色は空に異ならず 空は色に異ならず 色は即ち是空なり 空は即ち是色なり 受も想も行も識も亦復(またまた)是くの如し 舎利子よ 是の諸法は空相なり 生ぜず滅せず 垢つかず浄(きよ)からず 増えもせず減りもせず 是の故に空の中に色もなし 「摩訶般若心経」より
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わたしは物質ではない。自由だ。固定されてはいない。束縛を受けていない。物質であれば生滅するがわたしにはそれがない。物質であれば垢がついたり浄くなったりもするがわたしにはそれもない。増えたり減ったりするわけがない。一切は空であって、物質としての現象はあくまでも仮のものだ。わたしが神になり仏と成るための教材としてあるだけだ。
さぶろうは今朝ここのところをこんなふうに読み替えてみた。さぶろうは物質ではない。その一部は物質ではあるがそれで終わってはいない。物質で終わるわけがない。物質は便利だから目に見えて形が出来て数えることも出来る、所有を主張も出来る。でもそれはあくまでわたしの成長のための教材に過ぎない。教材をわたしの全体と見誤ってはならない。
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さ、外に出ていこう。いい空が見える。大地は春だ。光があふれている。梅や桜が終わって今度はツツジだ、牡丹だ芍薬だ。わたしも光の粒子になって飛び跳ねよう。
死にはせぬ何処にも行かぬ此処に居(を)る 此処におらぬが何処にで居(を)る
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言葉も意思もみな物質の名称を借りて遣り取りが為されている。これを経ないでは意思の疎通すらままならないのだった。物質を軽んじてはならないぞ、いいかさぶろう。