大鳥居をくぐるのは、あの時以来の五年振り。
「いいところだったよ。」
コン先輩夫妻もヤス夫妻もそう言ってくれてたっけなあ。
月山八合目を目指すほどの気力はない。
まあ、その半分くらいまで行けたらいいかあ。
あの時は五重塔までだったけど、今日は寄らずに素通り。
そのうち、代わりに長ーーい石段を登って、山頂の神社をお参りしてあげますから。
田んぼの先は、地元バス会社が運営する県道から出羽三山神社までの有料道路の料金所。
延長の短さとその料金から「日本一高い有料道路」と揶揄された。今はどうなんだろ。
月山八合目方面へほんのわずか行ったところで、まさかの通行止め。
告知看板見逃したのかなあ・・・、災害復旧工事じゃあ、しょうがない。
予定を変更して清川へ下りる。
毎朝、チビと一緒に眺めている山が、目の前に現れた。
月山の地滑り地帯をえぐり取りながら流れ落ちる立谷沢川。
急流が押し流す土砂をくい止めるため、上流部はまるで砂防ダムの展示場でしたねえ。
ゴロンゴロン上流から押し流されてきた玉石が転がっている。
辺りの空間を覆い尽くす瀬音は勇ましいほどに、ボクの日常にはない結構な音量だ。
白波の立つ川面から視線を上げれば遠く鳥海山が霞んでいる。
立谷沢川の瀬音以外は何も聞こえない・・・なかなかの夏の風景だね。
橋の上でバイクを停め、しばらく涼をとった。
何でしょうねえ。桁から張り出した機器と河床に組まれた構造物は対ですか?
河床の変異を観測する装置かなんかですかねえ?
立谷沢川流域には江戸時代に祀られた八つの龍神供養塔があると記されています。
昔から手を焼かせた暴れ川だったんですね。
肝煎・・・、煎? 入じゃない? 頭から離れず、帰ってからググってみる。
思いがけず色んなことを知った。地名のいわれも何となく分かったような・・・
時間はあるけど、当てがない。
もう三十年振りになるかなあ。「清河八郎」にでも寄ってみようか。
今年は、小さな地区の小さな歴史資料館を訪ねてみようと企てていたところだし・・・
休館日かよ!!
本日、二度目の門前払い。
「実は、清河八郎は佐幕派の人間なんですよ。」
初めて訪れたとき説明してくれた地元のご老人の一言が、妙に今も記憶に残る。
どの辺まで広がったかは不明だけど、大河ドラマに「清河八郎」をという運動があったなあ。
坐像の脇の立て札に、「揮毫者 大川周明」の文字。
どこにあるのかなあと像のあちこちを探したけど、わかんなかった。
清河神社の裏手には、庄内藩主時代からの御殿林がある。
ここも戊辰戦争時、温海の関川同様、庄内に侵攻する新政府軍と庄内藩の激戦の地。
石碑の中に、思いもよらず正岡子規の句碑があった。
芭蕉を慕った旅での一句・・・ほっとゆだ駅に見つけた句碑と謂れは同じ。
蜩の 二十五年も 昔かな
子規がここを訪れたのは、ここでの激戦から二十五年後だったんだそうな。
身近なところに、結構、いろんなものがあるんだなあと思った一日、いや、半日でした。