かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

強情と打算

2008-01-28 | 事例
Mがパーキンソン病と診断されたのは、通院を始めて3年目です。
6年前に交通事故を起しています。震えがきたり、動作が、
ぎごち無くなって行くのは事故の後遺症と思っていたのが
漸く本当の原因が見つかったのです。

古い田舎町、Mの店は銀座通りと云われる町の中心に有りました。
しかし人の流れは次第に駅前通りに奪われたのです。
かっては町で唯一の化粧品専門店でした。
Mの奥さんは顧客の一人ひとりに化粧品処方箋と
云うべき記録を作り、この辺りでは信頼された美容相談者でした。

駅前通りには大きなスーパーも2軒進出して居ります。
化粧品も専門のフロアを設け、絶えずマネキンが来て
美容相談もやっています。Mの店は衰退の一途でした。
交通事故を起したのはそんな最中の事でした。

Mが交通事故を起し、歩行が若干不自由になった時、
兄弟や知人は今の場所で今の商売を続けることを反対しました。
銀座通りの商店街は老舗が多く、皆が一国一城の主で、
纏ままってお客を呼ぶことなど難しい地区でもあったのです。
駅前通りに移るか、スーパーに出店するか、または思い切って
廃業はどうかと云う意見ばかりでです。生活の仕事くらいは、
周囲で面倒見て呉れます。

しかしMはこうした忠告を一切聞き入れませんでした。
「お化粧と云う事は廃れることは無い。如何にスーパーで
売ろうが私ほど顧客の事に忠実ではない。私の持っている
処方箋が必ず生きる日が来る筈だ。ましては此処はこの町の
一等地だ。復活しない事はない。」
アドバイスした人たちは、首をかしげながらも、信念を
持って仕事にぶっつかってて居るMの態度に感心したものです。

しかし売上は落ちる一方です。
仕入れ代金の決済にも滞るようになりました。メーカーは、
少しでも代金の入金がなければ直ちに出荷停止です。
最初は銀行も貸してくれました。
しかし担保に余裕が無くなり、しかも実体はここ数年黒字は、
無かったと知るとさすがに融資お断りです。

陳列棚も違ってきました。支払いに余裕のある商品ばかりになり、
売れ筋の商品は姿を消しました。
こうなりだした頃、人のアドバイスを聞いて店を整理し、
駅前と売りに移るか転職をすれば未だよかったのですが、
Mは強情を張って、今までの商売を続けたのです。
他所で成功している弟がお金を貸したらしいですが、
溝に棄てるのと同じ結果になって居ます。

ついに銀行は古くから付き合っていた、
老舗の家を競売することになりました。

Mを知っている人たちは言いました。
「Mさんも強情やな。信念を持って貫き通そうとする
姿勢は感心するが、此処まで来ればあほやな。」

Mは違った考えを持っていました。
彼は信念を持って今の場所で商売を続けたのではありません。
内心小心なMは、今更商売変えや他の店舗を移すことなど、
先が約束されないことは怖くて出来なかっただけです。
其れを周囲に気取られまいと、平然とした態度を
取っていたのに過ぎません。

弟二人は他の土地で成功して居ます。しかしお墓は祖先からの
お墓に一緒にと兄弟で話し合っています。仮にこの家が
売られそうになっても弟たちが買い戻すに決まっている。
買い戻しても自分では住めないからMが無償で住むことになるだろう。
と読んでいるのです。競売開始になってからも、Mは平然として
今までの仕事を続けています。

Mの今までの行動は信念による強情で無くて、
小心者の打算だったのです。

そんなMも、今、奥さんが分かれようかと迷っていることは
未だ知りません。





日記@BlogRanking
↑宜しければ、クリックして下さい


↑こちらのランキングもお願いします

 
↑こちらのブログランキングもお願いします

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ
↑こちらのランキングもクリックお願いします