<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

そんなに威張ってなくちゃならないのか

2016年04月28日 10時08分08秒 | Weblog

ほんとに威張らなくちゃならないのか。誰に? 誰かに。威張るとどうなるのか? 気持ちが良くなる。ストレスが発散できる。ヘンな笑いが出る。

強いといって威張る。立派なことをしたと言って威張る。正義を貫いたといって威張る。にやりとする。

お金持ちだからといって。賢いといって。これだけの業績を残した、戦果を上げたといって豪語する。わざとわざと大きな顔を作る。褒美を高く掲げて見せる。美人をしているといってつんつんする。それで鬼の顔を見せて威張る。

威力権力に従えといって威張る。行政の力を背景にして威張る。地位と肩書きを示して威張る。国の名を騙って威張る。神の名を騙って威張る。

威張るのが大好きなのだ。従わなかったら痛い目に遭うぞといって今度は脅しに掛かる。平伏させる。平伏しない者は無礼打ちになる。恐ろしい世の中だ。

でも、ほんとにそんなに一方的に威張らなくちゃ生きて行けないのか。人に莫大な犠牲を強いてしか暮らしていけないのか。そんなに弱虫なのか。威張る材料も道具も持たないでいる人はどうして暮らしたらいいんだ。

一人の内に安住していることはできないのか。どっかり不動の山をして静かに美しく寡黙にして座ってはいられないのか、神に似せて造られた尊い存在という位置づけの人間というのは。

小人つらのさぶろうが威張っている。威張ることなどなんにもないのにそれでも威張っている。毛虫を踏みつけている。烏を追い散らしている。人のそれを借りて来て威張り散らしている。威張っていなくちゃ損だ。生きていることにならないと思い違えて鼻息を荒くしている。もうすぐ一生を終わるというのにこれだ。まったく無様だ。

ツツジの根元に蝶を網にかけて捕まえた蜘蛛がいる。春の嵐が荒れるたびに蝶が揺れている。だが威張る表現の具、文字言葉がないからそんなに威張っているふうには見えない。

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完成者ブッダへと続く道にも春の雪

2016年04月28日 06時42分43秒 | Weblog

この道しかない春の雪ふる       種田山頭火

ほかにもあっただろう。歩いていく道は。此処以外の道を歩かねばならなかったかもしれない、もしかしたら。もっと厳しいもっと過酷な、もっと貧しい、もっと苦しい。己は生き恥をさらす悪人罪人である。その己がこの道を歩いている。青い山に分け入ってそこを出ると畦道には薊とキンポウゲが咲き出している。ここに春の雪が降って来る。やわらかい雪だ/だがそれも、肩に止まってすぐに解け出してしまった。昨夜己はまたもや大酒を喰らった。そしてあろうことか酒女を口説いていた。求道者にはあるまじき振る舞いだった。羞じて恥じながらもこの道。これが己の歩いていく道か。

これはさぶろうの勝手気ままな嘘解釈です。読者の方は読者の方で読み解いてみてください。

この道しかない。人は一人残らず求道者である。道を求めて歩く者である。道を踏み外しながら歩く。幾度も幾度も道を逸れながらそれでも道へ戻ってきて道を歩く。この道が完成者ブッダへと続く道である。この道しかない。この道を与えられている。

しかしそうでありながら、それがときおりゆらゆら揺れる。ブッダへの信頼信念が揺れる。そして吊り橋を行くような不安定さに身をゆだねることがある。そこへ春の雪が降って来る。雪のこころに埋もれていると熱い涙があふれて来る。

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詩「ブランコ」

2016年04月28日 06時27分56秒 | Weblog

確実って案外不要品に近いかもしれない/あの人に好かれていることは確実でなくてもいい/好かれているかもしれないし/好かれていないかもしれない/それくらいがいい/ブランコのようにそれが揺れているのがいい/そうすると僕はブランコに乗って揺られることができる/それを青い空まで揺する/好かれたいのに/好かれたいことをしない/ちっともしない/それはどうして?/ブランコに乗って揺られたいから?/そうかもしれない/居心地だけがいい確実/それが好きじゃないのだ/そんな種類のへんてこりんな僕なのだ/あの人が赤いサンダル履きで走ってやって来た/首に巻いたスカーフが風に靡いている/

