単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

ジンクス

2024-09-30 | 暮らし・ジョギング

 

おや、まあ、こんな地べたに・・・キジバト君じゃないかあ。

ボクが気づく前にボクには気づいてると思うけど、ここまで寄っても逃げないんだあ。

 


 

こんな近くで観るのは初めてだけど、めんこいなあ。

食べ物を探しているように見えるけど、ボクには警戒心を見せない。

腹が減ってんだなあ・・・もう今から冬に備えての食いだめか。

それにしてもボクなんか眼中にないってな感じで、傍を走っている最中も逃げなかった。

 


 

社会人の市内サッカーリーグも残りあと一か月ほどかな・・・さあ、ボクも走ろう。

理学療法士の注意に従って無理はしないけど、結果はギリギリんところまでやっちゃうよな。

ただ前日の走りによる痛みが少しでも残っている時は、休むなり加減するようにはなった。

 


 

汗を流し一息ついていると、後輩のF君から現役の試合の配信とやらのメールが入った。

えっ? 今日の試合を Youtube で観られるんだあ・・・へえ、そうなんだあ。

岩手県立大・盛岡大との対戦でしたが、ここは勝たないと話になんないでしょう。

さて、次回の対福島大学戦はどうしようかな、最終戦だし一試合ぐらいは現場で観たいしね。

”行けば負ける” のジンクスが、まだ消えてはいないけど。


湯殿山神社(旧本道寺代参塔群)

2024-09-24 | 暮らし・ジョギング

 

5回目のリハビリに向かう道すがら、国道112号沿いにある本道寺を初めて訪れた。

月山を越えて走る国道112号は、ボクの住む庄内地域と県都山形市を繋ぐ幹線道路。

前職時代、仕事で何度もここを通るたび、気にはなりつつ果たせないでいました。

 


 

「旧本道寺代参塔群」は、国道に面した砂利敷き駐車場の傍らにあります。

ボクが初めて知る「代参」は、文字通り「代わりにお参りをする」の意でした。

住職に代参を依頼した湯殿山信者が寄進する多額の金銭の一部を塔の建立に充てたとあります。

 


 

塔には「享保」「天明」「文政」や「下野国」等の文字が刻まれています。

普段、出羽三山を見ながら赤川土手を走るボクは、出羽三山信仰については全くの不勉強。

こういった史跡や遺構を目にするたび、ボクの想像を超えた三山信仰の広がりを知るのです。

 


 

急な石段の登った先に寺の本堂と思しき建物が見えます。

腑に落ちないのは、麓の集落からは見上げるほどの高い場所に寺を建立した訳だよね。

本道寺集落は国道からでもかなり下った寒河江川沿いの深い谷底にあるのにね・・・

 


 

思いの外、大きい本殿には往時の繁栄を忍ばせるのに十分な威厳を感じます。

後で調べると、ここも戊辰戦争の際、官軍の手で伽藍すべてが焼き払われたんだと。

再建された社殿は、往時の大伽藍からは相当に縮小された規模になってしまったんだとさ。

 


 

本道寺という名の所以は、ここが出羽三山参詣の本道とされていたからだとか。

多くの信者が行き交う往時の繁栄の姿は、この静かなる池のみぞ知る・・・ってか。

明治時代初期に起こった廃仏毀釈や戊辰戦争の結果、多くの文化財が焼失したといいます。

東北の雄藩の多くは佐幕派で朝敵となってしまったので、特にその数が多い? 知らんけど。

 


 

今回も衝撃波治療機の施術はお預けかあ・・・そうだと思って来てるけどね。

療法士さんに、従来通りの回数をこなした前日のリハビリ走のことを話すと、渋い顔を見せた。

「多少なりとも翌日に違和感が残るような走り方は、今はしないで下さい」

ごもっともです、それでボクは何回も痛い目にあっていますからね。

 


 

「衝撃波治療機が戻るまで時間がかかりそうですが、予約を続けていいですか?」

そうなんだよね・・・でも、ボクはそう決めていたから11月早々までの予約を入れた。

でもね、11月に入ってからの週一の月山越えは、何が起こるか分かんねえ・・・恐怖だぜ。

今の予約分を終えたら、衝撃波治療機が戻るまで休止しようかな。

今の理学療法士さんとの出会いで、新たな筋トレやストレッチ方法を知ることも出来たしね。


一年ぶりに走り切った!

2024-09-23 | 暮らし・ジョギング

 

急に強度を上げずに・・・と言っていた理学療法士の助言が浮かんではきた。

走り始めたら、最後に走った一年前と同じ距離、同じ強度で走れそうな感触があった。

行っちゃえーーーー!!

