老が身のあはれをたれに語らまし杖を忘れて帰る夕ぐれ 良寛禅師
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人様の家を訪ねられたのであろう。夕暮れに国上山の五合庵に帰ってくる途中にふっと杖がないことに気がつかれた。山道である。上りは杖が欲しい。しかももう夕暮れ。道もしだいにかすんでくる。物忘れは老人にありがちなこと。またやっちゃったか、と禅師は苦笑いをされたであろう。老いの身の哀れは確実に深くなる。それを聞いてくれる人がいればいいものを。それを語り合ったとしてもそれで取り返しが付くことでもない。まだこのとき禅師は60才をほんの少し越えたところだった。竹森というところまで行かれたところだった。
人は最終的に帰って行くところがある。誰もが生まれたところへ帰って行く。杖を忘れても帰って行けるから心配は要らない。そこがいい。真如界から生まれて来て真如界へ帰って行く。その間に憂き世がある。憂き世は浮世でもある。浮世は浮かれて呆けて暮らすに限る。