるのか。粥の2合と業(ごう)の3合で、合わせて五合になって五合庵。ここに庵を結んで住んでいる人が彼(か)の良様だ。業とはなんぞ。悪業(あくごう)善業(ぜんごう)か。悪業煩悩か。善業慈悲か。有形の粥と無形の業(因果の集計・カルマ)とをない交ぜ口へ運んでその日その日を暮らしているというのだろうか。戯れ歌ふうでもあり道歌(どうか)ふうでもある。良様は禅宗の僧侶でありながら寺をも持っていない。それで収入もないから、乞食(こつじき)に頼っておいでだ。粥にするお米の一日2合も事欠いておられただろう。書家でありながら書き付ける紙さえ思うに任せなかった。山の中腹の五合庵で生涯ひとりを通された。

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春の嵐

2016年04月07日 06時32分15秒 | Weblog

雨が酷くなって来た。風の音もする。春の嵐。桜が散ってしまっただろう。花を落とした後へやがて一斉に緑が芽吹いて行くことだろう。げっげっげと蛙が鳴いている。夜はまだ明けきっていない。天空の緞帳が開き切らない。雨風を聞いて過ごすしかない。僕は僕の心を癒やしにかかる。池の底の栓が抜けて水無の空っぽだ。こころが小さくなっている。寒そうにしている。焚き火をしてやろうにも焚きつけるものが湿っていて火が点かない。雨風がますます強くなったようだ。音が舞を舞っている。僕は音の後ろに従者のように従っているしかない。

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朝まだきの春の空を黒雲が流れて行く

2016年04月07日 06時18分42秒 | Weblog

朝まだきの春の空を黒い雲が流れて行く。背景は白い。流れにスピードがある。巌のような大きさのから小石のような小ささのもある。それが追い越さずに一団となって眼前を過ぎて行く。巨岩のときには真っ暗になる。小石の時には一瞬明るくなる。移動をしていく鳥の姿も見え隠れする。地上にも風があって竹藪が揺れている。もうすぐで夜明けだ。四月七日になっている。小中高の学校ではこの時期、入学式や始業式が盛られているだろう。新しい靴や帽子や新しいランドセルが、吹き荒れる雨風に汚されてしまうかも知れない。

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