 


 

いけー!いけー!で、一年ぶりに所定のインターバル走を走り切りました!!

今一つ加速度には物足りなさがあったけど、体力を完全に使い切っての走りが出来た。

家に戻った後、すぐにアイシングして、今のところ痛みも疲れも・・・微妙にはあるかな。

明日は5回目のリハビリ、今日の走りの影響が患部に現れるか、理学療法士の評価は如何に。


寒っ!

2024-09-22 | 暮らし・ジョギング

 

朝から一日中雨という日が、二十日から続いています。

秋の長雨は毎年の事ですが、この時季日中に気温が20度を下回るなんておかしいでしょう。

今にも雪混じりの冷たい雨に変りそうな空は、まるで冬間近の暗~い鉛色をしています。

 


 

そんな天気に気持ちが滅入ってしまっていたので、秋彼岸を忘れていた。

日頃のご先祖様への不心得ぶりが、すっかり露呈してしまったなあ。

法要が明日のせいもあってか、雨の境内は人気もなく物寂しさに包まれていました。

 


 

物寂しいついでに、もっと寂しくなる事態が母校ラグビー部に起きているみたい。

現役のフェイスブックによれば、「当方の事情により試合を中止・・・」だって。

連盟の会長からは「棄権は今回だけで済むよう努力お願いします」のお叱りを受けたようだ。

どんな事態かはなんとなく想像はつくけど、現役チームには早くも冬が到来したのかなあ。

それにしても「努力お願いします」には、とうとう事ここに至れりの感があるね。

もう言葉も出ないよ・・・、急に寒さが身に沁みてきたぜ。


曼殊沙華

2024-09-19 | 暮らし・ジョギング

 

内川土手を下向き加減で走るボクの視界の端っこに、突然!紅いものが現れた。

えーーと、これは曼殊沙華ですね。

何処でどう間違えたのか、「女郎花」または「彼岸花」はこの花の別名だと思っていました。

 


 

「女郎花」若しくは「彼岸花」は、これとは全く別の花なんですよね。(同じなの? どっち?)

でも、この辺に曼殊沙華なんて咲いていたっけ・・・・?

思い出してみると、以前、川と反対側に建つお宅の庭の一画に見たような気もします。

”あるじなしとて・・・” の歌じゃないけど、主人のいなくなった庭に、今その姿はありません。

 


 

近くに咲くこのコスモスも誰が植えたでもなく、この一画に種が運ばれたんだと思う。

見るからに、ただ無造作に思いのままここで咲きました的な顔をしてますもんね。

いの一番にボクに秋の訪れを知らせてくれるのは、ここに咲くこのコスモスたちです。

 


 

今日の月山は、なかなか去らない残暑の雲に覆われてしまっています。

暑さ寒さも彼岸までどおり、この頃の朝夕の冷え込みや陽の短さは、もう秋ですね。

下を向いてばかりいたら、秋を知らずして冬を迎えかねないところでした。

 


 

さあ、行きますかあ! 今日は少し気合が入っています。

先日、理学療法士さんに、禁を破り?数日軽く走ってみたら大丈夫そうだったことを話した。

療法士さんも、「少しずつ慣らしながら走ってみましょう」と禁を解いてくれたんだ。

もちろんその結果については自己責任だし、もう無理はしないよ。

 


 

往路は何の欲も出さず、ウォーミングアップがてらただただゆっくり走った。

復路は、解禁となった一年ぶりのインターバル走を試すことにした。

無理せず60歩を2,3本ぐらいかなと走り始めたけど、様子を見つつ5本走れた。

 


 

走り切った後すぐにストレッチ、帰宅後は保冷材を使いアイシングを施す。

両のアキレス腱と、一か月前に痛めた右ひざの内側(たぶん側副靭帯)の三か所。

右ひざは、以前左ひざ痛めた時と初期症状が似ていたので、一か月ほど安静にしていました。

回復に向かっていますが、歳のせいとは言いたくないけど、なかなか痛みがとれません。

 


 

インターバル走の結果は翌朝の症状を見ないと判断できませんが、多分、大丈夫そう。

理学療法士のNさんに指示された、足指のグリップ強化の筋トレ効果には期待しています。

ボクがそれまでやっていた踵を浮かしたままでのスクワットとは、似て非なるもの。

衝撃波治療機のこと(しつこいかな)は残念ですが、彼との出会いは幸運だと思っています。


遠距離恋愛のようなもの

2024-09-17 | 暮らし・ジョギング

 

