毛虫毛虫毛虫。ぞろぞろぞろ。上も下も横も前も。いるいるいる。なるだけ踏みつぶしたくない。どけどけどけも言いたくない。だったら、後ずさりをするしかない。そうしたら仕事は進まない。怯まず続行した。垣根の長髪の藪を整髪してやった。すっきりした。長い垣根だ。南天、ミニバラ、蝋梅、アカメガシワ、山吹、柿、紅葉、檀、桑の実などが所狭しと茂っている。これを刈り取る。ここの家主のさぶろうはなにしろ怠け者だから1年に1度くらいしか散髪をしてやらない。だからざんばら髪になっている、これを幸いにして毛虫が集まって来てうろついている。葉っぱの裏にも這っている。ぽとりと靴の上、帽子の上に落ちてくる。たまらない。これに這われると赤く腫れ上がってたまらなく痒くなる。彼らも生きている。仏性を持っている。やがて羽化して蝶になって美しく飛ぶのだ。粗末に扱ってはならぬ。追い払うほどの強権も有していない。
やけに美しい朝だ。空がからりと晴れ渡っている。山が新緑のワンピースをつけて匂い立つ。浮き浮きそわそわしている。「こんなに美しく装って何処へ出掛けるのだ」 女の人がこれだけの入念な装いを凝らしたら、男どもが、居ても立ってもおれなくなって、きっとこう声を掛けるだろう。あはれ、男どもも、急いで一張羅を探し出して来て、肉付きのいいヒップの後からのこのこ付いていきたくなるだろう。いやあ、いい朝だ。ジャーマンアイリスが自己肯定を薫らせる。藤の花房はふっくら自己陶酔をして滴る。こんなにいい朝が来るとどうしていいか分からなくなって来る。どうしてこの美しさに対応できるか分からなくなって来る。どうしたらいい。どうしたらいい。まあとりあえず外へ出よう。春の風に吹かれてみよう。今日から連休。一日目はナイスレデイーのお出ましとなった。といっても、さぶろうはまるで無計画だ。デートするだけの人生の奢りもない。
けふはここまでの草鞋(わらじ)を脱ぐ 種田山頭火
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よく歩いた。長い道程だった。途中の醤油屋の垣根には鬼百合が咲いていた。それも見た。牛が水浴びをしていた。農夫と一緒に川へ入って。牛が嬉しがって鳴いた。それも聞いた。脹ら脛が凝っている。くたくただ。今日はここまででいい。ここまでにする。草鞋の紐を解いて脱いでどっかり座り込む。ゆっくりする。道はどこまでも続いている。慌てることはない。急いでいかねばならないということもない。永遠へと続くのだ、この道は。いのちの道は。意識するとしないと関わりなく、目標を人は持って歩いている。そこへ到達すれば人は完成して仏陀と成ることが約束されている。でも今日はもう日暮れた。夏蝉の声がまだ聞こえている。まずは汗を拭こう。草鞋を脱ぐと今日が終わる。肉体を脱ぐと今生が終わる。ここまででいい。ここまでにする。進んで行く道が消えるということはない。ブッダまでの大きな堂々とした一本の道である。
明日はそれからの草鞋をつける