<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

どんなに愚かであってもいいさぶろう

2016年04月09日 15時36分03秒 | Weblog

さぶろうはどんなに愚かであってもいい。さぶろうが愚かであれば、太陽が明るい光を投げなくなるということはない。星が夜空を輝かさなくなるということもない。だから安心して愚か者を通していていい。これを聞いてしまったさぶろうが、開き直ってしまった。ぐうたらぐうたら、ぐすんぐすん、ぐうぐうぐうぐう愚の骨頂に徹した。それでも昼は太陽が現れて天地いっぱいを照らし出し、夜は星々が現れて静寂を慰撫して回った。

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さぶろうの欲望の段階に応じて法を説きたまう

2016年04月09日 14時46分48秒 | Weblog

わたし、さぶろうはこの春の日を過ごしてこころ平穏にしています。午前中にまたまた外に出て光の中で隠元豆の種蒔きをしました。幾つもの細長いプランターに。草を取って平らに均して施肥した後に。したのはそれだけのことです。それお釣りが派生しています。得るべきを得たからです。得るべき以上を得たからです。測る升があったわけではありません。あくまで目分量です。

破有法王 出現世間 随衆生欲 種々説法 如来尊重 智慧深遠 久黙斯要     妙法蓮華経「薬草諭品第五」より

ここからはさぶろうの独自解釈です。自分に引き当てて読んでいるので普遍性はありません。

有を破せんとして法の王(である如来)は世間に出現すれども衆生の欲するところに随(したが)っては種々に法を説きたまふのみ。如来は尊重(そんじゅう)にして智慧は深遠(じんのん)なれば、久しく斯(こ)の(肝)要を黙したまへり。

「有(う)」とは現象のことです。浮いたり沈んだり、生まれたり死んだりすることです。そしてその現象に惑って迷路を彷徨っている者のことでもあります。現象に過ぎないことをそうではないとしてこれに一々拘泥して「有(う)」としてしまっていることです。法の王である如来(=仏陀)はこの「有(う)」「有への囚われ」を撃破しています。この世間に出現されましたがこの肝要とするべき法の真実は黙しておられます。衆生には衆生の欲があり、欲の段階が種々にあります。これに随(したが)ってしか説法をなさいません。如来はものの道理を尊重される方です。その有を破るだけの智慧は深遠なのですが容易に法の奥義を述べようとはなさいません。一見黙したようにしておられます。でも、待っていてくださっています。忍耐強く待っておられます。衆生の欲の段階が如来のそれに近くなって来るのを待っておられます。そしてやがてその時が来ます。するとそこですかさず如来は肝要の法をお説きになるのです。有(う)を破する法をご呈示になります。現象に拠らないでいいだけの涅槃界があること、此処が其処であることをお示しになられます。

有(う=現象)に呑まれているときには呑まれているしかありません。それでもいいのです。智慧深遠の如来が控えておられます。衆生の欲望のあり方に応じて一段階一段階と導いて行かれているのです。衆生をそれだけじっくりと尊重されているのです。そして我々は誰もが仏陀世尊のなせし如くに、「有」を撃破して仏陀に成って行きます。

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春一番芽吹きの蕗料理を食べさせたい

2016年04月09日 07時24分58秒 | Weblog

今日はふるさとの神社の13年に1度の祭りを見に京都に居る娘が朝一番で帰ってきます。2時からの舞台演目公演に間に合うように。さぶろうもいっしょに見に行きたいのですが、車を降りたところからは長い長い坂道が続きます。しかも押すな押すなの客です。さぶろうは麻痺の足を引きずっているので心配になります。うまく神社まで辿り着けるかどうか怪しいです。まずもみくちゃにされそうです。

昼間に蕗畑の蕗を摘んで、夜には娘にこの新鮮極まるところを食べさせようと思います。秋に牛糞を撒いておいたので、地上茎が元気いっぱいすくすく伸びています。筋剥きはさぶろうがします。灰汁が強いので指が青黒く変色してしまいます。炒り子で炊いたのが春蕗の素朴な味が出て好きです。

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植物の旺盛な生命力

2016年04月09日 07時11分40秒 | Weblog

この菜の花はなんという野菜だったのだろう。草丈が隣家の屋根の位置に伸びています。横にもふっくら広がっています。普通のからすると巨大です。さぶろうの書斎の真ん前に立っています。他の菜の花類はほぼ倒してしまいましたがこれは残しています。もう菜種になっています。先端にはまだピンポン球のような花球がついています。これだけの勢いを見せるには余程のエネルギーが必要になるでしょう。春の空を吸いこむような植物の旺盛な生命力を眺めています。

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今日から13年に1度の大御田祭

2016年04月09日 06時37分25秒 | Weblog

まずは朝の挨拶から。どなた様もおはようございます。今日からわが郷土の仁比山神社の大御田祭(ううおんださい)が12日間にわたって開催されます。この神社は「おさんのんさん」と呼ばれています。境内には<見ざる言わざる聞かざる>の猿の石像がたくさんあります。13年に一度開催されます。ここには猿田彦尊が祀られています。それで申(さる)の年に開催されます。舞台では氏子達によって一年間のお米作りの様が演じられて行きます。これを観ようと人々が詰めかけます。クライマックスは馬に乗った武者が長い階段を駆け上って来るときです。南大門にはどでかい金剛力士像などの仁王2体が見られます。南大門からの長い長い山道沿道には屋台店が立ち並びます。ふるさとの祭りを観に帰ってくる人は多いでしょう。同級生達も戻って来ます。15日には同窓会も催されます。65人が集まります。これは同級生の半分です。さぶろうたちは高齢。今回が見納めになる者も多いかもしれません。全国から写真家たちも詰めかけます。腕の見せ所になります。

山道には紅葉の名所「九年庵」があります。ここはかって石炭王の豪邸でした。今は市が管理しています。春と秋に園庭が開放されます。全国から観光客が貸し切りバスを連ねて押し寄せて来ます。秋には、大手の旅行業者のパンフレットを見ると「紅葉の名所九年庵探訪バスツアー」が組まれているようです。余りの多さで交通が麻痺してしまいます。春、若葉した紅葉園を静かに見て回るとこころが落ち着きます。

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