国道112号からでも見ることのできる寒河江ダムの本体部分です。

御覧の通り、岩石を積み上げて堤体を築くロックフィル・ダムです。

余水吐け等の構造体は堤体のお山を挟んだすぐ左にあります。

今、時刻は午前7時過ぎ、山峡の冷んやりとした空気のせいか、急に霧が出てきました。

 


 

先週、”片通“ の憂き目に遭い、診療時間ギリギリになってしまったので、早めに家を出た。

ネット情報に依れば規制は「終日」とあったのでその覚悟で来たら、作業開始前の全線解除中。

こんなんだったら、もう一時間寝ていられたなあ・・・途中、道の駅で時間調整の二度寝。

 


 

ここに通って一か月、これまで週一の頻度で療法士の施術を三回受けてきました。

今日はリハビリの後、医師の診察があり、多少期待して来たのですが、正直、ガッカリ。

医師は立ったまま患部を診ることもなく、言わずもがなの話をして1分もかからず終了。

以前、膝の治療で世話になった理学療法士さんがつぶやくように言った言葉を思い出した。

「先生(医師)は症状に病名をつけたらお終い、治すのはボク等です」

その時の膝はほとんど完治、以来、初めてリハビリ効果を信用するようになったんだ。

 


 

ここのボクの担当と思われる理学療法士のNさんには、とても良い印象を持っています。

今日は宿題として、ダッシュ時のアキレス腱への負荷を減らすための筋トレを指導してくれた。

ボクの病名は大学病院の医師がつけたし、あとは理学療法士に頼るだけということか。

言いたかないけど、衝撃波治療機があるからって、ここを紹介されたんだぜ。

思い切ってそのことを医師に話しながら、治療機の修理の目途も訊いたけど、他人事かよ。

毎週、この山道を往復四時間近くかけて通う価値を改めて疑いだしてきた・・・けど。

それを食い止めてくれるのは、衝撃波治療機の早期復活とN療法士さんへの信頼しかないよ。

月山を挟んだ、ボクとNさんの遠距離恋愛のようなもの・・・あっ、Nさんは男子だからね。


東北っ子

2024-09-14 | 暮らし・ジョギング

 

マウンド上のピッチャーの周りに監督と内野陣が集まり、監督がピッチャーに何か話している。

この直前、相手バッターを追い込みながらも、デッドボールを与えてしまったんだ。

相手バッターのデッドボール前の空振りは、小さい身体に力をみなぎらせた凄いスイングだった。

 


 

さあ、ピッチャーのキミはその小さな体で次のバッターにどう立ち向かうか・・・投げた!

引き込まれてしまったボクは走りを中断し、しばらく羽黒橋の上から戦況を見守ることにした。

いい球投げるねえ、空振りだあ! あっ! キャッチャが後逸・・・振り逃げかあ。

更に次のバッターの第一球、えっ! 続けざまのキャッチャー後逸でボクは再び走り始めた。

ガンバレ! 小さな大投手。

 


 

ここに集まる野球少年たちも、大谷君のフィフティ・フィフティを応援してるんだろな。

多分、ここで我が子を応援しているお父さんもお母さんも、大谷君のファンだろうしね。

世代を越え、家族みんなが画面の向こうの大谷君を応援しているなんて、凄いよ大谷君は。

 


 

そうだ、大谷君のふるさとも、キミたちが生まれたここと同じような町なんだぜ。

たぶんそんなこと言われなくたって、この子たちは大谷君を身近に意識してるはずさ。

大谷少年も東北っ子なら、キミ等も同じ東北っ子だもんね・・・羨ましいよ、キミ等が。


履き違え

2024-09-13 | 暮らし・ジョギング

 

8月13日以来、ちょうど30日ぶりになるのですね。

完治するまでは、思い切ってランニングは止めようと意志を固めたんだけどなあ。

 


 

ボクが走ろうが走るまいが、内川で生きるキミ等には全くどうでもいい話だけどね。

そんなふうに見えるキミ等を横目で見ながら走るってことが、とっても素敵なことだったんだ。

ようやく、そのことがわかったのさ。

 


 

さあ! 走りましょう、ゆっくりね。

一か月間のブランクによる影響を身体がじわじわ感じ始めたぜ・・・この感覚が嬉しいねえ。

両のアキレス腱に負荷を掛けないよう、その分を両の膝と大腿四頭筋がカバーしてくれている。

 


 

