<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

そうするともっと幸福になりたいと求める必要がなくなって来る その5

2018年03月05日 11時24分16秒 | Weblog

臨済宗「宗門安心章」の一部分を読み解く。わたしのわたしふうの安心読解術。その5

死んでよし、生きてよし。どっちもよしである。偏らない。中道に立っていられる。バランスの玉乗りのようなものだ。笑ってよし、泣いてよし。悲しんでよし、喜んでよし。苦しんでよし、楽しんでよし。すべてを「よし」にしてしまえば、「敵なし」なのである。

仏教は、「こちらが求める」ことを大事にする教えのようだが、受け取りがここまで推移してくると、どうもそうではなくなるらしい。黙っていていいらしい。「わたしへわたしへと溢れて流入して来るもの」を有り難く受領するだけのものらしい。

(自力悟り幸福獲得宗の禅宗が他力浄土宗と合流してしまった。まずかったかな?)

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そうするともっと幸福になりたいと求める必要がなくなって来る その4

2018年03月05日 11時20分19秒 | Weblog

臨済宗「宗門安心章」の一文を読み解く。わたしのわたしふうの安心読解術。その4

「光明無尽の生涯を恵まれる」ようになると述べてあるが、もともとがそうであったのである。南無釈迦牟尼仏を唱えている以前からそれはそういうふうになっていたのである。帰依をするとその事実が我が眼に見えて来る、それだけのことのようである。

仏教はオプテイミズムである。楽観主義である。全肯定である。それもいいこれもいいすべていい、である。そういうごっちゃまぜのチャンポンをおいしく頂くもののようである。このわたしが「光明無尽の生涯を恵まれていた」その当人である。

 

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そうするともっと幸福になりたいと求める必要がなくなって来る その3

2018年03月05日 11時16分43秒 | Weblog

臨済宗「宗門安心章」の一文を読み解く。わたしのわたしふうの安心読解術。その3

この一文の要諦は「殊勝自ずから至る」というところか。こちらは何もしないのに向こう側の方から次から次へと殊勝の事態がもたらされてくる、というのである。

向こう側とは、仏陀の側、活動する宇宙全体、つまり最勝の幸福泉が湧き出でるところを指している。

 

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そうするともっと幸福になりたいと求める必要がなくなって来る その2

2018年03月05日 11時11分30秒 | Weblog

臨済宗「宗門安心章」の一文を読み解く。わたしのわたしふうの安心読解。その2。

ここの「されば」は、釈迦牟尼仏に帰命して、「南無釈迦牟尼仏」と唱名すること念仏すること帰依することである。

「殊勝」は「ことのほかに勝っていること、優れていること。最勝。最勝の結果」 こちらが臨んでいる以上の功徳・善結果の受領を言う。

 

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そうするともっと幸福になりたいと求める必要がなくなって来る その1

2018年03月05日 10時26分25秒 | Weblog

されば諸仏諸菩薩無辺の願海に摂取せられて、殊勝を求めんと要せざれども、殊勝自ずから至って、光明不尽の生涯を恵まるること決定(けつじょう)して疑いあるべからず。   臨済宗宗門安心章より

お釈迦様のお覚りの内容の法(=ダンマ)が我が身にも解けると、仏さま方の願いの海、救済の海に初めっからわたしがいたことが領下される。そうするともっと幸福になりたいと求める必要がなくなってくる。なぜなら此処がその幸福の真っ只中だと判明してしまうからである。此処には仏陀の智慧の光明が溢れ出しており、仏陀の慈悲の光明が行き届いており、わたしがその最上尊になっていられるのだ。疑いを差し挟む我見が消え果ててしまう。万歳万歳。(さぶろうの我流解釈=曲解)

 

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雨は彼らにとって天の授けるおっぱいです

2018年03月05日 09時19分21秒 | Weblog

おはようございます。大雨は鳴りを静めているようですが、空は一面、霧のようなものがあふれているのでしょう、ミルク色にけぶっています。寒くはありません。風も吹いていません。昨夜ずっと雨の音がしていたので、田畑は潤ったことでしょう。

草や木や野菜たちはごっくんごっくんおいしい水を飲めたでしょう。まだ飲んでいる最中かも知れません。雨は彼らにとっては天の授けるおっぱいです。これで一気に元気をつけます。

