お昼ちょっと前に小学一年生になったばかりの女の子が若いお父さんとお母さんに伴われて下校してきた。学校でのことを大声で報告していた。授業はまだお昼までなんだろう。学校に慣れるまではこうなのかもしれない。「おかえりなさい」の声を掛けた。報告の声が途切れた。ランドセルが大きく膨れていて見るからに重たそうだ。さぶろうは道が見えるところで草取りをしていた。若いご両親が「ただいまを言うんですよ」と教えていた。一年生ははにかんでちょっとだけ頭を下げてから走って過ぎ去っていった。今度我が家の二軒裏手に引っ越してこられた家の人々である。お父さんは今日はたまたま仕事が休みの日だったのであろう。二人で城原川の橋の所まで出迎えに行かれたのだった。やさしい家庭のようだ。なごやかでほっとする。橋を過ぎたところに交差点がある。信号がついているが、慣れるまではやはり渡るのは危ない。学校の先生方がここまでは引率してこられることになっているらしい。ここからそれぞれの親に引き渡されて幾つかの聚落へ別れて帰ることになる。小学一年生はこの聚落では何年ぶりだろう。貴重である。初心な愛らしい姿に接しただけで年寄りは元気を貰える。
することはある。外に出ればそれが眼に入って来る。一つが片付く。すると次が、「待っていましたよ」と声をかけて来る。それをする。で、時のたつのを忘れる。とにかく、何をしたということも言えないようなことを、こそこそこそこそしている。どれもがこまかな庭仕事、畑仕事である。
今日は落花生の種蒔きをした。小さなポットに培養土を詰めてここに一粒を埋める。それを広目の平たい箱に納めて列べる。縦横5x6=30個。これが2箱で60個弱になった。日当たりのいいところに運び、水を如雨露でたっぷりかけて一件が落着した。それから隠元豆の種の残りがあったので、これを細長いプランターに植え付けた。小葱を抜いて草取りをした後で。
ここまですると、市役所のチャイムが鳴ってお昼になった。手を洗って台所に上がって昼食にした。先日買って来ていたドライカレーを食べた。レトルトなので電子レンジでチンするだけだった。蓮根の煮物と白菜漬けをお菜にした。食べた食器を洗って後片付けをした。こんな暮らしだ。ひっそりとしたもんだ。
汝等迦葉 甚為希有 能知如来 随宜説法 能信能受 所為者何 諸仏世尊 随宜説法 難解難知 妙法蓮華経「薬草諭品第五」より
にょうとうかしょう じんにけう のうちにょうらい ずいぎせっぽう しゃいしゃが しょぶつせそん ずいぎせっぽう なんげなんち
汝等(なんだち)迦葉は、甚だ希有なり。能く如来の随宜説法を知って、能く信じて能く受けたり。所為(ゆえ)いかんとなれば、諸仏世尊は(みな)宜しきに随(したが)って法を説けり。(法は)(即時には)解(さと)り難く知り難きものなればなり。
*
仏陀(ここではお釈迦様)が法を説いておられます。ここは霊鷲山の山頂です。岩がごつごつしています。鷲にそっくりの大きな岩もあります。そこに集まって来て聞いているたくさんの人たちがいます。聴衆を代表して迦葉尊者(マハーカッパサ)に呼びかけられます。あなたがたは稀に見る優れた人たちだ、とお褒めになりました。如来(仏陀に同じ)が随宜説法をされているということをよく知っていて、それを聞いてそれを信じそれをこころに受け止めて実践に及んでいるからだ。そうなんだよそうなんだよ。仏さま方はみなこの随宜説法をなさっておられるのだ。なにしろ法というものは瞬時には悟り難いものなのだ。理知や理屈では知ることが難しいのだ。
*
随宜説法(ずいぎせっぽう)とは、では、どんな説法だろうか。宜しきに随って説法をするやり方とは。いわゆる対機説法というものだろう。聞いている人の発達の段階に応じてやさしく例え話をしながら、徐々に、悟られた最高の悟りの内容を説かれたのだろう。方便の教えを説かれたのであろう。そうやって仏陀にしようとなさったのであろう。仏の願いは人々を一人残らず成仏(仏陀にする)させることであった。
*
仏が法を説いておられる。それだけでさぶろうは嬉しくてたまらないのだ。さぶろうを仏陀にしよう、成仏させようとなさって、来る日も来る日も飽かずに懲りずに法を説いていてくださっている。さぶろうは「能く信じ能く受けること」もしていない。難解難入だから、さぶろうの能力を超えている。それでもいいのだ。仏陀が説法をしておられるというこの事実だけでいいのだ。嬉しくてたまらないのだ。
おはようございます。朝が来ています。障子戸を開けました。外はすっかり明るくなっています。牡丹の花の蕾が2個。昨日よりももっと大きく開いてきました。でもまだ開花ではありません。今日一日は準備に掛かるでしょう。
こうして元気で朝を迎えることが出来たので、嬉しくて、蕾にも声を掛けたくなります。大地にも空にも風にも、遊びにやって来た軒端の雀にも。おはよう、おはよう、おはよう。朝の挨拶で気持ちが爽やかになります。
もうこれだけでいいようになりました。これしきの他愛ない幸福と他愛ない幸福感ですむようになりました。村里に住む老人の暮らしは安上がりです。
山烏里にい行かば子烏もいざなひて行け羽根弱くとも 貞心尼
いざなひて行かば行かめど人の見て怪しめ見らばいかにしてまし 良寛
*
良様は一人遊びがお好き。だからひょいひょいと何処へでも行ってしまわれる。貞心尼はそれで良様を烏にして歌を詠んだ。良様あなたが国上山の五合庵を下りて村里に下りて行くときにはどうかわたしにも声を掛けて連れて行ってくださいと頼んだのだ。すると良様はお笑いになって、じゃそうしようと受けて、村の人が烏の2羽が連れだって歩くのを見たらたいそう怪しむことになるだろうがそれでもいいかとお聞きになった。良様はユーモアもお好きであった。相手はまだ若い。30才ほども年の差がある。頭からすっぽり白衣を纏っていてもすこぶる美人だ。色気もある。さすがの良様もその魅力にはよろよろなさったであろう。歌を詠み合って楽しまれたようだ。