機器の故障とは言え、思うように治療が進まず、気持ちも身体も物凄くモヤモヤしていたんだ。

こんなんじゃ、走らないでいることに何の意味があるんだ!なんて思い始めてさあ。

クリニックの医師や理学療法士に何か喧嘩売ってるみたいだけど・・・そんなんじゃない。

 


 

「完治させる」ことに、ボクは余りに振り回されていたと思うよ。

完治した先に見えてくる景色も魅力的だけど、そんな ”先” よりも ”今” が大事なお年頃。

アキレス腱に負荷を掛けまいとするあまり、気持ちに負荷を掛けちゃってるもんね。

完治より大事なことを見失っていたね・・・どこで履き違えたんだろうなあ。

そう、走って治すんじゃなくて、これからは、走りながら治そうっと。


ムダ足かな?

2024-09-10 | 暮らし・ジョギング

 

待ち時間20分の看板が立つ国道112号。

旧朝日村から西川町までの40キロ区間に、どんだけ片側通行箇所があんだい!

最初は余裕かましてたけど、ここでは待つこと15分・・・・、どんだけ待たせんだい!!

 


 

”片通”を想定して出てきたつもりでしたが、あの15分が祟り、着いたのは予約時間数分前。

時間10分前までと言われていたので、後にまわされると覚悟したらすぐに呼ばれた。

あとは「衝撃波治療機」が戻ってきていればと期待したけど・・・、もう、がっかりだよ!!

 


 

今回がリハビリ3回目、今日の療法士さんはたぶんボクの施術は初めてじゃないかなあ。

ボクが話すこれまでの経過を初めて聞くような様子・・・これで大丈夫なのかなあ。

以前通ったクリニックでは、最初の療法士さんが最後まで面倒見てくれたんだけどね。

 


 

衝撃波治療機があるからと大学病院の医師が紹介してくれたんだけどさあ・・・

超音波治療と今日の様な施術だったら、片道二時間かけて月山越えるなんて無駄じゃね?

言いたかねえけどガソリン代の方が・・・、いやいや誰のせいでもないし、無駄じゃないから。

帰ってきたら、赤川堤の桜並木が「早く戻って来いよ!!」って言ってくれたぜ。


薬師寺釈迦三尊像

2024-09-08 | 暮らし・ジョギング

 

薬師寺東塔の修理工事を取り上げた「新プロジェクトX」を諦観の思いを抱きながら観た。

学生時代、初めて歩いた「奈良路」を再び訪れることはないだろうなあ・・・

奈良教育大の学生寮(古かったなあ!)に臨泊しながら、文字通り、歩き通した一週間。

アンドレ・マルローの「征服者」が、激しい飛鳥時代の舞台にボクを導いたって感じですかね。

 


 

三代目んちに眠る当時のアルバムを開いて薬師寺の写真を探したら、たった二枚だけ。

当時はフィルムカメラだったし、貧乏学生のボクにとってフィルム代は決して安くなかった。

カメラも級友のムラセ君から借りたハーフサイズカメラ(今の若い人は分るかなあ)でした。

これがデジカメだったら、あとで整理が嫌になるほど撮りまくっていたと思うよ。

 


 

奈良の旅を思い返す時、いの一番に浮かんでくるのが薬師寺の「釈迦三尊像」

金堂に足を踏み入れ、最初に現れた「月光菩薩像」を観た瞬間、例えようのない心持ちに陥った。

すべての感情がその一瞬で消失してしまい、相当の時間、像の前から動くことが出来なかった。

菩薩像を仰ぎ見ていると、どんどん不思議な境地に落ちていく・・・恍惚感って言うのかなあ。

深くて柔らかい光沢、しなやかな曲線を描く立ち姿・・・、語彙も審美眼も未熟で表現できない。

写真の数が少ないのは、寺社仏閣内部や安置された仏像等の撮影が禁じられていたからだね。

 


 

東塔を写した当時の色褪せた写真を、年代物のアプリで修復してみた。

東西両塔のうち、当時存在したのは東塔だけで、焼失した西塔が再建されるのは十年後のこと。

山門、本堂、仏塔、講堂等で構成される「伽藍」を知ったのも、「奈良の旅」のおかげです。

 


 

中途半端な知識のままにアプリを駆使してみたら、結構なまでに画像がリアルに近づいた。

ボクの今の心模様を写し取るのか、どうやってみても「セピア色」っていうのが残るんだよね。

あれから50年かあ・・・、随分、変わっているだろうなあ。

再び奈良を訪れることがあるとしても、あの時の感情は思い出の中に止まったままでしょうね。