<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

慰めて慰めて慰める

2016年04月02日 10時08分22秒 | Weblog

慰めて慰めて慰める。しばらく慰められている。が、其れがいつの間にか霞のように広がってやがてきれいさっぱり雲散霧消する。気圧が薄くなる。薄くなった分だけは気力を補ってやらねばならない。なんだかんだと言い繕ってまた慰めてみる。低下していたのが少し上がる。ほのぼのとする。どうしてこうもしょっちゅう慰めていなければならないのか。己というのはしんどい。あつぼったい。やけにくどくどしい。

「ハンニャハラミタは是れ大神呪なり。是大明呪なり。是れ無上呪なり。是れ無等等呪なり。能く一切の苦を除きて、真実にして虚しからず」    仏説摩訶般若波羅蜜多心経より

そう。「真実にして虚しからず」を欲しがって欲しがって。それを欲しがっているときには慰めが来ている。ところが煩悩が燃え盛る。いとしい人に会いたくなる。会ってどうにかなるのでもない。またもや虚しくなって滝壺へ飛沫となって堕ちていく。呪は呪文である。真言である。マントラである。唱えると明るくなる。唱えると忽ち神になる。

ぎゃあてーぎゃーてーはーらーぎゃあてーぱらさんぎゃあてーぼじーそばふぁ/ぎゃあてーぎゃあてーはーらーぎゃあてーぱらさんぎゃあてーぼじーそばふぁ/ぎゃあてーぎゃあてーはーらーぎゃあてーぱらさんぎゃあてーぼじーそばふぁ

もうこれでいい。もうこれでいいというマントラに浸って春にいる。

 

 

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行く春を惜しむ

2016年04月02日 09時55分32秒 | Weblog

行く春を惜しむ。哀惜する。春が行くその後ろから後ろからすぐさま夏が来ているので、ここは空虚にはならない。つねに1になって満ちている。常に一定であるという不思議さ。欠けて行くのではないから、青い目をして哀しまないでもいいのだが、妙にセンチメンタルになってしまう。

行く春や鳥啼き魚の目に泪    松尾芭蕉

この日元禄2年3月 27日、芭蕉は千住で見送りの人々と別れ、草加を経て、粕壁(現埼玉県春日部市)で 宿泊している。別れに当って「前途三千里」の不安と惜別が去来した、らしい。

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生きて春を行く人は美しい

2016年04月02日 09時47分10秒 | Weblog

人は美しい。春を行く人は美しい。桜月夜に出遭う人はなかんづく。見て見て溜息をつく。人は美しい。生きて春をしめやかに歩く人の、摺れ違いざまの匂いすらが美しい。もしかしたら死人ですらもここでは美しいのかも知れない。形を表してはいないから目に触れることはないけれども。

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萌えいづる早蕨

2016年04月02日 09時33分16秒 | Weblog

もう蕨が立つ頃。山中を歩いてこれを見出して籠にいっぱい摘んできたい。蕨の卵とじもおいしい。味噌汁もおいしい。

岩走る垂水の水の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも   志貴皇子

雪水が融けて谷水の水量も増えて来た。滝壺には音が高い。山中を歩くとそこここに早蕨は萌えだしてきている。春もここまで深くなってきたのだ。

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捜し物が見付からない

2016年04月02日 06時52分24秒 | Weblog

4月2日の朝が来ている。瓦屋根が濡れて光っている。夜中に雨が落ちていたのだろうか。菜の花は順序よく咲き昇って行き、いまは長い花首の先端だけになっている。ときおりヒヨドリがこれを啄んでいく。花首に止まるのは至難の業だから、知恵者は梅の枝に止まってサーカスしながら啄んでいる。孫は昨日帰って行ってしまった。また静かな生活が戻る。孫が車の中に忘れ物をしたというので車の鍵を貸しておいたら、それが何処へ行ったか分からなくなってしまった。孫を責めるわけにもいかない。合い鍵が残っているのでこれを使っている。孫が帰った後にもずっと探しているのだが見付からない。昨日空港からの帰りに1か月点検に行ったときに尋ねてみたら、キーの機能が高度化しているから一箇4万円近くするということだった。一週間探して見付からなかったら、仕方がない、買い求めようと思う。注文して一月ほどかかるらしい。使っていた眼鏡も何処へやったか分からなくなった。100円ショップの眼鏡で代用しているが、焦点がぼけてしまうので、たまらず昨日眼鏡屋さんに行って来た。出費してしまった。捜し物が出て来ないといつまでも其れが気になってしまう。思い出そうとするのだがなかなか終いまで糸を辿って行けない。今日から夏野菜をぼちぼち植えようと思う。すでに数種類を数本ずつ買って来ている。朝日が射してきた。この分だと天気は持ち直すだろう。

 

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そのどちらにも執着はしていない

2016年04月02日 00時59分31秒 | Weblog

生まれ出るのは距離の移動にすぎないのではないか。a地点へ出ることはb地点を去ることである。ドイツの国境を出るとフランスに入る。フランスの側からすれば生まれ出ていることになるが、ドイツの側からこれを見れば、それは死出ることに見えている。移動をしたに過ぎないのに、同時観察ができないために片側判断をして、悲しがったり嬉しがったりをする。生まれ生まれているだけなのに。死に死んでいるようにも錯覚できる。いのちが飛び魚のように波間を泳いで飛び跳ねている。すいすい生まれてすいすい死んでいるが、そのどちらにも執着はしていない。

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波の上に出て月の明るさを確かめて

2016年04月02日 00時46分10秒 | Weblog

さっきのさっき、おやすみなさいと言ったのにもう目覚めている。早すぎる。回転軸がとても短い。で、ぐるぐる回る。目を回さないようにしておかなくちゃ。周期が長いのが、では、いいか。そうでもないのかもしれない。これはこれで独特で棄てがたい。これでいいからこうなったんだろうな。もう一度おやすみなさいを言ってみる。波の上に出て月を仰いで、月が明るいのをしっかり見届けてから今度は波の下に潜って行く。

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宇宙が消えるようにことばが消える

2016年04月02日 00時33分42秒 | Weblog

ことばが生まれる。ことばが生まれるのはどこか宇宙の誕生を思わせる。ふんわりとしている。ふんわりと生まれる。生まれたあともそのままふんわりとして留まっている。騒がない。主張をしない。主張をしていたら、あんなにさらりとは消えられない。それがさらりと消える。見習わなくてはいけない。生まれたように消えていけるのだということをゆめ疑ったりしていない。宇宙が消えるようにことばが消える。

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