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いまのわたしと同じ色をしている

2016年04月28日 05時54分07秒 | Weblog

わたしが素敵だったから誘ってもらった/だなんて/思うのは/不謹慎?/横着すぎる?/自信過剰な嫌な人間?/そうかもしれないね/

これはセルフリライアンス/自己信頼とはちょっと違うのかな?/違いそうだ/わたしは目元に皺を寄せる/ひとしきり悩む/

わたしをここへ誘(いざな)ってもらったという事実は/しかし/動かない/

素敵だったから誘ってもらったのなら/わたしは素敵にしていなければならない/誘われたとき以上に素敵にもしていたい/

わたしがここに生まれて来ている/水と空気と光がある星に来ている/そしてそれはどうしてだったのかなと考えている/

青い空を見ている/突き抜けるように高い高い空を見ている/そしてそれはどうしてなのかと考えている/それができるのはどうしてなのかなと考えている/

わたしがそのときに素敵だったかどうか/ほんとうのところは分からないが/ともかくわたしは此処へ誘われて導かれて来たのだ/

わたしは手を挙げて満面の笑みを浮かべて誘いに乗ったのだ/それを思ってみる/

それを思っているのも素敵な時間である/不思議な時間である/神さまに誘われるほどにわたしが素敵だったときがあったのではないか/そんなことを思い起こさせてくれる時間/しばらく此処にいる/この居心地の良さはどうだろう/

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2016年5月28日/午前6時25分/庭先に姫林檎の花/花房がピンク色をしている/いまのわたしと同じ色をしている/

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誘われるに足る素敵なわたしであったことが嬉しい

2016年04月28日 05時34分07秒 | Weblog

朝が来ている/嬉しい/朝が来ても嬉しく/昼が来ても嬉しく/夜が来ても嬉しい/嬉しさが連続している/わたしのために嬉しさが連続している/それをわたしが知る/それをわたしが受け取る/朝が来ている/ただただわたしを嬉しがらせようとして/まず一番に朝がわたしのところに来ている/春菊の黄色い花たちが朝風に揺れている/ここちよげにからだを揺らしている/さあここへどうぞとわたしを誘っている/花たちに誘われるにたるだけの素敵なわたしであった/嬉しい/今度は東の方角から明るい朝焼け空が誘って来る/それにも笑い顔を向ける/ただただわたしを嬉しがらせよう嬉しがらせようとしている多くの多くの意思たち/彼らが連続して待ち受ける此処/わたしが生きているこの世界//此処はいったい何処なのだ/

 

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わたしに固執することがなくなったら

2016年04月28日 05時02分52秒 | Weblog

もっともっともっとと思う。もっともっと生きたい。そう思う。元気でいたい。健康でいたい。あれこれ動き回って、さまざまに活動をして楽しみたい。

でもね、そうもいかない。それを予感する。いずれ死んでしまう。人である以上は。これはなんぴとも免れない。

人である以上は? だったら人でなくなればいいのだ。そう。人は肉体をしている。肉体を脱いでしまえば? もう死ななくてすむようになる。

肉体を脱がないでそれができないか。できる。死後でなくてはならないことはない。生きている内に永遠を勝ち取ることも出来る。これが現世成仏の思想だ。現世で安心を得ることだ。生命そのものは永遠だからである。

生き死にはその現象の泡だちに過ぎない。だから、生き死にそのものに全体重を乗せておかねばならないと言うこともないのだ。こうして解脱ができる。生き死にするという囚われから解き放たれる。

人から解き放たれる。すると? わたしはわたしたちになる。全体意識になる。神々と一つになる。大宇宙のダンマと合一する。わたしは大宇宙となる。わたしの中に大宇宙が展開をするようになる。

もっともっともっとと思う。もっとこうしていたい。生きていたい。青い海と空と緑の山と黄色い菜の花と赤い夕焼けを見ていたい。そう思っている。まだそう思っている。欲望の火の山が噴き上がって夜空を赤く染めている。

これまでそうしてきたのである。全部が叶っていたのである。願いがその場その場で成就をしてきた。だからもうすぐ完了のときを迎えてもいいのである。わたしはわたしを楽しんだのである。十分すぎるくらい楽しんで来られたのである。

次の人にそれをお譲りしたらいいのである。その人がわたしの立ち位置に来て座る。豊かな人生を送る。人に生まれて人を生きていることを楽しんでいる。それでいいではないか。それでいい。わたしに固執することはない。それをにこにこして見ていればいいのである。護って助けて導いていればいいのである。

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わたしに固執することがなくなったら、そこをするりと抜けて出られるのだ。次の世界に出て行けるのだ。次の新しい次元に進んでいけるのだ。そこではそこの楽しみがあって、今度はそれを楽しむように誘われる。そうする。こうすることでわたしはもっともっともっとゆたかになっていくのだ。かがやいていくのだ。

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