国道七号を北上、秋田との県境に位置する三崎峠からの日本海はベタなぎです。
気温14度は、寒がりライダーにとって日差しほどに暖かくはないですねえ。
由利本荘を過ぎ、国道105号沿いの道の駅「おおうち」で小休止。
この辺りに何かあって欲しいと探す案内図に、「大内町歴史民俗資料館」を見つけた。
平成17年に旧大内町は周辺の市町村と合併し、由利本荘市となりました。
資料館は、分庁舎となった旧大内町庁舎のそばに建つ大内公民館の中にありました。
予想通り、受付で待つボクは、ボクに気づいた職員の怪訝そうな顔を見ることになる。
無理もないよなあ、そりゃそうだよと思いながら、鍵を手にする女性の後についていく。
えーー? いつも施錠しているのかあ・・・申し訳ないなあ。
「どちらからお出でですかあ 良かったらお帰りの時、記帳をお願いします。」
展示品は、地元所縁の画家の作となる絵画、縄文弥生の石器、大正昭和の民具日用品等々。
絵の作家は、地元出身の心眼の画家・菊地良爾。
TVお宝鑑定団でお馴染みのあの川合玉堂氏の優秀な内弟子であったお人らしい。
心眼の画家と称される所以は、重い眼病を患いながらも画家として再起したことだとある。
ボク的には、中世近代のこの地域の歴史やそのエピソードなんかを知りたかったなあ。
いや、それだったら、本丸・本荘市に赴くべきなんだよなあ。
記帳してきましたが、今月の記帳簿には県内在住のお二人の名前がありました。
若い頃は、盛岡へは向かう時にはいつも国道105号を走りました。
当時は集落内を抜ける狭隘な道路でしたが、それ故の風景にはいつも癒されていました。
もう何十年ぶりになるのだろう、帰りは旧道沿いに本荘市街に入って7号に出よう。
芋川氾濫のニュースは、隣県に住むボクでも何度か聞いたことがあります。
今はとても長閑な春の風景ですけどね。相当の暴れ川のようです。
♪ こぶし咲くあの丘 北国の~ あゝ北国の~春~~ ってかぁ!
正直、若い頃はダサいと思った歌でしたが、いつからか、心にしみる歌になりました。
沿道に「芋川さくらづつみ臨時駐車場」と書かれた手作り看板を見つけました。
つかさず寄り道。四五台置かれた車の中には庄内ナンバーの車もあります。
場所柄をわきまえて、静かな春を楽しむみなさんの姿が優しくていいなあ。
このあたりから見える鳥海山は、出羽富士の異名通りきれいな三角錐の姿ですね。
せっかくだから、もう少しぶらぶらしながら帰ろう。
芋川の右岸側を走る国道105号を左折し、左岸側の道を探りながら本荘へ。
芋川に架かる中深橋。
失礼ながら、場所柄に似合わぬシックでお洒落な親柱じゃないですか。
思わず渡りたくなるよねえ。
JR羽越本線の踏切、この先の丁字路は右ですね。
とりあえず、鳥海山の西側を目指していけば国道7号に抜けるはず。
遠望した先に見覚えのある建物が・・・、あれは秋田県立大ですねえ。
そのそばを通る日本海東北道を走ってきたので、今いる場所が大体わかりました。
久しぶりに本荘市街に入ってきて、その変貌ぶりにビックリ。
旧国道105号時代には、この橋だって重苦しいほどに古くて幅員の狭いトラス橋でした。
無電柱化により電柱や架線が無くなり、すっきり道幅も広くなりましたねえ。
ボクんところもそうですが、何故か無電柱化にした道からは人影も消えちゃうんですよね。
西目の道の駅に立ち寄りました。
無料区間の高速道が通るようになって、立ち寄る機会が無くなっていました。
軽くかけ蕎麦でもと注文したら売り切れと言われ、そのまま立ち去りましたけど。
家を出てから帰るまでの走行距離が200キロ、ぶらぶらしていた時間は6時間。
地味~~な発見や出会いもあったし、ほどほどに楽しめました。
なかなか終息しないコロナ禍の状況ですが、少しずつ距離を伸ばして楽しむべ。
「おかえり。意外と早かったねえ・・・」
何言ってんだい。オメェの散歩の時間に間に合うよう、帰って来たんじゃねーかあ。