我が家の庭の紅梅の、紅が際だって来ました。小葱の緑が俄然濃くなって来ました。肥り出しました。いまが旬です。もうすぐすると薹が出ます。各種の野菜たちもそうです。次の子孫のための活動期に進みます。

9時半を過ぎました。さて、わたしは今日は何をしたらいいのでしょう。するべきことはあるのですが、その「べき」には従おうとしません。怠け者なのです。遊びへ遊びへ、だらしない方へだらしない方へ、好き勝手へ好き勝手へと流れます。

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読んでもらうとそれが証明される それが嬉しくて

2018年03月05日 04時15分19秒 | Weblog

おいらは生きているよ。それを誰かに知っていてもらいたいのかな? 知らせようとする。死んでしまったら、知らせられなくなるからね。元気にしているよ、って。暗い顔はしてないよ、明るくあたたかくしているよ、って。言う。発信する。読んでもらうとそれが証明される。それが嬉しくて。生きているってこういうことでもあったんだね。繋がりを保っているってことだったんだ。

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スーパーの入り口の横のスペースに焼き鳥屋さんとタコ焼き屋さんとお好み焼き屋さんと

2018年03月05日 03時53分37秒 | Weblog

スーパーの入り口の横のスペースに焼き鳥屋さんとタコ焼き屋さんとお好み焼き屋さんが店を出しています。小さく。ここに障害者用の駐車場があります。ここへ止めたら携帯電話が鳴り出しました。いとこからです。久し振りなので話が弾んでしまいました。お陰でお店の観察が出来ました、車の中から堂々と、何食わぬ顔で。鉢巻きをした胡麻塩頭の親分さんがせっせせっせとタコ焼きをひっくり返しています。でっぷり肥ったほっかぶりオバサンがお好み焼きを焼いてその上に生卵を散らしました。比較的若い世代の若者が焼き鳥を扇いでいます。臭いを撒き散らす作戦に出ています。幼児を連れたお母さんの手を引いてせがんでいます、食べたい買ってくれと。仕事が済んで帰宅中のレディーがお好み焼き屋さんの暖簾を潜りました。男子学生が二人焼けたばかりのタコ焼きを買っていきなりもう食べ始めました。商売繁盛です。店主たちはニコニコ顔です。案外売れるんだなあとこちらは感心しました。

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シャツ一枚で寝ていたら喉が痛くなってる 横着をかまえるから

2018年03月05日 03時28分29秒 | Weblog

シャツ一枚で寝ていたら、喉が痛くなってる。横着をかまえるから。でしょっ? たぶんこのせい。横着のせい。なあにこれくらいならかまうものかと思う。これ。お陰でエヘン虫がついたぞ。鼻の奥もヘンだぞ!

雨の音がひどくなってる。ザアザアザアザア騒いでる。雷さまも、部長さん課長さんのように威張りだした。平はへいこらするしかないな、こうなっちゃ。

大水になるんじゃないかな? この雨量が朝方まで続けば。川の小魚は、流されてしまうぞ、海まで一気に。戻ってくるまでがタイヘンだぞ。数日掛かってしまうだろう。

室見川の春告げチビ魚なんて小っちゃいからなあ。抵抗できまい。躍り食いの時季が遅くなるんじゃないのかな。

もうすぐ4時だ。このブログの向こうの世界の優しいファミリーさん連中もさずがにもうおやすみになっておられるだろう。グウグウスウスウ。

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投稿したということが読者のみなさんにはどうして分かるのだろう?

2018年03月05日 00時36分16秒 | Weblog

えっ! 投稿したということが読者のみなさんにはどうして分かるのだろう? 

僕が書いてブログ投稿ボタンを押すと暫く経過して読者数記録が反応します。棒線グラフが現れます。ご覧になられた後は、棒線が低くなってまた0になります。

もしかしてもしかして、待機していてくださっているのだろうか。そんなことはあるまい。

僕はベッドの中に入っています。寝ながら書いています。タブレットが重く感じられます。文字表を指で押さえて文章化しています。

空っぽの頭が文字を追い掛けています。火のない所に煙は立たないはずなのです。なのに時折、煙の文字が空をスウイスウイ流れていきます。

火吹き竹を吹いて火を起こすヒョットコさんがいるのかもしれません。じゃ、薪は何処から、頭の中の誰が探し出して来るのでしょう?

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